2008N7句

July 0172008

 歩荷くる山を引き摺るやうに来る

                           加藤峰子

日富士山のお山開き。夏山登山がシーズンを迎える。歩荷(ぼっか)とは、ヒマラヤ登山のシェルパ族や、新田次郎の小説『強力(ごうりき)伝』で登場する荷物を背負って山を越えたり、山小屋へ物資を届けたりする職業である。現在ではヘリコプターが資材運搬の主流となり、歩荷は山岳部の学生や登山家がトレーニングを兼ねて行っているというが、以前は過酷な労働の最たるものだった。実在のモデルが存在する『強力伝』で、富士山の強力小宮正作が白馬岳山頂に運んだ方位盤は50貫目(187.5kg)とあり、馬でさえ荷を運ぶときの上限は30貫目(112.5kg)だったことを思うと、超人と呼べる肉体が必要な職業だろう。立山連峰で歩荷の経験のある舅に当時の思い出を聞くと、ぽつりと「一回に一升の弁当がなくなる」と言った。歩荷の経験が無口にさせたのか、無口でなければ歩荷は勤まらないのか定かではないが、口が重いこともこの職業に共通した大きな特徴であるように思われる。食べては歩く、これをひたすらに繰り返し、這うように進む。眼下に広がるすばらしい景色や、澄んだ空気とはまったく関係なく、道が続けば歩き、終われば目的地なのだ。掲句では上五の「くる」で職業人としての歩荷を描写し、さらに下五で繰り返す「来る」でその存在は徐々に大きくなって迫り、容易に声を掛けることさえためらわれる様子が感じられる。歩荷は山そのもの、まるで山に存在する動くこぶのような現象となって、作者の目の前をずっしりと通り過ぎて行ったのだろう。『ジェンダー論』(2008)所収。(土肥あき子)


July 0272008

 不機嫌にみな眠りをり夏の汽車

                           徳川夢声

ちろん観光などといったしゃれた旅ではない。夢声のことだから、仕事での旅で夜汽車に揺られているものと思われる。御一行はもはやお互いによく知った顔ぶれであって、特に珍しくもないし、もちろん気をつかう必要もない。仕事の疲れと夏の暑さゆえに、みなくたびれて無口になり、不機嫌な様子で目を閉じているのだろう。といって、本気で眠りに落ちているわけではあるまい。現在のような冷房車ならともかく、せいぜい扇風機がカタカタまわっている車内は、暑くてやりきれない。座席だって居心地良くはない。起きていてもつまらないから、無理に眠ろうとしてみるのだが、なかなか眠れそうにもない。句からは面々の不機嫌な様子が見てとれるのだけれど、どこかしら可笑しさも拭いきれないところが、この句の味わいである。作者も「やりきれんなあ」と内心で呟きながら、そこに少々の苦笑も禁じえない。快適な汽車の旅をただ満喫してはしゃいでいるようでは、詩にも俳句にもなろうはずがない。せいぜい今はやっているテレビの旅番組の、いい気なワン・シーンにしかならない。掲出句のような光景は、なかなかお目にかからないことになってしまった。♪今は山中、今は浜、今は鉄橋わたるぞと・・・・の歌が皮肉っぽく聴こえてくるようではないか。夢声には「青き葉のあまりに青し水中花」という涼しい夏の句もある。また2冊の句集『句日誌二十年』『雑記・雑俳二十五年』がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 0372008

 札幌の放送局や羽蟻の夜

                           星野立子

幌の放送局に羽蟻がいる。ふと目に留めたただそれだけのことが俳句になる秘密ってどこにあるのだろう。さりげなく何の仕掛けもないこうした俳句を見るたび不思議になる。作者が立子だから、という名前の効果もあるだろうけど、のびやかで風通しの良い句の持ち味はこの作者独自のものだ。むかし羽蟻が出ると家が崩れる、と聞き恐ろしくなった。たかだか蟻のくせに家を傾かすとは。家で見かけるのと同じ小さな羽蟻が遠く離れた札幌にいること、おまけにそこが近代的な機械を完備した冷え冷えとした放送局であるそのミスマッチがなんとも言えずおかしい。普段とは違う場所にいてもささやかな気づきをすらりと俳句に詠める力の抜きかげんはうらやましい限りである。新しいものを柔軟に受け入れる精神をモダンというなら、立子はいきいきと時代の素材を生かした句を作っていたように思う。『季寄せ』(1940・三省堂)所載。(三宅やよい)


July 0472008

 牛冷すホース一本暴れをり

                           小川軽舟

い頃、父に牛の品評会に連れて行ってもらった記憶がある。真黒な牛ばかりだったような。磨き込んだ牛の黒は独特、てらてらとして美しく輝く。農耕用の牛は泥だらけ。農作業のあと川や海に入れて体を冷す。牛の漫画をよく書いた谷岡ヤスジは一時売れに売れて、過労死のごとく早世してしまった。「オラオラオラ」や「鼻血ブー」が流行語になり、キャラクターとしては「バター犬」と並んで煙管をふかす牛「タロ」が一世を風靡した。牛の風貌はどことなくユーモアが漂う。牛を洗っているホースが暴れている。冷されている牛の方にではなくホースに焦点が当たっているところがこの句の新味である。『近所』(2001)所収。(今井 聖)


