2008N4句

April 0142008

 部屋ごとに時の違へる万愚節

                           金久美智子

愚節(ばんぐせつ)、四月馬鹿、エイプリールフール。といっても、実際に他愛ない嘘をわざわざこの日のために用意している人は、少なくともわたしのまわりにはいない。起源はヨーロッパとも、インドともいわれるが、日本では「嘘」や「馬鹿」など、マイナスイメージの言葉を使っているせいか、いまひとつ浸透していない祭事のひとつだろう。しかし、俳句になるとその文字が持つ捨てがたい俳味が際立つ。身の回りの「愚かであること」はたやすく発見できるものだが、それは排除につながらず、どこか愛おしくなるようなものが多い。掲句は時計が時計の役目を果たしていないという現実である。しかし、そこには時を刻むことが唯一の使命のはずの時計に、それぞれ進み癖やら遅れ癖を持っているという人間臭さを愛おしむ視線がある。さらには「リビングは少し早めに行動したいから5分進めて」「寝室のはぴったり合わせて」という人為的な行為と相まって、ますます時計は時計の本意から外れていく。結局テレビに表示される時計を見るだけのために、テレビを付けたりしているのである。それにしても現代の家電にはあらゆるものに時計が付いている。微妙に狂った時計たちが休むことなくせっせと時を刻んでいるのかと思うと、ちょっと切ない。「続氷室歳時記」(2007・邑書林)所載。(土肥あき子)


April 0242008

 なにほどの男かおのれ蜆汁

                           富士眞奈美

も蜆汁も春の季語である。冬の寒蜆も夏の土用蜆もあるわけだけれど、春がもっともおいしいとされる。もちろん、ここでは蜆そのものがどうのこうのというわけではない。こういう句に出会うと、大方の女性は溜飲をさげるのかもしれない。いや、男の私が読んでも決して嫌味のない句であり、きっぱりとした気持ちよささえ感じる。下五の「蜆汁」でしっかり受けとめて、上五・中七がストンとおさまり、作者のやりきれない憤懣にユーモラスな響きさえ生まれている。蜆の黒い一粒一粒の小粒できちんとしたかたち、蜆汁のあのおいしさとさりげない庶民性が、沸騰している感情をけなげに受けとめている。ここは気どったお吸い物などはふさわしくない。「なにほど」ではない蜆汁だから生きてくる。同じ春でも、ここはたとえば「若布汁」では締まらないだろう。それどころか、気持ちはさらにわらわらと千々に乱れてしまうことになるかもしれない。眞奈美は女優だが、五つの句会をこなしているほどのベテランである。掲出句は、ある人に悪く言われたことがあって、そのときはびっくりしたが、バカバカしいと考え直して作った句だという。「胸のつかえがすーっとおりて・・・・立ち直れた」と語っている。さもありなん。こんな場合、散文や詩でグダグダ書くよりは、五七五でスイと詠んでしまったほうがふっきれるだろう。そこに俳句のちからがある。吉行和子との共著『東京俳句散歩』もある。ほかに「宵闇の小伝馬町を透かしみる」「流れ星恋は瞬時の愚なりけり」などがある。いずれもオトナの句。「翡翠」14号(2008)所載。(八木忠栄)


April 0342008

 ぶらんこを漕ぐまたひとり敵ふやし

                           谷口智行

を踏ん張って空高くぶらんこを漕ぐのは気持ちいい。耳元を切る風の音。切れんばかりに軋む鎖の音と金臭い匂い。いつもは見上げて話している先生や上級生が足下に見えるのに得意の気分を味わった。今ほど遊具がなかった時代なので休み時間ともなるとぶらんこには順番待ちの長い列が出来た。どれだけ遠く飛び降りで着地できるか、泥まみれの靴を飛ばせるか、ずいぶん乱暴な乗り方もしたものだ。誰しもぶらんこに乗って空に漕ぎ出すときは王様になれる。ぶらんこが春の季語になったのは「のどやかでのびやかな春の遊戯として春の題として定めた」(「日本大歳時記」講談社)ところに本意があるようだが、この句ではそのぶらんこをじりじりと順番待ちをしている羨望と嫉妬のまなざしを思う。まわりの目を気にして二、三度漕いで、すぐ列の後ろにつくような柔な性格なら敵を増やしはしない。回りの反発を意に介さずぶらんこを漕ぎ続ける気の強い漕ぎ手は世間に出ても敵を作りやすい性格なのかもしれない。ぶらんこといえば鷹女の「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」の激しい句を思うが、こちらも恨みを買いそうな句である。『媚薬』(2007)所収。(三宅やよい)


April 0442008

 母校の屋根かの巣燕も育ちおらむ

                           寺山修司

らむの「お」は原句のまま。「小学校のオルガンの思い出」の前書がある。破調の独特の言い回しに覚えがあり、どこかで見た文体だと思ったら橋本多佳子の「雀の巣かの紅絲をまじへをらむ」に気づいた。かの、おらむがそのままの上に、雀の代りに燕を用いた。多佳子の句は昭和二十六年刊の『紅絲』所収。修司のこの句は二年後の二十八年。そもそも多佳子が句集の題にしたくらいの句であるから修司が知らないで偶然言い回しが似たということは考えがたい。修司、高校三年生の時の作品である。内容を比べてみると、多佳子の句は、結婚する男女は赤い糸で結ばれているという故事を踏まえ、切れてしまった赤い糸が今雀の巣藁の中に混じっているという発想。巣の中の赤い糸に見る即物の印象から一気に私小説のドラマに跳ぶ。修司の方はきわめて一般的な明解な思い。しかし、母校という言い方にしても、「かの」にしてもこの視点はすでに卒業後何年も経ってのものを演出している。十八歳にしてこの演出力はどうだ。典拠を模倣し、演出し、一般性をにらんで娯楽性を考える。寺山の芝居も映画もこのやり方で多くのファンを掴んだ。「だいだいまったく新しい表現なんてあるのかい」という寺山の声が聞こえてくるようだ。しかし、と僕はいいたいけれど。『寺山修司俳句全集』(1986)所収。(今井 聖)


