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April 0442009

 流し雛波音に耳慣れてきて

                           荒井八雪

流しの行事は今も行われているが、その時期は、新暦、旧暦の三月三日、春分の日など地方によってさまざまだ。吉野川に雛を流す奈良県五条市の流し雛は、現在四月の第一日曜日ということなので明日。写真を見ると、かわいい着物姿の子供達が、紙雛をのせた竹の舟を手に手に畦道を歩いている。そして、吉野の清流に雛を流して祈っているのだが、その着物の色は、千代紙を思い出させる鮮やかでどこか哀しい日本の赤や水色だ。紙雛はいわゆる形代であり、身の穢れを流し病を封じるといい、雛流しは、静かでやさしい日本古来の行事のひとつといえる。この句は、波音と詠まれているので海の雛流しなのだろう。作者は雛を乗せた舟をずっと見送っている。春の日の散らばる海を見つめて佇むうち、くり返される波音がいつか海の心音のように、自分の体が刻むリズムと重なり合ってゆく。そんな、耳が慣れる、もあるのかもしれない、とふと思った。『蝶ほどの』(2008)所収。(今井肖子)




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