July 0572008

 紫陽花の浅黄のまゝの月夜かな

                           鈴木花蓑

黄色は、古くは「黄色の浅きを言へるなり」(『玉勝間』)ということだが、浅葱色とも書いて、薄い藍色を表すようになった。今が盛りの紫陽花の、あの水よりも水の色である滴る青は、生花の色というのが不思議な気さえしてくる。梅雨の晴れ間、月の光に紫陽花の毬が浮かんでいる。赤みがかった夏の月からとどく光が、ぼんやりと湿った庭全体を映し出して、山梔子の白ほどではないけれど、その青が闇に沈まずにいるのだろう。紫陽花と一緒になんとなく雨を待っている、しっとりとした夜である。初めてこの句を「ホトトギス雑詠撰集・夏の部」で読んだ時は、あさぎ、とひらがなになっていて、頭の中で、浅葱、と思ったのだったが、こうして、浅黄、となっていると、黄と月が微妙に呼び合って、ふとまだ色づく前の白っぽい色を薄い黄色と詠んだのかとも思った。が、じっと思い浮かべると、やはり紫陽花らしい青ではないかと思うのだった。代表句とされる〈大いなる春日の翼垂れてあり〉の句も印象深い。「新日本大歳時記・夏」(2000・講談社)所載。(今井肖子)


July 0672008

 庶務部より経理部へゆく油虫

                           境野大波

ぜ油虫の行き先が経理部なのかと、真っ先に引っかかったのは、わたしが長年経理部で働いているからなのでしょう。庶務部と経理部に、作者がどれほどの思い入れをしてこの句を詠んだのかはわかりません。ただ、経理で日々苦労を重ねてきたものとしては、つい余計なことを考えてしまいます。経理というのは(庶務も同様ですが)仕事の性質上、どんなに完璧に業務をこなしても、営業のようにはなかなか評価してもらえません。と、愚痴はここまで。本題に戻ります。油虫というと、どうしても家の台所を考えがちですが、仕事場にも確かに出ることはあるわけです。廊下の端をすばやくはしり、部屋の中へ消えて行く様子が、目に見えるようです。句の意味はそれだけのことですが、これも確かに季節を感じる心情に違いはありません。こんな瑣末な思いを積み重ねて、日々は成り立っているわけです。ところで、仁平勝さんはこの句の解説に、次のように書いています。「いつも庶務部と経理部をウロウロして、女子社員に軽口をたたいているような男がいる。」つまりそのような男のことも、油虫の意味には含まれているというのです。気がつきませんでした。ともかく男たるもの、せめて職場で「あぶらむし」呼ばわりされぬように、気をつけましょう。『日本の四季 旬の一句』(2002・講談社)所載。(松下育男)


July 0772008

 花火尽き背後に戻る背後霊

                           加藤静夫

える句だ。霊界にはからきし不案内だが、ネットで拾い読みしたところでは、背後霊は守護霊の子分みたいな位置づけらしい。どんな人にも当人を守る守護霊一体がついているのだが、守護霊一体だけでは本人の活動範囲全般にわたって効果的に守護することは難しいので、守護霊を補佐するような形で背後霊がついている。背後霊は二、三体いるのが普通で、たいていは先祖の誰かの霊なのだそうだ。この句では、それがあろうことか花火見物(手花火をやっているのかもしれないが、同じことだ)に来ている当人をさしおいて、背後から前面に出て見ほれてしまい、打ち上げが終わったところであわてて所定の位置である背後に戻って行ったと言うのである。背後霊は神ではないので、こんなこともやりかねない。花火に夢中になっている間に財布をすられるなんぞは、たいてい背後霊がこんなふうに持ち場を離れたせいなのだろう。しかし背後霊は先祖の誰かのことが多いのだから、あまり文句を言うわけにもいかないし……。作者は、ユーモア感覚を詠みこむのが巧みな人だ。こういう句を読むと、俳句にはもっともっと笑いの要素やセンスが取り込まれるべきだと思う。蛇足ながら、自分の背後霊を具体的に教えてくれるサイトがある。むろん先祖の名が出てくるのではないけれど、興味のある方はここからどうぞ。『中肉中背』(2008)所収。(清水哲男)


July 0872008

 夏ぐれは福木の路地にはじまりぬ

                           前田貴美子

ぐれは、夏の雨、それも「ぐれ=塊」と考えられることから、スコールを思わせる勢いある雨をいう。潤い初めるが語源という「うりずん」を経て、はつらつと生まれたての夏を感じる「若夏(ワカナチ)」、真夏の空をひっくり返すような「夏ぐれ(ナチグリ)」、そしてそろそろ夏も終わる頃に吹く「新北風(ミイニシ)」と季節は移る。うっかりすると盛夏ばかり続くように思える沖縄だが、南国だからこそ豊かで魅力的な夏の言葉の数々が生まれた。福木(フクギ)もまた都心では聞き慣れない樹木だが、沖縄では街路樹などにもよく使われているオトギリソウ科の常緑樹である。以前沖縄を旅していると、友人が「雨の音がするんだよ」と福木の街路樹を指さした。意識して耳を傾ければ、頑丈な丸い葉と葉が触れ、パラパラッというそれは確かに降り始めの雨音に似ていた。わずかな風でも雨の音を感じさせる木の葉に、実際に大粒の雨が打ち付けることを思えば、それはさぞかし鮮烈な音を放つだろう。激しい雨はにぎやかな音となって、颯爽と路地を進み、さとうきび畑を分け、そしてしとどに海を濡らしている。〈若夏や野の水跳んで海を見に〉〈我影に蝶の入りくる涼しさよ〉〈甘蔗時雨海をまぶしく濡らしけり〉跋に同門であり、民俗学に精通する山崎祐子氏が、本書に使用されている沖縄の言葉についてわかりやすい解説がある。『ふう』(2008)所収。(土肥あき子)