April 0542008

 囀や真白き葉書来てゐたる

                           浦川聡子

聞やダイレクトメール、事務連絡の茶封筒などに混ざって、葉書が一枚。白く光沢のある絵はがきの裏、宛名の文字は見慣れた友人のもので、旅先からの便りだろうか。白は、すべての波長の光線を反射することによって見える色というが、人間が色彩を感知するメカニズムについて、今さらのように不思議に思うことがある。数学をやりながら、数式や定理がさまざまな色合いをもって頭の中に浮かぶ、と言う知人がいた。どんな感覚なのか、残念ながら、私は色のついた数式を思い浮かべることはできない。どちらかといえば視覚人間、コンサートに行くより絵画展へ、句作の時もまず色彩へ視線がいくのだけれど。この句の作者は、音楽に造詣が深く、音楽にかかわる秀句が多いことでも知られており、視覚と聴覚がバランスよく句に働いている。メールが通信手段の主流となりつつある中、春風に運ばれてきたような気さえするその葉書に反射する光と、きらきらと降ってくる囀に包まれて、作者の中に新しいメロディーが生まれているのかもしれない。『水の宅急便』(2002)所収。(今井肖子)


April 0642008

 相席に誘はれてゐる新社員

                           中神洋子

いぶん昔の、会社に入った頃のことを思い出しました。就職情報を丹念に調べ、会社の業績や将来性、あるいは社風や社長の理念まで細かく調べ上げても、実際に職場に行ってみなければ、そこがどんな場所なのかということはわかりません。慣れ親しんだ環境から、新しい雰囲気の場所へ移るには、それなりの緊張感が伴います。自分を受け入れてくれるのか。あるいは素直になじむことの出来る空気なのか。そんなことを考えているだけで、緊張感が増してきます。朝早くに初日の出社をし、人事部で大まかな説明を聞き、社員証の写真をとり、所属部署へ案内されても、まだどこかなじめない気持ちを持ち続けています。所属部署に連れて行かれ、一人一人挨拶してまわっても、直属の上司の名前を覚えるのが精一杯です。ほかの社員にはただ頭を下げて、自分の名前と、「よろしくお願いします」を繰り返すだけです。この句は、そんな日の昼食時を詠っているのでしょうか。社員食堂で見よう見まねで食事をトレイに載せ、どこに座ろうかと歩き出したところで、「ここ、どうぞ」とでも言われたのです。テーブルに向かいながら、なんとかここでやっていけるかなと、思いはじめたのでしょう。なんだか句を読んでいるこちらまで、ほっとします。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


April 0742008

 春の服買ふや余命を意識して

                           相馬遷子

の服には明るい色彩や柄のものが多い。それだけに高齢になってから買うときには、若いころのように弾む気持ちもなくはないけれど、他方では少々派手気味かななどと、余計な神経を使ったりもする。そのためらいの気持ちを止めるよう自己説得するのが、「余命」の意識というわけだ。あと何年生きられるか、わからない。二十年も三十年も生きるのは、常識的にまず不可能だ。そんな年齢なのだから、いつまでも昔のように世間や周囲の目を気にしていたら、死ぬときに後悔することにもなりかねない。着たいものを着られるのも、生きていればこそなのである。そう自分に言い聞かせて、作者はえいっとばかりに春の服を買ったのだった。むろん、あと何年着られるかなあという心細さも自然に「意識」されて……。そしてこのことは、春の服に限らない。私なども最近、多少高価なものを買おうとするたびに、このような自己説得法を使うようになってきた。それにしても大概の場合に、何の根拠もなくあと十年は生きるつもりの余命意識を持ち出すのだから、まったくいい気なものだとは思うけれど、しかしそのいい気を一方で哀しく思う気持ちも拭えないというのが、正直なところだ。『合本・俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)


April 0842008

 ぬかづけばわれも善女や仏生会

                           杉田久女

釈迦さまの誕生日を祝う仏生会は4月8日だが、近所の護国寺では日曜日に合わせて先日6日に行われた。色とりどりの生花をあしらった花御堂のなかには「天上天下唯我独尊」と言われたという右手を天に掲げたポーズで誕生仏が納められる。可愛らしい柄杓でお釈迦さまの身体に甘茶をかける習わしは、誕生のときに九龍が天から清らかな香湯を吐き注いで、産湯をつかわせた伝説に基づくものだという。晴天のもと、桜吹雪のなか、善男善女の列に加わり、薄甘いお茶を押しいただけば、まったく無責任に「ああ、極楽ってよさそうなところ」などと夢想する。雪のクリスマス、花の仏生会、信仰心にほとんど関係なくそれぞれの寿ぎの祝典を抵抗なく受け入れているのは、どちらも根幹には命の誕生という健やかさが共通して流れているからだと考える。しかし、掲句はこの場にぬかづいている自分をわずかに持て余す心地が頭をもたげている。それは、さまざまな欲に満ちた日常もそれほど悪くないことを知っているわが身が、眼前に繰り広げられている極楽絵巻のなかにさりげなく溶け込むことができないのだ。孤独でシニカルな視線は、常に影となって久女の身に寄り添っている。『杉田久女句集』(1969)所収。(土肥あき子)


