@q句

January 0812008

 人といふかたちに炭をつぎにけり

                           島 雅子

生時代に通っていた茶道の「炭手前」をおぼろげに覚えている。釜の湯を湧かすために熾す炭の姿にまで、美しい手順があるのに驚いたことや、「ギッチョ、ワリギッチョ」と、なにやら呪文めいた言葉とともに何種類かの炭を交互についだことなど、ひとつ思い出せば不思議なほど次々と所作がよみがえる。あの謎の言葉は一体なんだったのだろう。「炭の増田屋オンラインショップ」によると「丸毬打(まるぎっちょ)、割毬打(わりぎっちょ)。道具炭。割毬打は丸毬打を半分に割ったもの」と、あっさり判明した。音で覚えていたものに、文字で出会うと唐突によそよそしくなってしまうものだ。しかし、掲句で使われる「人」という文字は、なんともあたたかい。それは、手元につぐ炭の一本にもう一本を寄り添わせて置いてみたところ「まるで人という字」という発見が、まさに文字そのもののなりたちや、その心根にもつながる喜びと温みを伴いながら読み手に無理なく伝わるからだろう。芯にちらつく火種が、ほの明るく灯る魂のように見え、それを眺める作者の頬をやわらかく照らしている。上手に火が熾ることだけを祈りながら炭に向かい合っていた頃を思い出し、「ギッチョワリギッチョ」ともう一度つぶやいてみる。〈蛇打たれもつとも人に見られけり〉〈和紙に置く丹波の栗と栗の翳〉『土笛』(2007)所収。(土肥あき子)




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