July 0972008

 蝉しぐれ捨てきれぬ夢捨てる夢

                           西岡光秋

歳になっても夢をもちつづける人は幸いである。しかし、一つの夢を実現させたうえで、さらに新たな夢をもつこともあれば、一つの夢をなかなか果せないまま齢を重ねてしまう、そんな人生も少なくない。掲出句の場合は、後者のように私には思われる。捨てきれない夢だから、なかなかたやすく捨てることはできない。たとえ夢のなかであっても、その夢を捨てることができれば、むしろホッと安堵できるのかもしれない。それはせめてもの夢であろう。けれども、現実的にはそうはいかないところに、むしろ人間らしさがひそんでいるということになるか。外は蝉しぐれである。うるさいほどに鳴いている蝉の声が、「夢ナド捨テロ」とも「夢ハ捨テルナ」とも迫って聴こえているのではないか。中七・下五は「捨てきれぬ夢」と「捨てる夢」の両方が、共存しているという意味なのではあるまい。それでは楽天的すぎる。現実的に夢を捨てることができないゆえ、せめて夢のなかで夢を捨ててしばし解放される。そこに若くはない男の懊悩を読むことができる。だから二つの夢は別次元のものであろう。手元の歳時記に「蝉時雨棒のごとくに人眠り」(清崎敏郎)という句があるが、「棒のごとくに」眠れる人はある意味で幸いなるかな。光秋には「水打つて打ち得ぬ今日の悔一つ」という句もある。『歌留多の恋』(2008)所収。(八木忠栄)


July 1072008

 青芒川風川にしたがはず

                           上田五千石

の句を読んだときいっぺんに目の前がひらける感じがした。山登りでちょっとした岩場に出て今まで林に閉ざされていた景色がパノラマで広がる、そんなすがすがしさと似ている。自然を描写した句は多いけど、すかっと気分がよくなる吟行句は案外少ない。川そばの青芒が強い川風にいっせいになびいている。その風向きと川が流れてゆく方向が違う。と、字面だけを追ってゆくと理屈だけになってしまうこの句のどこに引かれるのだろう。川の流れが一望できる高台で、視覚だけでなく頬を打つ風の感触で作者は眺望を捉えているのだ。夏の日にきらめく川の流れる方向に心を乗せて、かつ青芒をなびかせる風を同時に感じた時ひらめいた言葉が作者の身体を走ってゆく。リズムのよいこの句のすがすがしさは、広がる景の空気感を言葉で捉えなおした作者の心の弾みがそのままこちらに伝わってくるからだろう。その時、その場でしか得られない発見の喜びが景の描写に輝きと力を加えているように思う。『遊山』(1994)所収。(三宅やよい)


July 1172008

 鳥逐うてかける馬ある夏野かな

                           松尾いはほ

レビで動物の番組が見られなくなった。動物の悲惨は見るに耐えないが、最近は、動物の生態を撮った映像もだめ。こんな穴の中の住処までカメラを入れなくてもとか、この芸を覚えるのはかなりしんどかったろうな、などと考えるともうだめだ。これはやはり老化と関係するのだろう。舞台に子役が上がるとそれだけて泣いてしまうお婆ちゃんと同じだ。脚本家はここで泣かせようと意図して場面をつくる。泣けよ、泣けよ、ほうら、泣いた、やっぱりね。というふうに。それに嵌るのが、ボタンを押されたら涙が出るロボットみたいで悔しいから、定番の罠にかからないようにする。ここで泣かせようとするだろうと先手を打つわけである。俳句もほうら美しいでしょとか、見事に取り合わせが決まったでしょと主張する作品には魅力がない。罠に嵌められた感じがするんだな。意図された感動つまり従来の情緒を嫌って「もの」そのものを求めていくと、いつか鋏や爪切りがそこに在ることの哀しさや喜びを詠えるようになるのかななんて考える。逐うてはおうて。鳥を追って駆ける馬には嘘がない。それを写し取る作者の意図も抑制されている。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


July 1272008

 干梅や家居にもある影法師

                           山本洋子

供の頃に住んでいた家には梅の木があり、毎年たくさんの実をつけた。縁側にずらりと梅の実が干されていたのは梅雨が明けてから、もうすぐ夏休みという、一年で一番わくわくする時期だったように思う。この句の梅は、外に筵を敷いて干されているのだろう。小さな梅の実にはひとつずつ、濃い影ができている。影は、庭の木に石に、ひとつずつじっと寄りそい、黒揚羽と一緒にやぶからしのあたりをひらひらしている。干している梅の実がなんとなく気にかかって、日差しの届いている縁側あたりまで出てくると、それまでひんやりとした座敷の薄暗がりの中でじっとしていた影法師が姿を見せる。影法師という表現は、人の影にだけ使われるという。寓話の世界では、二重人格を象徴するものとして描かれたりもするが、じっと佇んで影法師を見ていると、どこにでもついてくる自らの形を忠実に映している黒々としたそれが、自分では気がついていない心の奥底の何かのようにも思えてくる。『木の花』(1987)所収。(今井肖子)