April 0942008

 恋猫のもどりてまろき尾の眠り

                           大崎紀夫

の交尾期は年に四回だと言われる。けれども、春の頃の発情が最も激しい。ゆえに「恋猫」も「仔猫」も春の季語。あの求愛、威嚇、闘争の“雄叫び”はすさまじいものがある。ケダモノの本性があらわになる。だから「おそろしや石垣崩す猫の恋」という子規の凄い句も、あながち大仰な表現とは言いきれない。掲出句は言うまでもなく、恋の闘いのために何日か家をあけていた猫が、何らかの決着がついて久しぶりにわが家へ帰ってきて、何事もなかったかのごとくくつろいでいる。恋の闘いに凱旋して悠々と眠っている、とも解釈できるし、傷つき汚れ、落ちぶれて帰ってきて「やれやれ」と眠っている、とも解釈できるかもしれない。「まろき尾」という、どことなく安穏な様子からして、この場合は前者の解釈のほうがふさわしいと考えられる。いずれにせよ、恋猫の「眠り」を「まろき尾」に集約させたところに、この句・この猫の可愛さを読みとりたい。飼主のホッとした視線もそこに向けられている。猫の尾は猫の気持ちをそのまま表現する。このごろの都会の高層住宅の日常から、猫の恋は遠のいてしまった。彼らはどこで恋のバトルをくりひろげているのだろうか? 紀夫には「恋猫の恋ならずして寝つきたり」という句もあり、この飼主の同情的な視線もおもしろい。今思い出した土肥あき子の句「天高く尻尾従へ猫のゆく」、こちらは、これからおもむろに恋のバトルにおもむく猫の勇姿だと想定すれば、また愉快。『草いきれ』(2004)所収。(八木忠栄)


April 1042008

 明日出会ふ子らの名前や夕桜

                           中田尚子

週の月曜日あたりに入学式のところが多かったのか、真新しいランドセルを背負った小学生やだぶついた制服を着た中学生と時折すれちがう。入学式には満開の桜が似合いなのに、東京の桜はほとんど散ってしまった。温暖化の影響で年々桜の開花は早まっているらしく、赤茶けた蘂ばかりになってしまった枝が少しうらめしい。我儘な親と躾けられない子供にかき回される教育現場が日々報道されているけれど、初めて出会う子供達の名前を出席簿に確かめる担任教師の期待と不安は昔と変わらないのではないか。明日に入学式を控えて先生も少し緊張している。これから卒業までの年月をともに過ごす子供達である。育てる楽しさがあると同時に巣立つまでの責任は重い。時に感情の対立もあるかもしれないが、そのぶつかり合いから担任とそのクラスの生徒達だけが分かち合える喜びや親しさも生まれてくる。生徒の側からみても最初に受持ってもらった先生は幾つになっても懐かしいものだ。明日胸を高鳴らしてやって来る子供達が入る校舎の窓に、咲きそろう桜が色濃く暮れてゆく。入学式前日の教師のつぶやきがそのまま句になったような優しさが魅力だ。「俳句年鑑」(角川2008年度版)所載。(三宅やよい)


April 1142008

 海棠の花くぐりゆく小径あり

                           長谷川櫂

代でも俳句が描く情趣の大方は芭蕉が開発した「わび、さび」の思想を負っている。そこには死生観、無常観が根底にある。そこに自らの俳句観を置く俳人は現世の諸々の様相を俳句で描くべき要件とは考えない。現実の空間や時間を「超えた」ところにひたすら眼を遣ることを自己のテーマたらむとするのである。その考え方の表れとして例えば「神社仏閣」や「花鳥諷詠」が出てくる。どう「超える」かの問題や、現実に関わらない「超え方」があるのかどうかは別にして、そういうふうに願って作られる作品があり、そういう作品に惹かれる読者が多いこともまた事実である。いわゆる文人俳句といわれるものや詩人がみずから作る俳句の多くもまたこの類である。自己表現における「私」と言葉とのぎりぎりの格闘に緊張を強いられてきた人は、俳句に「私」を離れた「諷詠」を求めたいのかもしれない。作者は生粋の「俳人」。世を捨てる「俳」の在り方に「普遍」を重ねてみている。句意は明瞭。『季別季語辞典』(2002)所載。(今井 聖)


