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May 2452008

 径白く白夜の森に我をさそふ

                           成瀬正俊

本では体験できないが、白夜は夏季。白夜(はくや)とルビがあり、調べると、びゃくや、が耳慣れていたが、本来は、はくや。「南極や北極に近い地方で、それぞれの夏に真夜中でも薄明か、または日が沈まない現象」(大辞林・第二版)とある。地軸が公転面に対して、23.4度傾いていることから、緯度が66.6度近辺より高い地域で起こる現象だが、理論はさておき、どことなく幻想的である。東山魁夷の「白夜光」は、彼方の大河をほの白く照らす薄明と、手前に広がる河岸の森の深緑が、見たことのない白夜のしんとした広がりを目の当たりにさせる。掲出句を含め四句白夜の句があり、作者も北欧へ旅したのだろう。北緯60度位だと、北から上った太陽は、空を一周して北に沈むという。そして地平線のすぐ下にある太陽は、大地に漆黒の闇をもたらすことはない。それでもどこか暗さを秘めている森に続く道、まるで深海にいるかのような浮遊感にとらわれるという白夜の森へ、作者は迷い込んで行ったのだろうか。ノルウェーのオスロ(北緯60度)の、5月24日の日の入りは午後8時20分、5月25日の日の出は午前2時14分で、夏至をほぼ一ヶ月後に控え、そろそろ白夜の季節を迎える。『正俊五百句』(1999)所収。(今井肖子)


April 0242011

 初花となりて力のゆるみたる

                           成瀬正俊

の時期、ソメイヨシノを見上げて立ち止まること幾たびか。花を待つ気持ちが初花を探している。今にも紅をほどかんとしているたくさんの蕾を間近でじっと見ているとぞわぞわしてくるが、それは黒々とした幹が溜めている大地の力を感じるからかもしれない。初花、初桜は、青空に近い枝先のほころびを逆光の中に見つけることが多い。うすうすと日に透ける二、三輪の花は、まさにほっとゆるんだようにも見える。そしてほどけた瞬間から、花は散るのを待つ静かな存在になる。蕾が持っていた力は一花一花を包みながら、やがて満開の桜に漲っていく。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


April 1942014

 落花いま紺青の空ゆく途中

                           成瀬正俊

朝ベランダから見ていた遠桜も緑になれば一枚の景に紛れてしまう。いつもなら、代わって盛りとなった花水木の並木道を歩きながら桜のことはとりあえず忘れてゆくのだが、今年は複雑な思いが残った。それは先週末、吉野山で満開の山桜に圧倒されていたからだ。しかも、二日間居てその万朶の桜が全くゆるがず、信じられないほど散らなかったのだ。散ってこその花、とは勝手な言い草ではあるけれど、これほどの桜が花吹雪となって谷に散りこんだら、という思いを抱いたまま帰途につき今日に至った。そして、未練がましいなと思いながら『花の大歳時記』(1990・角川書店)の「落花」の項を見ていて、掲出句の生き生きとした描写に一入惹かれたというわけだ。青空を限りなく渡ってゆく花、その風の中にいるような心地は、途中、の一語が生むのだろう。花の吉野山に湧き上がっていた桜色を心の中で一斉に散らせて、いつかそんな風景に出会えることを願っている。(今井肖子)




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