ヒ伊楼句

March 0932009

 沈丁花が一株あり日本社会党に与す

                           中塚一碧楼

戦翌年(1946)春の作句だ。沈丁花が一株、庭にある。花は地味だけれど、芳香は強い。この植物におのれを託した気持ちは、地味な国民のひとりとして「小なりといえども」の気概からだろう。未曽有の混乱期、作者に限らず国民の政治にかける期待は大きかった。一碧楼は同時に「小母さん自由党をいふ春のうすい日ざし地に照る」「浅蜊そのほかの貝持参共産党支持のこの友」とも詠んでいる。この年四月に戦後初の総選挙が行われることになっていたので、寄ると触ると選挙の話題が出たことをうかがわせる。前年12月の選挙法改正で20歳以上の男女が投票権を得て、はじめての選挙であった。女性参政権がはじめて認められたこともあり、立候補者はなんと2770人。いかにみんなが熱くなっていたかが推察できるだろう。結果はしかし、鳩山一郎率いる自由党が第一党と保守色が強く、作者の与(くみ)した日本社会党は進歩党についでの第三党に終わった。戦前からの知名度が物を言ったということか。ちなみに女性当選者は39人の多きを数え、そのひとりで後に白亜の恋で話題を呼ぶことになる若干27歳の松谷天光光の所属政党は「餓死防衛同盟」というものであり、当時の厳しい世相を反映している。作者はこの年の末に60歳で永眠。翌年の新憲法下ではじめて行われた選挙で片山哲の日本社会党が第一党になったことは、知る由もなかった。『日本の詩歌・俳句集』(1970・中央公論社)所載。(清水哲男)




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