April 1242008

 ふらここの影の止つてをりにけり

                           木村享史

らんこ、とは考えてみればまことにそのまんまな名前である。ポルトガル語に由来するなど、その語源は諸説あるようだが、ぶら下がって揺れる様子から名付けられたという気が確かにする。広辞苑で「ふらここ」と引くと、「鞦韆」の文字と共に「ぶらんこ。ぶらここ。しゅうせん。」と出る。他に、半仙戯、ゆさわり、など、さまざまな名前を持つぶらんこが春季である本意は、四月三日の鑑賞文で三宅さんが書かれているように、のどやかでのびやかな遊具としての特性からだろう。春休みの間は一日中揺れていたぶらんこ。新学期が始まった公園では、ぶらんこを勢いよく漕ぐにはまだ幼い子供達とその母親に、ゆっくりした時間が流れている。昼どき、ベンチで昼休みを過ごす人に春の日がうらうらと差す。その日ざしは、葉の出始めた桜の葉陰からこぼれ、ジャングルジムにシーソーに、そしてぶらんこに明るい影を落としている。たくさんの子供達に、時にはおとなに、その名の通り仙人になったような浮遊感を与え続けているぶらんこの、しんとした影。春昼を詠んで巧みである。『夏炉』(2008)所収。(今井肖子)


April 1342008

 月日貝加齢といふ語美しき

                           三嶋隆英

ず、「月日貝」というものがあることに驚きます。むろんものの名ですから、人によってどのようにも名づけられることはあるでしょう。けれど、人の名や、動物の名、植物の名に、月日を持ってくるとは、思いがけないことでした。「月日貝」という名だけで、かなりのイメージを喚起しますから、この語を使って句を詠むことは、つまり季語に負けない句を詠むことは、容易なことではありません。歳時記の解説には次のような説明があります。「イタヤガイ科の二枚貝。(略)左殻は濃赤色、右殻は白色。これをそれぞれ日と月に見立ててこの名がある」。なるほど、視覚的に、色から月と日があてがわれたのでした。しかし、月と日があわさって、つながってしまうと、この語は突然、「時の流れ」を生み出してしまいます。掲句もその「月日」を歳月と解釈し、齢(よわい)を加えるという言い方を美しいと詠んでいます。考え方の流れとしては素直で、このままの心情を読み取ればよいのかと思います。老いることが何かを減じることではなく、加えられることであるという認識は、たしかに美しいものです。なお、歳時記の解説はさらに、次のように続いています。「食用になり、殻は貝細工になる。」そうか、わたしたちは月日を食べ、細工までしていたのです。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店) 所載。(松下育男)


April 1442008

 囀や島の少年野球団

                           下川冨士子

語は「囀(さえずり)」。繁殖期の鳥の雄の鳴き声を言い、いわゆる地鳴きとは区別して使う。ゴールデン・ウイークのころに、盛んに聞かれる鳴き声だ。そんな囀りのなかで、子供たちが野球の練習に励んでいる。休日のグラウンドだろう。目に染みるような青葉若葉の下で、子供たちの元気な姿もまた眩しく感じられる。ましてや、みんな「島」の子だ。過疎化と少子化が進んできているのに、まだ野球ができるほどの数の子供たちがいることだけでも、作者にとっては喜びなのである。とある日に目撃した、とある平凡な情景。それをそのまま詠んでいるだけだが、作者の弾む心がよく伝わってくる。一読、阿久悠の小説『瀬戸内少年野球団』を思い出したけれど、こちらは戦後間もなくの淡路島が舞台だった。句の作者は熊本県玉名市在住なので、おそらく有明海に浮かぶどこかの島なのだろう。そういうことも考え合わせると、いま目の前でいっしょに野球をやっている子供たちのうち、何人が将来も島に残るのかといった一抹の心配の念が、同時に作者の心の片隅をよぎったかもしれない。『母郷』(2008)所収。(清水哲男)


April 1542008

 戸袋に啼いて巣立の近きらし

                           まついひろこ

会の生活を続けていると、雨戸や戸袋という言葉さえ遠い昔のものに思える。幼い頃暮らしていた家では、南側の座敷を通して六枚のがたつく木製の雨戸を朝な夕なに開け閉てしていた。雨戸当番は子供にできる家庭の手伝いのひとつだったが、戸袋から一枚ずつ引き出す作業はともかく、収納するにはいささかのコツが必要だった。いい加減な調子で最初の何枚かが斜めに入ってしまうと、最後の一枚がどうしてもぴたりとうまく収まらず、また一枚ずつ引き出しては入れ直した泣きそうな気分が今でもよみがえる。一方、掲句の啼き声は思い切り健やかなものだ。毎日使用しない部屋の戸袋に隙を見て巣をかけられてしまったのだろう。普段使わないとはいえ、雛が無事巣立つまで、決して雨戸を開けることができないというのは、どれほど厄介なことか。しかし、やがて親鳥が頻繁に戸袋を出入りし始めると、どうやら卵は無事孵ったらしいことがわかり、そのうち元気な雛の声も聞こえてくる。雨戸に閉ざされた薄暗い一室は、雛たちのにぎやかな声によってほのぼのと明るい光が差し込んでいるようだ。年代順に並ぶ句集のなかで掲句は平成12年作、そして平成15年には〈戸袋の雛に朝寝を奪はれし〉が見られ、鳥は作者の住居を毎年のように選んでは、巣立っていることがわかる。鳥仲間のネットワークでは「おすすめ子育てスポット」として、毎年上位ランキングされているに違いない。〈ふるさとは菫の中に置いて来し〉〈歩かねばたちまち雪の餌食なる〉『谷日和』(2008)所収。(土肥あき子)