July 1372008

 子が沈め母がしづめて浮人形

                           成田清子

のとしては知っていても、そこにきちんとした名前があてがわれていることを知りませんでした。言葉があとからやってくる、という体験を、この歳になってもするものだなと、思いました。子供の頃に行水や風呂に入って浮かばせて遊んだおもちゃを、「浮人形」と言うのかと、あらためて日本語のひそやかさに感心しました。歳時記にもその記載がありますが、ビニール製のものよりも、やはり思い出すのはブリキ製の金魚でしょうか。毒々しいまでに濃く色づけられた目の大きな金魚の顔を、今でも覚えています。句は、夏の日盛りの下の行水ではなく、日が落ちてからの風呂場の光景のようです。一日の汗をぬぐって、母親と小さな子供が風呂に入っています。どんな場所も遊び場にしなければ気がすまない子供が、浮人形に興じています。けれど、目の前の水面に浮いているものがあれば、母親とて、手のひらで上から押して沈めてみたいという気持ちがおきます。子供の直接的な「沈め」という動作を、わざわざひらがなの「しづめ」と書き換えているところに、母親のおもむろな動きを感じます。浮き上がろうとするおもちゃの力を、心地よく感じながら、同じ動作を子供と幾度も繰り返します。飛び上がるように浮いてくるおもちゃの勢いのよい姿は、それだけでその日の鬱屈を、いくらかは鎮めてくれているようです。『角川 俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


July 1472008

 向日葵に路面電車の月日かな

                           藤城一江

年も、向日葵が勢いよく咲く季節になった。向日葵に限らず夾竹桃も百日紅なども、夏の花はみな元気だ。そんな向日葵が咲きそろった舗道を、路面電車が通過していく。この電車、相当に古びているのだろう。レール音も、心なしか喘いでいるように聞こえる。この街に住んで長い作者は、その昔、まだ電車が向日葵を睥睨するようにして、颯爽と走っていた時代を知っているのだ。それが年を経るうちに、いつしか立場は逆転して、いまや路面電車に精気はほとんど感じられない。かたや向日葵は、毎夏同じように精気にあふれているのだから、いやでも電車の老朽化を認めないわけにはいかなくなってきた。すなわち、それは作者自身の老齢化の自己認知にもつながっているのであり、なんでもないようなありふれた光景にも、このように感応する人は感応しているのである。路面電車といえば、広島市内には、かつての各地の路面電車の車両が当時そのままの姿で走っている。以前同市を訪れた際に、あまりの懐かしさに行く宛もないまま、昔の京都スタイルの市電に乗ってしまったのだった。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


July 1572008

 火曜日は原則としてプールの日

                           山本無蓋

日火曜日。「原則として」などといかめしく始まる斡旋に、わが火曜日に何ごとが起こるのかと身構えてみれば、ごくカジュアルに「プールに行く日」なのだという。作者が大真面目であればあるほど、とぼけたおかしみに吹き出しながら、ここは火曜日に発見があるのではないかと気づく。月曜日の憂鬱もなく、週末への期待にもほど遠く、一週間のなかでもっとも意味を持たれにくい曜日である。日曜日に市場に出かけ〜♪で始まるおなじみのロシア民謡『一週間』でも、月曜日にせっせと準備したお風呂に、火曜日はただ入るだけという気楽な設定である。まったく印象の薄い曜日だと納得していたが、最近「スーパーチューズデー」で一躍火曜日が注目された。アメリカ合衆国では選挙投票日が必ず火曜日に設定されている。これは19世紀半ばから続く慣習で、キリスト教では日曜日が安息日とされていることから、月曜日に投票場へと出発し、どんなに遠隔地からでも火曜日には到着しているあろうという、なんとも先のロシア民謡的ゆるやかな理由からなるものだった。ともあれ、火曜日は予定もなんとなく空いているような虚ろな曜日であることは間違いなく、掲句も心に固く決めておかないと突発的残業やら突発的飲み会などの優先順位についつい負けてしまうのだろうな。『歩く』(2008)所収。(土肥あき子)


July 1672008

 雲ひとつ浮かんで夜の乳房かな

                           浅井愼平

季句。季語はないけれども厳寒の冬ではなく、春あるいは夏の夜だろうと私には思われる。まだ薄あかるく感じられる夜空に、白い雲が動くともなくひとつふんわりと浮かんでいる。雲というものは人の顔にも、動物の姿などにも見てとれることがあって、それはそれでけっこう見飽きることがない。雲は動かないように見えていて、表情はそれとなく刻々に変化している。この句の場合、雲はふくよかな乳房のように愼平には感じられたのであろう。対象を見逃さない写真家の健康な想像力がはたらいている。遠い夜空に雲がひとつ浮かんでいて、さて、目の前には豊かな乳房があらわれている――という情景ととらえてもよいのかも知れない(このあたりの解釈は分かれそうな気がする)。そうだとしても、この句にいやらしさは微塵もない。夜空の雲を見あげる写真家の鋭いまなざしと、豊かな想像力が同時に印象深く感じられる。カメラのピントもこころのピントもぴたりと合っていて、確かなシャッターの音までもはっきりと聞こえてきそうである。「色のなき写真の中のレモンかな」という別の句にも、同様に写真家によるすっきりした構図といったものが無理なく感じられる。『夜の雲』(2007)所収。(八木忠栄)


