cH句

March 1832009

 牛のせて舟泛びけり春の水

                           徳田秋声

書に「潮来」とある。潮来(いたこ)の川舟には一度だけ乗ったことがある。もちろん今や観光が主で、日焼けした陽気なおじさんや、愛想のいい若づくりしたおばさんが器用に竿をあやつってくれる。川べりに咲くあやめをはじめとする花や風景を眺めながらの観光は、まちがいなくゆったりした時間にしばし浸らせてくれる。けっこう楽しめる。もっとも、あやめの時季は五月末頃から六月にかけてだから、掲出句で牛を乗せて泛(うか)んでいる舟は、まだあやめの時季ではない。仕事として牛を運んでいるのである。潮来のあたり、観光エリアのまわりには広大な田園地帯が広がっている。春田を耕ちに向かう牛だろうか、買われてきた牛だろうか。いずれにせよ、ぬかる田んぼでこき使われる運命にある。しかし、今はのんびりと広がる田園の風景しか見えていない。竿さばきも悠揚として、舟の上で立ったままの牛も今のところ、のんびり「モォーー」とでも鳴いているにちがいない。春の水も温くなり、ゆったりとして流れるともなく流れている。一幅の水墨画を前にしているようで、こちらも思わずあくびが出そうになる。秋声は師の尾崎紅葉が俳句に熱心だったこともあって、多くの俳句を残している。「花の雨終にはさむる恋ながら」。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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