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August 0882009

 一本の白樺に秋立ちにけり

                           広渡敬雄

秋、今朝秋、今日の秋。今年は昨日、八月七日だった。手元の歳時記に、鬼貫の「ひとり言」の抜粋が載っている。「秋立朝は、山のすがた、雲のたたずまひ、木草にわたる風のけしきも、きのふには似ず。心よりおもひなせるにはあらで、おのづから情のうごく所なるべし」。今日から暦の上では秋なんだなあ、と思えばそれに沿うように、なんとなくではあるけれど目の前のものも違って見えてくる、ということか。この句の作者は、白樺の木の幹のわずかなかげりか、木洩れ日のささやきか風音か、そこにほんの一瞬、今日の秋を感じたのだろう。一本、が、一瞬、に通じ、すっとさわやかな風が通りすぎる。今日からは残る暑さというわけだが、東京はいまひとつ真夏らしさを実感できないまま、秋が立ってしまった感がある。異常気象とさかんに言われるが、蝉だけは今日もいやというほど鳴いていて、それが妙に安心。「ライカ」(2009)所収。(今井肖子)


September 2292009

 犬の仔の直ぐにおとなや草の花

                           広渡敬雄

に入りのひとコマ漫画に、愛犬の写真を毎年撮ってずらりと飾ってある居間を描いたものがある。一枚目の子犬の他はどれも全部、全く同じ表情の成犬が愛想なく並んでいて、見ている方をクスリと笑わせる。子犬や子猫の時代の可愛らしさは、飼い主の記憶のなかでは、そのいたずらな行為とともに永遠に記憶に刻まれるが、実際の時間としてはまたたく間に過ぎてしまう。拾ってきた当初、ティッシュボックスのなかで眠れるほどの大きさだったわが家の三毛猫も、一歳を迎える前に一夜にして大人びた顔の恋猫になった。そこには、本人(猫だが)も当惑しているような居心地の悪さも見えはしたが、誰に教わることなく、恋猫特有の鳴き声を朗々と披露したのだった。しかして動物たちの成長の勢いは、思春期を思い悩むこともなく、さっさと大人になり、さっさと飼い主の年齢を追い抜いていく。掲句の切れ字「や」により引き出されるわずかな詠嘆が、この愛らしい生きものが人間よりずっと短い寿命を持つことを言外に匂わせている。『ライカ』(2009)所収。(土肥あき子)


April 1542010

 くろもじで切るカステラや春の月

                           広渡敬雄

木林を散歩したとき淡い黄色の小花をつけた灌木を指差して「くろもじ」と教えてくれた人がいる。「くろもじ」は緑色の樹皮に黒い斑模様があるので、それを文字に見立ててこの名前がついたという。その木の名前そのままにフォークや小さなナイフ形の菓子楊枝に加工されたものも「黒文字」と呼ぶそうだ。ネットで調べると材質に香気があるので、水に浸して拭ってから使うといいと書いてあった。やわらかいカステラにぐっとはいる黒文字がしっとりとしたカステラ生地の弾力を感じさせる。ぼんやりと明るい春の月との調和もいい。どっしりとした「くろもじ」という言葉がカステラの軽さを引き立てている。そういえば、昭和30年代のカステラは高級菓子で、お使い物で来るカステラは桐箱に入っていた。今はケーキ一個の値段でカステラ一本買えたりするけど、あの上品な味わいは生クリームたっぷりの洋菓子にはないよさだ。食べ物の句は何より食欲をそそることが肝心、すぐにでも「カステラ」を買ってきて熱いお茶とともに食べたくなった。『ライカ』(2009)所収。(三宅やよい)


July 2272010

 ネクタイを肩に撥ねあげ泥鰌鍋

                           広渡敬雄

日は大暑。二十四節季のちょうど中間の十二番目にあたり一年のちょうど折り返し点といったところ。アスファルトが揺れるほど暑いときには熱いものを食べて汗をかくべし。泥鰌は土の中でも生きて活発に動くので「土生」とも書くと新聞に載っていた。その説によると泥鰌一匹は鰻一匹と同レベルの栄養があるという話だから、土用には持ってこいの食べ物ということだろう。泥鰌とくれば浅草だけど、関西ではあまり泥鰌を食べさせる店を見かけなかったように思う。今はどうなのだろう。ネクタイ姿で泥鰌鍋を食べるには撥ね飛ぶ汁が心配。掲句ではネクタイを「肩に撥ね上げ」という動作がいなせで、暑さに負けない勢いが伝わってくる。はふはふと息をはずませて食べる泥鰌鍋はさぞおいしいことだろう。『ライカ』(2009)所収。(三宅やよい)


July 2672016

 おまへだつたのか狐の剃刀は

                           広渡敬雄

前に特徴のある植物は数あれど、「キツネノカミソリ」とはまた物語的な名である。由来は細長い葉をカミソリに見立てて付けられたというが、そこでなぜキツネなのか。イヌやカラスはイヌタデやカラスムギなど役に立たないものの名に付けられる例が多いが、キツネは珍しいのではないか、と調べてみると結構ありました。キツネアザミ、キツネノボタン、キツネノマゴ、キツネノヒマゴとでるわでるわ。犬や鴉同様、狐も日本人に古くから馴染みの動物だったことがわかる。そして、カミソリやボタンなど、人間に化けるときに使うという見立てなのかもしれない。掲句は幾度も見ていた植物が、名だけを知っていた思いがけないものであったことの驚き。出合いの喜びより、ささやかな落胆がにじむ。〈腹擦つて猫の欠伸や夏座敷〉〈間取図に手書きの出窓夏の山〉『間取図』(2016)所収。(土肥あき子)




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