July 1772008

 炎天より入り来し蝶のしづまらず

                           松村禎三

戸さえろくになかった昔、暑くなってくれば縁側のガラス戸を全開にして庭からの風を招き入れた。くらっとくる炎天の明るさに比べ、軒深く電気をつけない家の座敷は暗かった。白昼の家はひっそりと物音もせず、箪笥の向こう側や廊下の陰に誰かが潜んでいそうで、一人で留守番するのが怖かった。掲句の情景には覚えがある。蝶だけではない、スズメやカナブンなど、いろんな生き物が家の中に入ってきた。今まで自分が自由に振舞っていた世界とは明らかに異質の空間に迷い込んだことに、驚いているのは迷い込んだ生き物自身だろうが、いたずらに騒いで見当違いな場所へ身体と打ちつけるばかりで、なかなか外へ出ることが出来ない。暗い部屋に飛びこんできた蝶の動きを目で追っている作者。結核にかかり音楽家としての将来を一時断念するかたちで若くして療養所に入らなければならなかった彼は、音楽の師池内友次郎の導きで俳句をはじめた。希望にあふれた人生から一転、病臥療養の生活へ追い込まれた自身の焦燥感を行き場を失った蝶に重ねているのか、いつまでも静まらない蝶の羽ばたきを凝視している作者の視線を感じる。『松村禎三句集』(1977)所収。(三宅やよい)


July 1872008

 紅の花枯れし赤さはもうあせず

                           加藤知世子

の花が夏に枝の先に黄色の花をつけ、しだいに赤色に変化してゆく。赤色になった紅の花はやがて枯れてしまうが、枯れてしまった赤さはもう色褪せることはないと作者は事実を言う。これは事実だが作者の思いに聞こえる。どういう思いか。それは命が失われてもその赤が永遠に遺されたという感動の吐露である。花の色はそのまま人間の生き方の比喩になる。眼前の事物を凝視することから入って、人生の寓意に転ずる。これは「人間探求派」と呼称された俳人たち、特に加藤楸邨、中村草田男の手法について言われてきたことだ。「人間探求派」の出現の意義は反花鳥諷詠、反新興俳句にあった。だから従来の俳趣味に依らず、近代詩的モダニズムに依らずの新しいテーマとして、写実を超えたところに「文学的」寓意を意図したのだった。加藤楸邨理解としてのこの句に盛られた寓意は手法として納得できる。一方で楸邨は「赤茄子の腐れてゐたるところより幾許もなき歩みなりけり」の齋藤茂吉の短歌を自分の目標として明言している。茂吉の腐れトマトの赤は寓意に転じない。もっと視覚的で瞬間的な事物との接触である。この知世子句のような地点の先に何があるのか、そこを探ることが「人間探求」の新しい歴史的意味を拓いていくことになる。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


July 1972008

 祗園会に羽化する少女まぎれゆく

                           津川絵理子

女が羽化する、という表現は特に目新しいものではないのかもしれないが、少女は羽化する生きものである。さなぎの沈黙の中で、日々大きく変わってゆく少女とは、十代半ば、中学生位だろうか。まだランドセルが似合いそうな新入生が、中学卒業の頃には確かに、明日から高校生、という面差しとなる。それから自分自身を、一人の人間としてだけでなく、一人の女として意識せざるを得なくなり、少女の羽化が始まる。それは、さなぎが蝶になる、といったイメージばかりではなく、たとえば鏡の中の自分の顔をあらためて見ながら、小さくため息をついたことなど思い出される。生まれながら無意識のうちに、自分が男であるという自覚を持っている男性に対して、女性は自分が女であることを、ある時ふと自覚する。そんな瞬間が来るか来ないかといった頃合の少女は、軽やかな下駄の音を残して、作者の横をすりぬけ、祭の賑わいの中へまぎれ消えてゆく。祇園会は、七月一日からさまざまな行事が約一ヶ月続き、十七日の山鉾巡行がクライマックスといわれる勇壮な祭。いつにも増して観光客が多い京都の夏、そこに生まれ育って女になってゆく少女達である。『和音』(2006)所収。(今井肖子)


July 2072008

 胸に手を入れて農婦は汗ぬぐふ

                           佐藤靖美

つて読んだ本の中に、こんなことが書いてありました。「「ゾウが汗だく」とか「ライオンが額に汗して……」なんて光景は、ついぞお目にかかったことがない。」そういえばそんなものかと思い、続きを読むと、なぜ人間以外の動物が、汗だくにならないかという理由が書かれていました。いわく、「決定的な答えはひとつ。動物たちは、汗をかいてまで体温を下げなくてはならないようなことを、しないだけだ。」(加藤由子著『象の鼻はなぜ長い』より)。さて、本日の句を読むまでもなく、人間は汗をかいてまで体温を下げなくてはならないようなことを、しているわけです。無理をしなければ生きていけないのが人間、ということなのでしょうか。言うまでもなく、句中の農婦が汗をかいたのには、堂々たる理由があります。農作業中に「胸に手を入れて」汗を拭くという行為は、その動きの切実さゆえに、読者を感動させるものを持っています。まっとうな行為としての重みと尊厳を、しっかりと備えているからなのでしょう。みっともないとか、見た目が悪いとかの判断よりもずっと奥深くにある、人間の根源的な営みを、句は正面から詠もうとしています。『角川 俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