April 1642008

 葉脈に水音立てて春キャベツ

                           田村さと子

ャベツは世界各地で栽培されているが、日本で栽培されるようになったのは明治の初めとされる。キャベツは歳時記では夏に類別されているが、葉は春に球形になり、この時季の新キャベツは水気をたっぷり含んでいて、いちばんおいしい。ナマでよし、炒めてよし、煮てよし。掲出句は、まだ収穫前の畑にあって土中から勢いよく吸いあげた水を葉の隅々まで行き渡らせ、しっかりと球形に成長させつつあるのだろう。春キャベツの勢いのよさや新鮮さにあふれている句である。葉脈のなかを広がってゆく水の音が、はっきりと聴こえてくるようでさえある。恵みの雨と太陽によって、野菜は刻々と肥えてゆく。このキャベツを、すでに俎板の上に置かれてあるものとして、水音を聴いているという解釈も許されるかもしれない。俎板の上で、なお生きているものとして見つめている驚きがある。「水音」と「春」とのとりあわせによって、キャベツがより新鮮に感じられ、思わずガブリッとかぶりつきたい衝動にさえ駆られる。先日見たあるテレビ番組――しんなりしてしまったレタスの株の部分を、湯に1〜2分浸けておくと、パリパリとした新鮮さをとり戻すという信じられないような実験を見て、野菜のメカニズムに改めて驚いた。もっともこれはキャベツには通用しないらしい。さと子はラテンアメリカをはじめ、世界中を動きまわって活躍している詩人で、掲出句はイタリア語訳付きの個人句集に収められている。ほかに「井戸水の生あたたかき聖母祭」「通夜更けて雨の重たし桜房」など繊細な句がならぶ。『月光を刈る』(2007)所収。(八木忠栄)


April 1742008

 つばな野や兎のごとく君待つも

                           鬼頭文子

色の穂がたなびく「つばな野」でうさぎのようにじっとうずくまって、あなたを待っていますよ。と愛しい人に呼びかけている。「君」は短歌でもおもに恋の歌に用いられる人称。「待つも」ととまどいを残した切れが、帰ってくるかどうかわからない人を待つ不安を反映させている。四月末から五月にかけて白い穂をたなびかせるつばな野は春の野に季節はずれの秋が出現したようで、不思議に美しい。遠くから見ると銀色に光る穂綿がうずくまる兔の背のように見えるだろう。膝下ぐらいの高さに群生するこの草が神社でくぐる「茅の輪」になるという。鬼頭文子の夫は絵の勉強のため単身フランスへ渡っていた。愛らしい兔に投影されている女の姿は不満を漏らさず男の帰りをじっと待つ女の愛のかたちでもある。「待つわ」という歌もあったが意地悪な見方をすれば、待っている自分のけなげさに酔っているようにも思える。待つ、待たれる男女の関係は今変化しているのだろうか。「春の風あいつをひらり連れてこい」とは20代の俳人藤田亜未の句集『海鳴り』(2007)の中の恋句。このような句を読むと湿りのない現代的な恋の感覚に思えるが、もう一方で「さくらんぼ会えない時間は片想い」と、呟くところをみると、半世紀を経ても、会えない時の心細さは文子と変わらないのかもしれない。『現代俳句全集』一巻(1958)所載。(三宅やよい)


April 1842008

 銀河系のとある酒場のヒヤシンス

                           橋 間石

のおかげでいろいろ乗り切ってこられたと大酒呑みだった父は酒への感謝をよく口にした。負け戦に駆り出されて爆弾の下を駆けずり回り、戦後は農地改革で家が崩壊し、いくつか職を変え、伴侶である僕の母は長患いで入院を繰り返し、馬鹿息子はいつも逆らって父を悩ました。酒が父のストレスのはけ口だった。俺が飲めなくなったらそんときは終わりだな。その言葉どおり飲めなくなってすぐお別れがきた。今現世の我らが飲んでいるところが銀河系の地球の日本のとある酒場。そういう意味ともうひとつ、夜空を見上げて銀河系の中に彼岸の人たちが集まる酒場を思ってみてもいい。どちらにしてもヒヤシンスなんか置いてあるんだからちょっと粋な酒場だ。僕などいつも飲む酒場はゴキブリや鼠が出る喧騒の安酒場。銀河系というより地獄の一丁目のような趣き。(作者の間石の間の正字は門構えの中に「月」)『季別季語辞典』(2002)所載。(今井 聖)


April 1942008

 春昼ややがてペン置く音のして

                           武原はん女

句の前に、小さく書かれている前書き。一句をなして作者の手を離れれば、句は読み手が自由に読めばよいのだが、前書きによって、作句の背景や心情がより伝わりやすい、ということはある。この句の場合、前書きなしだとどんな風に受け止められるのだろう。うらうらとした春の昼。しんとした時間が流れている。そこに、ことり、とペンを置く音。下五の連用止めが、この後に続く物語を示唆しているように感じられるのだろうか。ペンを置いたのは、作家大佛次郎。この句の作者、地唄舞の名手であった武原はん(はん女は俳号)の、よき理解者、自称プロデューサーであった。昨年、縁あってはん女の句集をすべて読む機会を得た。句集を年代を追って読んでいくというのは、その人の人生を目の当たりにすることなのだ、とあらためて知ったが、そうして追った俳人はん女の人生は、舞ひとすじに貫かれ、俳句と共にあった。日記のように綴られている句の数々。そんな中、「大佛先生をお偲びして 九句」という前書きがついているうちの最初の一句がこの句である。春昼の明るさが思い出として蘇る時、そこには切なさと共に、今は亡き大切な人への慈しみと感謝の心がしみわたる。〈通夜の座の浮き出て白し庭牡丹〉〈藤散るや人追憶の中にあり〉と読みながら、鼻の奥がつんとし、九句目の〈えごの花散るはすがしき大佛忌〉に、はん女の凛とした生き方をあらためて思った。『はん寿』(1982)所収。(今井肖子)


