@句

March 0332009

 雛の間につづく廊下もにぎはへる

                           原 霞

が家は地方の新興住宅地にあったので、そこらじゅうに同世代の女の子が住んでいて、二月に入ると月曜日の登校時は「きのう出した」「うちも出した」とにぎやかに雛人形のお出ましを報告し、「学校が終わったら見に行くね」と約束し合うのだった。のんびり屋の母に「みんなもう出したんだってー」とせっつき、「うちはうち」などと言われていたのも懐かしいやりとりだ。それにしても、これほど居場所を選ぶ人形もないだろう。なにしろ和室でないとさまにならない。そして何段飾りともなると、雛壇に使用する場所だけでなく、一体ずつ収まっている人形を箱から出すためのスペースが必要であり、あれがないこれがないと作業エリアは果てしなく広がっていく。これはこっちの部屋に移して、これは一時廊下に出しておいて、などと算段するのも母と娘の楽しみの一つだった。かくして雛の間ができあがり、友人たちの雛詣を待つ。女の子たちの笑い声に続き、軽やかな足音が雛の間へと吸い込まれていくのは、きらきら光る動線のようだったことだろう。雛人形を飾らなくなって久しいが、毎年三月三日になると、あちらこちらのお宅のなかで華やかな光りの筋が行き交っていることを思い、ちょっぴりわくわくするのだった。〈山おぼろ湯をすべらせて立ち上がる〉〈包丁が南瓜の中で動かない〉『翼を買ひに』(2008)所収。(土肥あき子)




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