July 2172008

 暑うしてありありものの見ゆる日ぞ

                           今井 勲

者は私と同年。昨夏、肝臓ガンで亡くなられたという。句は亡くなる前年の作で、何度も入退院を繰り返されていたが、この頃は比較的お元気だったようだ。が、やはりこの冴え方からすると、病者の句と言うべきか。暑くてたまらない日だと、たいていの人は、むろん私も思考が止まらないまでも、どこかで停止状態に近くなる。要するに、ぼおっとなってしまう。でも作者は逆に、頭が冴えきってきたと言うのである。「見ゆる日ぞ」とあるから、暑い日にはいつも明晰になるというわけではなく、どういうわけかこの日に限ってそうなのだった。ああ、そうか。そういうことだったのか。と、恐ろしいほどにいろいろなことが一挙にわかってきた。死の直前の句に「存命の髪膚つめたき真夏空」があり、これまた真夏のなかの冷徹なまでの物言いが凄い。「髪膚(はっぷ)」は髪の毛と皮膚のこと。人は自分に正直になればなるほど、頭でものごとを理解するのではなく、まずは身体やその条件を通じてそれを果たすのではあるまいか。病者の句と言ったのはその意味においてだが、この透徹した眼力を獲得したときに、人は死に行く定めであるのだとすれば、人生というものはあまりに哀しすぎる。しかし、たぶんこれがリアルな筋道なのだろうと、私にはわかるような気がしてきた。こういうことは、誰にでも起きる。遺句集『天樂』(2008・非売)所収。(清水哲男)


July 2272008

 宿題を持ちて花火の泊り客

                           半田順子

休みが始まり、平日の昼間の駅に子どもたちの姿がどっと見られるようになった。夏休みのイベントのなかでも、花火と外泊は絵日記に外すことのできない恰好の題材だ。わが家も掲句同様、わたしと弟とそれぞれの宿題を背負い、花火大会の前後を狙って祖父の家に滞在するのが夏休みの恒例行事だった。打上げ花火の夢のような絵柄が、どーんとお腹に響く迫力ある音とともに生み出されていくのを二階の窓から眺めていたことを思い出す。打上げ音が花火よりわずかに遅れて聞こえてくることの不思議に、光りと音の関係を何度聞かされても腑に落ちず、連発になると今のどーんはどの花火のどーんなのかと、見事な花火を前にだんだんと気もそぞろになっていくのは今も変わらない。そしていよいよ白い画用紙を前に、興奮さめやらぬままでかでかと原色の花火を描く。しかし花火を先に描いてしまうと、夜空の黒を塗り込むのがとても厄介になることも、毎年繰り返していた失敗だ。以前の読者アンケートに、このページを読んでいる小学生もわずかに存在するという結果が出ていたが、花火を描くときには「夜空から塗る」、これを愚かな先輩からのアドバイスとして覚えていてほしい。〈夏来ると浜の水栓掘り起す〉〈蝉穴の昏き歳月覗きをり〉『再見』(2008)所収。(土肥あき子)


July 2372008

 どの子にも夕立の来る空地かな

                           村嶋正浩

どもの頃、野原や河原で遊んでいて、いきなり雷鳴とともに夕立に襲われて家へ逃げ帰った経験は誰にもあるにちがいない。そう、子どもたちは年中外で黒くなって遊んでいた。乾ききった田んぼ道をポツ、ポツ、ポツ、ザアーッと雨粒が背後から追い越してゆく。それを爪先で追いすがるようにして走って帰った記憶が、私には今も鮮明に残っている。空地でワイワイ遊んでいる子どもたちにとって、夕立に濡れるのはいやだが、同時に少々ずぶ濡れになってみたいという好奇心もちょっぴりあるのだ。遊んでいた子どもたちの声は、夕立によって一段と高くにぎやかになる。しかも、夕立は大きい子にも小さい子にも、分け隔てなく襲いかかる。まさしく「どの子」をも分け隔てなく夕立が包んでゆく情景を、作者はまず上五で見逃していない。どの子にも太陽光線が均一に降りそそぐように、夕立も彼らを均一に包んでしまう。あたりまえのことだが、そのことがどこかしらうれしい気持ちにもさせてくれる。気張ることなくたった十七文字のなかに、さりげない時間と空間がきちんととりこまれている素直な句。正浩は詩人だが、俳句歴も長い。ほかに「眉消して少年の病む金魚かな」「夕端居手足長きを惜しげなく」などくっきりとした夏の句がある。「澤」(2008年7月号)所載。(八木忠栄)