April 2042008

 おそく帰るや歯磨きコップに子の土筆

                           和知喜八

語はもちろん土筆。そういえば、土筆坊(つくしんぼ)と、なれなれしく呼ぶこともあるのでした。食用にもなるのでしょうが、私の記憶に残っているのは、子供の頃に、多摩川の土手に行ってひたすらに摘んだこと、あるいは掌に幾本も握ったまま走りまわったことです。もちろん大人になってからは、土筆を摘んだことも、握りしめたこともありません。日々のいそがしい生活の中に、このようなものが割り込む余地など、まったくありません。掲句に描かれているのも、私のような、残業続きの勤め人の日常なのでしょう。「おそく帰るや」と、字を余らせてもその疲れを表現したかったようです。深夜、駅で延々と行列を作って、やっと乗れたタクシーを降り、家にたどり着けば家族はすでに眠りに入っています。起こさないようにそっと扉をしめて、洗面所に向かいます。家に帰ってきたとはいえ、頭の中は依然として仕事のことで興奮しているのです。顔を洗ってさっぱりした目の前に、歯磨き用のコップがあるのはいつも通りとしても、コップから何かが顔をのぞかせているようです。目を凝らせば、土筆のあたまがちょこんとコップの中から出ています。そうか、子供たちは昨日土筆を摘んでいたのかと、話を聞かずとも、その日の子供の様子がまざまざと想像できます。のんびりとした遊びの想像に包まれて、お父さんはその夜、おだやかな眠りにはいってゆけたのです。『山本健吉俳句読本 第二巻俳句観賞歳時記』(1993・角川書店) 所載。(松下育男)


April 2142008

 おおかたを削り取られて山笑う

                           ながいこうえん

の句を読んで、思い出した話がある。ある営業マンが取引先の社長と舟釣りに出かけた。日ごろから、おそろしくおべんちゃらの巧い男として知られていた。ところが、あいにくと舟には弱い。たちまち船酔いしてしまい、辛抱たまらずに嘔吐をはじめてしまった。しかし、彼はがんばった。「げほげほっ」とやったかと思うとすぐに立ち直り「さすがは社長、すごい腕前ですねえ」と言ったかと思うと、またもや「げほげほっ」。ついには顔面蒼白になりながらも、「げほげほっ、……さすが……シャチョーッ、うまいもんだ、……げほっ、シャチョー、オミゴト、げほっ……、ニッポンイチーッ、……げほげほっ」。実話である。「おおかた(大部分)」の精気を奪われても、なお必死におのれの本分を貫き通す根性は、掲句の山も同じことだろう。この山は、絶対に泣き笑いしているのだ。健気と言うのか、愚直と言うのか、読者はただ「ははは」と笑うだけではすませられない「笑い」が、ここにある。『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


April 2242008

 掃除機は立たせて仕舞ふ鳥雲に

                           杉山久子

集には同じ季語を使った〈あをぞらのどこにもふれず鳥帰る〉という叙情的な魅力ある句もおさめられているが、掲句により惹かれるのは、それぞれの居場所ということについて唐突に考えさせられるところだ。掃除機は毎日使用されるものだが、その収納場所、おそらくそれはどの家庭でも部屋のどこかの片隅にすっきり納められたところで、生活空間が戻ってくる。春のある日、彼方へと飛び立つ鳥たちの姿を思い、鳥もまた雲へと消えたところが、正しい収まりどころであるかのような、漠然としたやりきれないわだかまりが、ほんのちらっと作者の胸をよぎったのだろう。その「ほんのちらっと」思う心が、年代や性別を越えて重なり合うことで、俳句にはさざなみのような共感を生まれる。壮大な自然の営みや、日常の瑣末な空虚感などにまったく触れることなく、しかしそれはいつまでも揺れ残るぶらんこのように、心の中に存在し続ける。「藍生」「いつき組」所属している作者の第二回芝不器男俳句新人賞の副賞として出版された本書は、写真との組み合わせで構成され、美しく楽しく値段も手頃。〈人入れて春の柩となりにけり〉〈白玉にやさしきくぼみあれば喰む〉『春の柩』(2007)所収。(土肥あき子)


April 2342008

 鶯もこちらへござれお茶ひとつ

                           村上元三

は「春告草」、鰊(にしん)は「春告魚」と呼ばれ、鶯は「春告鳥」と呼ばれる。鶯には特に「歌よみ鳥」「経よみ鳥」という呼び方もある。その姿かたちよりも啼き声のほうが古くから珍重され、親しまれてきた。啼くのはオスのほうである。鶯の啼く声を聞くチャンスは、そう滅多にないけれども、聞いたときの驚きと喜びは何とも言い尽くせないものがある。誰しもトクをした気分になるだろう。しかし、春を告げようとして、そんなにせわしく啼いてばかりいないで、こちらへきて一緒にゆっくりお茶でもいかが?といった句意には、思わずニンマリとせざるを得ない。時代小説家として売れっ子だった元三が、ふと仕事の合間に暖かくなってきた縁側へでも出てきて、鶯の声にしばし聞き惚れているのだろうか。微笑ましい早春のひとときである。「こちらへござれ」とはいい言葉だ。のどかでうれしい響きを残してくれる。妙な気取りのない率直な俳句である。何年前だったかの夏、余白句会の面々で宇治の多田道太郎邸にあそんだ折、邸の庭でしきりに鶯が啼いていたっけ。あれは夏のことだから老鶯だった。歓迎のつもりだったのか、美しい声でしきりに啼いてくれた。春浅い時季の鶯の声はまだ寝ぼけているようで、たどたどしいところがむしろ微笑ましい。元三には「重箱の隅ほじくつて日永かな」「弁慶の祈りの声す冬の海」などの句もあり、どこかしらユーモラスな味わいがあるのが、意外に感じられる。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


