O句

August 1182007

 稲妻やアマゾン支流又支流

                           大城大洋

が実る前に多く見られる稲光。古くは、この光が稲を実らせると言われ、稲の夫(つま)から転じて稲妻となったという。一瞬の閃光に照らし出される稲田と、しばしの沈黙の後に訪れる雷。自然の力を目の当たりにした古人の想像力には感心させられるが、稲光をともなった雨は天然の窒素肥料になるという科学的根拠もあるらしい。この句の稲光が照らし出しているのは、広大なアマゾン川。河口の幅は百キロメートルに及ぶというから、途方もない大きさである。稲光の、空を割る不規則な形状と、アマゾン川の支流の枝分かれとが重なって、一読して大きい景が見える。日本からは最も遠い国。自己中心的に地球の裏側などというブラジルへの移民は、1908年(明治四十一年)に始まり、その数は約二十五万人、現在居住している日系人は百三十万人以上であるという。そして、その百年の歴史の中で、俳句が脈々と詠まれ続けて今日に至っていることは興味深い。それぞれの生活や心情は、到底思い及ばざるところだが、〈珈琲は一杯がよし日向ぼこ〉(亀井杜雁)など、その暮らしのつぶやきが聞こえるような句や、〈雷や四方の樹海の子雷〉(佐藤念腹)など、掲句同様、彼の地ならではのスケールの大きい句が生まれている。八月八日、ブラジルは立春であったということか。「ブラジル季寄せ」(1981・日伯毎日新聞社)所載。(今井肖子)


October 29102009

 ブラジルは世界の田舎むかご飯

                           佐藤念腹

かごは自然薯のつるにつく小さな肉芽。指の先ほどの丸い実をご飯に炊き込むとむかご飯になる。虚子の「季寄せ」を何気なくめくっているうち、オリンピック開催で話題のブラジルとむかご飯との取り合わせに目がとまり、新鮮な驚きを感じた。新潟出身の念腹(ねんぷく)は1913年にブラジルへ移住した。戦前は長男が家督のすべてを継ぐ慣わしだったから農家の次男、三男は故郷を出て新天地を切り開くしかなかった。彼もまた大農家になることを夢見て「世界の田舎」であるブラジルへ人生を賭けて渡り、未開の原野を切り拓いていったのだろう。つましい食卓に出された芋はむかごなのか、むかごに似た現地の芋なのかはわからないが、ブラジルの「むかご飯」に日本への望郷の思いをかぶせている。彼の地で農業に俳句に力を尽くした念腹の地元新潟には掲句の句碑が建てられているそうだ。「虚子季寄せ」三省堂(1940)所載。(三宅やよい)


April 0242016

 囀や只切株の海とのみ

                           佐藤念腹

ろぼろだった昭和八年発行の『俳諧歳時記』〈改造社〉が修復されて戻ってきた。個人の修復家にお願いしたのだが、表紙から中身の一枚一枚まで色合いや手触りを残しつつすっかりきれいになり、高度な技術にあらためて感服した。その春の部にあった掲出句の作者、佐藤念腹は〈雷や四方の樹海の子雷〉の句で知られ、移住したブラジルで俳句創世記を支えたと言われている。雷の句のスケールの大きさと写生の力にも感服するが掲出句もまた、どこまでも続く開拓地の伐採跡を見渡す作者に、広々とした空から降ってくる囀りが大きい景を生んでいる。囀りは明るいが、目の前の広大な景色が作者の心にかすかな影を落としているようにも感じられ、簡単に言えない何かが十七音には滲むのだとあらためて思う。(今井肖子)




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