July 2472008

 ペコちゃんが友達だったころの夏

                           鈴木みのり

月も下旬になると街角に子供の姿が増え、長い夏休みを退屈に過ごしていた小学校の頃を思い出す。避暑や旅行へ連れて行ってもらえるわけもなく、読み飽きた本を何度も読み返すか、市民プールへ出かける以外時間のつぶしようのない毎日だった。テレビはあったが、寝っころがって好きな番組を見る贅沢が許されるはずもなく、一週間に一度見る「ポパイ」や「鉄腕アトム」を楽しみにしていた時代だ。特別な番組のコマーシャルはそれぞれ印象が深い。「鉄腕アトム」はマーブルチョコとシール。「ポパイ」はペコちゃん人形とパフェを食べる女の子が憧れの的だった。首振りペコちゃんの店で買ってきたケーキは五人兄妹が見つめる前で厳密に切り分けられ上から順に配られたものだった。その当時、お菓子屋かおもちゃ屋を店ごと買い占めるのが夢だった私もおとなになると、すっかりそうしたものに興味がなくなってしまった。ペコちゃんが友達だったころの夏。それは私にとっても懐かしい時だけど、二度と帰れない場所でもある。『ブラックホール』(2008)所収。(三宅やよい)


July 2572008

 尾をふりて首のせあへり冷し豚 

                           三条羽村

し豚。一瞬目を疑った。中華料理の話ではない。牛馬冷すの季題の本意は、農耕に用いた牛馬の泥や汗を落し疲労を回復させる目的で海や川に浸けてやること。田舎では以前はよく見られた。だから農耕に具する家畜以外を「冷す」風景は見られてもそれを季題として用いる発想はいわゆる伝統俳句にはなかった、と思われた。ところがどっこい。この句、虚子編の歳時記の「馬冷す」の項目に例句として載っている。「ホトトギス」というところは、「写生」を標榜しながら「もの」のリアルよりも季題の本意を第一義にしていると固く信じていた僕はたまげてしまった。「もの」のリアル。そのときその瞬間の「私」の五感で掴んだものを最優先するように教わってきた僕から見てもこんなリアルな作品はめったにない。季題の本意をかなぐり捨てても、得られるもっと大きなものがあるというのはこういう句について言えること。広い豚舎の中か、放牧の豚の群れにホースで水をかけてやる。放水の下で群れるこれらの豚の愛らしさはどうだ。現実をそのまま写すということの簡単さと困難さ、そしてその方法に適合する俳句形式の間尺ということをつくづく考えさせられた。作者と編者に脱帽である。虚子編『新歳時記・増訂版』(1951・三省堂)所載。(今井 聖)


July 2672008

 みちのくの蛍見し夜の深眠り

                           大木さつき

月も終わりに近づき、蛍の季節には少し遅いかもしれないけれど。子供の頃に住んでいた官舎の前の小さな川は、今思えばそれほど清流であったとも思えないのだが、毎夏当然のように蛍が飛んでいた。仕事帰りのほろ酔いの父が、橋の上で捕まえてきた蛍の、ほの白い光が指の隙間から洩れるのを、じっと見ていた記憶がある。ゆっくり点滅していたのであれは源氏蛍だったのか、この作者がみちのくの旅で出会った蛍は、星がまたたくように光る平家蛍かもしれない。昼間は青田風の渡る水田に、頃合いを見計らって蛍を見に。蛍の闇につつまれて小一時間も過ごして宿に戻り、どっと疲れて眠ってしまう。蛍そのものを詠んでいるわけではないけれど、深眠り、という言葉の奥に、果てしなく明滅する蛍が見えて来て、読むものそれぞれの遠い夏を、夢のように思い出させる。〈啄木のふるさと過ぎぬ花煙草〉という句もあり、このみちのくは岩手なのかとも。『一握の砂』に〈蛍狩り川にゆかむといふ我を山路にさそふ人にてありき〉という歌があるといい、これもまた、蛍にまつわる淡い思い出。『遙かな日々』(2007)所収。(今井肖子)


July 2772008

 涼しさや寝てから通る町の音

                           使 帆

語は涼し、夏です。夏そのものはむろん涼しくはありませんが、暑いからこそ感じる涼しさの価値、ということなのでしょうか。この句では、風や水そのものではなくて、町の音が涼しいと詠んでいます。マンション暮らしの長いわたしなどには、到底たどり着くことの出来ないひそやかな感覚です。たしかにマンションの厚い壁に囲まれて暮らす日々には、町の雑多な音は届きません。思い出せば子供の頃には、銭湯へ行く道すがら、開けっ放しの窓から友人の家の団欒がすぐ目の前に見えたものでした。一家で見ているテレビの番組さえ、すだれ越しに見えていた記憶があります。当時は家の中と外の区切りはかなり曖昧で、眠っている枕元すぐのところで、町の音はじかに聞えたものです。この句を読んだときに印象深かったのは、書かれている意味でも、また音の響きでもなく、並んだ文字のたたずまいの美しさでした。実際、柴田宵曲氏の解説を読むまでは、省略された主語がどこにかかっているのかもはっきりとせず、句の意味を正確につかまえることができませんでした。暑い夏の一日を終え、やっと体を横たえて眠ろうとしています。その耳元に、人々のそっと歩く足音が聞えてきて、その音の涼やかな響きにいつのまにか眠りへ誘い込まれてゆく。そんな意味なのでしょう。『古句を観る』(1984・岩波書店)所載。(松下育男)