April 2442008

 パスポートにパリーの匂ひ春逝けり

                           マブソン青眼

しい海外旅行の経験しかないけど、パスポートを失くす恐ろしさは実感させられた。これがないと飛行機にも乗れないしホテルにも泊まれない。何か事が起きたとき異国で自分を証明してくれるのはこの赤い表紙の手帳でしかない。肌身離さず携帯していないと落ち着かなかった。母国から遠く離れれば離れるほどパスポートは重みを増すに違いない。『渡り鳥日記』と題された句集の前文には「渡り鳥はふるさとをふたつ持つといふ渡り鳥の目に地球はひとつなり」と、記されている。その言葉通り作者の故郷はフランスだが、現在は長野に住み、一茶を研究している。だが、時にはしみじみと母国の匂いが懐かしくなるのかもしれない。それは古里を離れて江戸に住み「椋鳥と人に呼ばるる寒さ哉」と詠んだ一茶の憂愁とも重なる。年毎に春は過ぎ去ってゆくけれど、今年の春も終わってしまう。「逝く」の表記に過ぎ去ってしまう時間と故郷への距離の遥かさを重ねているのだろうか。「パスポート」「パリ」と軽い響きの頭韻が「春」へと繋がり、思い入れの強い言葉の意味を和らげている。句集は全句作者の手書きによるもので、付属のCDでは四季の映像と音楽に彩られた俳句が次々と展開してゆく。手作りの素朴さと最先端の技術、対極の組み合わせが魅力的だ。『渡り鳥日記』(2007)所収。(三宅やよい)


April 2542008

 雨季来りなむ斧一振りの再会

                           加藤郁乎

雨の趣きとは異なって「雨季」には日本的ではない語感がある。鉞(まさかり)というと金太郎が浮かぶが斧というとどういうわけかロシアとか東欧が浮かぶ。僕だけだろうか。だからこの句、全体からモダニズムが匂う。雨季が今来ているところであろうよ、が雨季来りなむ。斧一振りはフラッシュバックへの導入。斧で殺されたトロツキーや、シベリア抑留捕虜の伐採の労働が瞬時にイメージされては消える。「再会」は記憶の中の過去との再会。そこは雨季がまさに訪れようとしている。歴史の流れと自分の過去が共有する「時間」を遡るのだ。モダニズムへの憧憬と深い内省と。この句所収の句集『球体感覚』の刊行年、一九五九年とはそんな年ではなかったか。「雨季来りなむ」と「斧一振り」と「再会」はそれぞれ現実的意味としての連関をもたないが、全体としてひとつのイメージを提供する。雨季との再会や人物との再会と取る読みもあろうが、僕はそうは取らない。もちろんこの雨季は季語ではない。『球体感覚』(1959)所収。(今井 聖)


April 2642008

 春陰や眠る田螺の一ゆるぎ

                           原 石鼎

陰について調べていた。影、が光の明るさを連想させるのに対して、陰、はなんとなく暗さを思わせるので、抽象的なイメージを抱いていたらそうではなく、花曇り、とほぼ同義で、春特有の曇りがちな天候のことだという。花曇りが桜の頃に限定されるのに対して、春陰はその限りではないが、陰の字のせいか確かに多少主観的な響きがある。日に日に暖かさを増す頃、曇り空に覆われた田んぼの泥の中に、蓋をぴったり閉じて冬を越した田螺がいる。固い殻越しにも土が温んでくるのを感じるのか、じっと冬眠していた田螺は、まだ半分は眠りの中にありながらかすかに動く、なんてこともあるのではないかなあ、と作者自身、春眠覚めやらぬ心地で考えているのか。あるいは、ほろ苦い田螺和えが好物で、自ら田螺取りに行ったのか。いずれにしても、つかみ所なく広々とした曇天と、小さな巻き貝のちょっぴりユーモラスな様子が、それぞれ季語でありながらお互い助け合い、茫洋とした春の一日を切り取って見せている。『花影』(1937)所収。(今井肖子)


April 2742008

 春の蛇口は「下向きばかりにあきました」

                           坪内稔典

うしてこの句に惹かれるのだろう、というところから考えはじめなければならないようです。文芸作品に接するとき、通常は、言葉で巧みに描かれた「意味内容」に、心を動かされるものです。しかし、掲句を読むかぎり物事はそう単純ではないようです。意味はわかりやすくできています。蛇口というのはたいてい下向きについているものですが、人か、あるいは蛇口自身が、ある日、そのことにもう飽きたといいだしたのです。たしかに、だれもなんとも思わないものを、このようにとり上げられれば、そうかそんな見方もあるのかという驚きは感じます。しかし、この句に惹かれる理由は、それだけではないようです。また、「春の」とあるように、のんびりとした雰囲気の中で、深刻なことは考えないで、水のこぼれている栓のゆるい蛇口でも眺めていようよという、心地のよいちからのぬけかたも感じます。しかし、それだけでもなさそうです。たぶん、俳句という、ここまでは言い切ってしまったけれども、ここから先はどんなふうに書きついでも台無しになる世界、そこにこそ、私は惹かれるのかなと、思うのです。『現代の俳句』(1993・講談社)所載。(松下育男)


