@句

April 3042009

 風ぐるま昭和の赤いセルロイド

                           高橋 龍

はもうめったに見かけないが、昭和30年生まれの私にとってセルロイドは身近なものだった。色はきれいだけど表面は弱くて、強くぶつけるとぺこんと内側にへこんでもとに戻らなかった。人形、筆箱、ああそう言えば、くるくる回る風車の羽根もセルロイドだった。昭和と言っても幅が広くて思い出も様々だろうけど、およそ半世紀前の暮らしの記憶は暗く湿っていて、あまり戻りたくはない。それでも掲句を読んで小さいとき風車に持っていた感情を懐かしく思い出した。色とりどりの風車は賑やかなお祭りに結びついていて心が弾む。セルロイドのお面も風車も憧れだったけど、握りしめた50円を使うのが惜しくて買わなかった。派手な色の少なかった時代に鮮やかな赤は特別の色。過ぎ去った日への郷愁を誘いつつ風車は回り続ける。セルロイドは燃えやすいという欠点があるため今はほとんど作られていないと聞くが、平成の風車は何で作られているのだろうか。「龍年纂・第七」(2009/04/15発行)所載。(三宅やよい)


July 0872010

 生前と死後一対に重信忌

                           高橋 龍

信は1983年7月8日に亡くなった。彼が俳句の父と仰ぐ富澤赤黄男が昭和38年 3月8日、母と仰ぐ三橋鷹女が昭和48年4月8日に逝去、自分は58年5月8日に亡くなるだろうと常々予告していた。二か月ずれたが予言したとおり昭和58年に亡くなったわけで、その不思議さに言葉の呪力のようなものを感じる。それにしても享年60歳は若いと思わずにはいられない。重信が何かの評論で時間の遠眼鏡で未来から現在を覗くと今の俳句の世界は誰もいなくなって荒涼たるもんだと書いていた一節を覚えているが、その状況は今も変っていないだろう。若いころに結核を患い、常に晩年意識を持っていたこの人は常に死後の世界から現実を見ていたのかもしれない。生前と死後が一対だからこそ物事に対して見通しのよいまなざしを持ち鋭い評論を展開し続けることが出来たのだろう。『龍編纂』(2009)所収。(三宅やよい)


December 02122010

 わが家の二階に上る冬の旅

                           高橋 龍

ばしば雨戸で閉ざされた二階を見かけることがある。夜になると一部屋に灯りがともるので誰かが暮らしていることはわかるが、家族が減り二階へ上がることもなくなっているのだろう。掲句はシューベルトの歌曲『冬の旅』が踏まえられているように思う。『冬の旅』は失意の青年がさすらう孤独な旅がテーマだが、その響きには灰色に塗り込められた暗いイメージが漂う。遠くへ行かなくとも我が家の二階に上るのに寒々とした旅を感じるのは、そこが日々の暮らしからは遠い場所になっているからではないか。小さい頃人気のない二階にあがるのは昼でも怖かったけれど、家族がいれば平気だった。そう思えば誰も住まない二階では障子や机も人の生気に触れられることなく冬枯れてしまうのかもしれない。『異論』(2010)所収。(三宅やよい)


February 0322011

 恐るべき年取豆の多きかな

                           木村たみ子

さい頃は豆の数が少ないのが不満だった。自分よりたくさん豆がもらえる兄や姉が羨ましく、年をとるたび掌に乗せる豆が増えるのが嬉しかった。いつからだろう豆の数が疎ましくなったのは。「恐るべき」というぐらいだから片手に山盛りだろうか。子供たちも大人になった今は鬼の面をかぶることも豆まきをすることもなくなった。試しに年の数だけ手に乗せると溢れそうである。「鬼は外」と大きな声で撒くに恥ずかしく、ぽりぽり齧るには多すぎて、まさに「恐るべき」豆の多さである。「死にたしと時には思へ年の豆」高橋龍の句のように自分の年齢へ辛辣な批判を加えてみるのもひとつの見方だろうが、山盛りの豆に怖気つつ、又ひとつ豆を加えられる無事を感謝したい。『水の音』(2009)所収。(三宅やよい)


July 0372014

 夏みかん長い名前の人が買ふ

                           高橋 龍

の句のおかしみはどこから来るのだろう。もちろん夏みかんを買う人の名前なんていちいちわからないし、長い名前の人がたまたま夏みかんを買ったとしても、何てことはない。でもこうして俳句で読むと身体の奥をくすぐられるようなおかしみがある。「夏みかん」と「長い」と頭韻の響きの良さもあるのだけど、そのもったいぶり方に注目だ。夏みかんを買う人は長い名前の人!と限定することがありふれた行為に浮力をつけ「夏みかん」が新たな手触りを持って浮き上がってくる。これも五七五の定形の効果と言えるかもしれない。叙述は奇をてらっていないのに何だか可笑しい。そんな俳句に出会うとうれしくなる。『二合半』(2014)所収。(三宅やよい)


October 30102014

 おひとつと熱燗つまむ薬師仏

                           高橋 龍

はビール、秋には冷酒と楽しんできたが、そろそろ熱燗が恋しい季節になってきた。「まあおひとつ」と、とっくりの首をつまみ上げる動作を薬師如来が左手に薬瓶を持つ姿に重ね合わせるとは、ケッサクだ。薬師如来は「衆生の病苦を救い、無明の痼疾を癒すという如来」と広辞苑にはある。有難い薬師如来をそば近く侍らせて飲む酒は旨いか、まずいか。日頃の節操のない行動の説教をくらいそうで落ち着いて熱燗を楽しめそうもない。吹く風が冷たさを増す夜の熱燗は独酌で楽しむのが良さそうだ。ちなみに句集名『二合半』とは酒の量ではなく、「にがうはん」と読み、江戸川近くの土地を表す呼び名、作者の原風景がそこにあるのだろう。『二合半』(2014)所収。(三宅やよい)


February 2622015

 東京に変あり雪の橋閉す

                           高橋 龍

和11年2月26日、東京で一部青年将校によるクーデターがあった。歴史の教科書や三島由紀夫の小説などで読んだ乏しい知識しかないが、東京は雪で戒厳令下の状態だったという。この句の前書きには「小学校入学前の身体検査雪深く父に背負われて行く。帰路知り合いの巡査にあう、東京に大事件発生、東京に通ずる橋を閉鎖すると」とある。いつもと同じように登校や出勤をしてきたものの真っ白に雪の降り積もった橋は誰一人渡ることなく通行止めされているのだろう。物々しい警戒の中、住民たちは時代が変わりつつある不吉な予感を抱いたのではないか。普段の日常が突然閉ざされる事件の突発はフランスでのテロ事件を引くまでもなく今の日本でも日常が激変する事件が容易に起こり得るかもしれない。『十余二』(2013)所収。(三宅やよい)




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