July 2872008

 冷奴大和島根は箸の国

                           渡辺恭子

べ物の句は、とにかく美味しそうでなければならない。美味しいという感覚は、むろん食品そのものの味にまず関わるが、それだけではなくて、それを食するときの「お膳立て」いっさいに関わってくる。冷奴などは料理とも言えない素朴な食べ物であるが、なるほどこれは箸で食べるから美味いのであって、スプーンでだったら美味さも半減してしまうだろう。句の「大和島根」は島根県のことではなくて、大和(日本)の島々、つまり日本の国のことだ。戦前戦中に流行した大八洲(おおやしま)などとという呼称に似ている。したがっていささか旧弊な神国日本の影を引く言葉ではあるけれど、この句はたかが冷奴に神国の伝統をあらためて持ち出し、「神の国」ならぬ「箸の国」とずらせてみせたことで、現代の句として面白い味を出している。猛暑のなかの食卓につつましくのせられた一鉢の冷奴。この句を思い出して箸をつければ、他のおかずもいろいろに美味さが違ってくるかもしれない。今夜の一品はだんぜん冷奴に決めました。たまには揚句のように、冷奴も気合いを入れて食べてみなければ。月刊「俳句」(2008年8月号)所載。(清水哲男)


July 2972008

 わが死後は空蝉守になりたしよ

                           大木あまり

いぶん前になるがパソコン操作の家庭教師をしていたことがある。ある女性詩人の依頼で、その一人暮らしの部屋に入ると、玄関に駄菓子屋さんで見かけるような大きなガラス壜が置かれ、キャラメル色の物体が七分目ほど詰まっていた。それが全部空蝉(うつせみ)だと気づいたとき、あまりの驚きに棒立ちになってしまったのだが、彼女は涼しい顔で「かわいいでしょ。見つけたらちょうだいね」と言ってのけた。「抜け殻はこの世に残るものだから好き」なのだとも。その後、亡くなられたことを人づてに聞いたが、あの空蝉はどうなったのだろう。身寄りの少なかったはずの彼女の持ち物のなかでも、ことにあれだけは私がもらってあげなければならなかったのではないか、と今も強く悔やまれる。掲句が所載されているのは気鋭の女性俳人四人の新しい同人誌である。7月号でも8月号でも春先やさらには冬の句などの掲載も無頓着に行われている雑誌も多いなか、春夏号とあって、きちんと春夏の季節の作品が掲載されていることも読者には嬉しきことのひとつ。石田郷子〈蜘蛛の囲のかかればすぐに風の吹く〉、藺草慶子〈水遊びやら泥遊びやらわからなく〉、山西雅子〈夕刊に悲しき話蚊遣香〉。「星の木」(2008年春・夏号)所載。(土肥あき子)


July 3072008

 酔ひふしのところはここか蓮の花

                           良 寛

の花で夏。「ところ」を「宿(やどり)」とする記録もある。良寛は酒が大好きだったから、酒を詠んだ歌が多い。俳句にも「ほろ酔の足もと軽し春の風」「山は花酒や酒やの杉はやし」などと詠んだ。酒に酔って寝てしまった場所というのは、ここだったか・・・・。傍らには蓮の花がみごとに咲き香っている。まるで浄土にいるような心地。「蓮の花」によって、この場合の「酔ひふし」がどこかしら救われて、心地良いものになっている。良寛は庵に親しい人を招いては酒を酌み、知人宅へ出かけては酒をよばれて、遠慮なくご機嫌になった。そんなときぶしつけによく揮毫を所望されて困惑した。断固断わったこともたびたびあったという。子どもにせがまれると快く応じたという。基本的に相手が誰であっても、酒はワリカンで飲むのを好んだ、というエピソードが伝えられている。良寛の父・以南は俳人だったが、その句に「酔臥(よひふし)の宿(やどり)はここぞ水芙蓉」があり、掲出句はどうやら父の句を踏まえていたように思われる。蓮の花の色あいの美しさ清々しさには格別な気品があり、まさに極楽浄土の象徴であると言ってもいい。上野不忍池に咲く蓮は葉も花もじつに大きくて、人の足を止めずにはおかない。きれいな月が出ていれば、用事を忘れてしゃがんでいつまでも見あげていることのあった良寛、「ここ」なる蓮の花に思わず足を止めて見入っていたのではあるまいか。今年は良寛生誕250年。『良寛全集』(1989)所収。(八木忠栄)


July 3172008

 ほらごらん猛暑日なんか作るから

                           中原幸子

れにしても暑い。おおせの通り、言葉が現実を作り出すのでしょうか。「夏日」「真夏日」に加えて「猛暑日」が作られたのが去年。そんな看板に合わせてどんどん気温がうなぎのぼりになっているのかもしれない。「酷暑」「極暑」なんて季語も、いかにも暑そうだけど「猛暑」となると一枚上手、暑さがうなり声をあげて息巻いていいそうである。いまや30度の「真夏日」なんてまだ涼しい、と思ってしまう自分がこわい。冷房の効いたビルから一歩外へ踏み出せば、灼熱の日差し、アスファルトの照り返しに頭がかすんで息も詰まるばかり。そんなとき、この句がぐるぐる頭を回りだす。「ほらごらん」とは、「猛暑日」を作ったお役人とともに作者も含め快適さを享受しながら暑さにおたおたする私達へも向けられているのだろう。今までの最高気温は去年熊谷で記録された40.9度ということだったけど、今年はどうなのだろう。みなさま熱中症にはくれぐれもお気をつけください。「船団」75号(200712/1発行)所載。(三宅やよい)




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