April 2842008

 メーデーの手錠やおのれにも冷たし

                           榎本冬一郎

ーデーが近づいてきた。と言っても、近年の連合系のそれは四月末に行われるので、拍子抜けしてしまう。メーデーはあくまでも五月一日に行われることに大きな歴史的な意義があるのだ。このたった一日の労働者の祭典日を獲得するまでに、世界中の先輩労働者たちがいわば血と汗で贖った五月一日という日付を、そう簡単に変えたりしてよいものだろうか。私は反対だ。句の作句年代は不明だが、まだメーデーに「闘うメーデー」の色彩が濃かった頃の句だと思われる。家族連れが風船片手に参加できるような暢気な状況ではなかった。作者は警察官の立場から詠んでいるわけだが、所持した手錠を何度も触って確認している図は、おのずからメーデー警備の緊張感を象徴している。触って冷たいのだから、まだ祭典が始まる前の朝早い時間かもしれない。手錠は心理的にも冷たく写るので、やがて遭遇することになるデモ隊からは、所持者たる警察官にもそれこそ冷たい視線が浴びせられることになるだろう。作者はそのことを十分承知しながらも、しかし「おのれにも」冷たいのだと言っている。触感だけではなく、心理的にもだ。作者は苦学して警察官になったと聞く。だから、民間労働者の苦しみもよくわかっている。立場の違いがあるからといって、そのような人々と争いたくはない。できれば手錠を使う機会がないことを願うばかりなのだ。そんな気持ちの葛藤が、作者をして心理的にも手錠を冷たく感じさせる所以だと読めてくる。『現代歳時記・春』(2004年・学習研究社)所載。(清水哲男)


April 2942008

 春昼や魔法の利かぬ魔法瓶

                           安住 敦

空状態を作って保温するという論理的な英語「vaccum bottle」に対し、何時間でもお湯が冷めない現象に着目し、日本では「魔法瓶」と命名された。どんなものにもよく書けるマジックインキ、愛犬に付いた草の実(おなもみ)がヒントとなったマジックテープなども、従来にない不思議な力を強調した「魔法/マジック」の用法だが、「魔法瓶」はなかでも突出して絶妙なネーミングである。他にも、来週に控える「黄金週間」やめくるめく「万華鏡」なども腕の立つ日本語職人の手になるものと思われる。掲句は、茶の間に鎮座するポットの仰々しいネーミングにくすりと笑う大人の視線だが、いかにもうららかな春の昼であることが、笑いを冷笑から、ユニークな名称の背景にある人間の体温を感じさせている。希代の発明でもあった魔法瓶だが、落とすと割れてしまうという頑丈さに欠ける一面と、1980年代の水を入れると自動的に沸かし、そのまま保温できる電気ポットの登場で、またたく間に姿す。わずか後十数年で「魔法」の名を返上することになろうとは作者にも思いもよらぬことだったろう。しかも最近では、自販機で「あたたかい天然水」が売られている。飲料水を持ち歩くのがごく普通になった現代ではことさら驚くことではないのかもしれないが、白湯の出現にはいささかびっくりした。『柿の木坂だより』(2007)所収。(土肥あき子)


April 3042008

 真実の口に入れたし春の恋

                           立川志らく

ーマにある、あの「真実の口」である。サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の柱廊にあって、今や観光スポットの一つ。一見無気味な海神トリトーネの顔が口をあけていて、そこへ手を突っこむ。「ウソつきは噛まれる」という愉快な言い伝えがある。私も旅行した際、右手を突っこんだが、幸い噛まれなかった。噛まれなかったことも含めて、その時の私の印象は「がっかり」の一言。ローマ時代の下水溝の蓋だったという説がある。ま、どうでもよろしい。掲出句は恋人同士で手を入れたわけではない。「入れたし」だからまだ入れていなくて、恋人の片方が相手の「真実」をはかりかねていて、試してみたいという気持ちなのだろう。女の子同士や夫婦の観光客が、陽気に手を入れたりしているようだが、そんなのはおもしろくもない。愛をまだはかりかねていて「入れたし」という、ういういしい恋人同士だからスリリングなのだ。しかも、ここは「春の恋」だから、あまりねっとりと重たくはない気持ちがうかがわれる。「真実の口」は言うまでもなく映画「ローマの休日」で有名になってしまった。志らくは映画監督と劇団員の合同句会を毎月開催していて、その宗匠。志らくの「シネマ落語」はよく知られているが、シネマ俳句も多い。「抹茶呑む姿はどこか小津気どり」「晩春や誰でもみんな原節子」などの句があり、曰く「小津は俳句になりやすいが、黒澤は俳句になりません」と。「真実の口」はミッキー・カーチスに似ている、とコメントしている。ハハハハ♪「キネマ旬報」(2008年2月上旬号)所載。(八木忠栄)




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