2010N1句

January 0112010

 夜番の柝ひとの年譜の三十路の頃

                           田川飛旅子

旅子はひりょしと読む。ひとの年譜を見ていた。ふうん、この人、三十代の頃はこんなことしてたんだ、と思っていたら、カチカチと火の用心の柝の音がした。テーマは「時間」、あるいは「時間の過ぎる速さ」だろう。そういえば俺は三十代の頃何をしてたかなと読者は考える。僕の場合は、もう三十になってしまったという焦りが先に立ったのを憶えている。もうすぐ還暦を迎えようとしている身からすると可笑しな気がするが、十年も経ったら、(生きていたら)今を振り返ってあの頃は若かったと思うんだろうな。田川さんには「桐咲くやあつと言ふ間の晩年なり」「祝辞みな未来のことや植樹祭」「クリスマス自由に死ねと定年来」など、時間というものの残酷さやかけがえのなさを感じさせる秀句が多い。定年になったら暇になって楽ができると思っていたら、こんなに忙しいとは思わなかったとエッセーに書いておられた。その田川さんが85歳で亡くなられてもう十年が過ぎた。『花文字』(1955)所収。(今井 聖)


January 0212010

 ラグビーの審判小さく小さく立つ

                           相沢文子

日、大学ラグビーの準決勝が国立競技場で行われる。このところずっと、2日は家のテレビで箱根駅伝をぬくぬく見るのが定番になってしまったが、学生の頃はお正月といえばラグビー、競技場へもよく足を運んだ。今年は残念ながら負けてしまったけれど、当時早稲田が強かった。思えば三十年ほど前の話で細かい記憶はほとんどないが、華麗なバックスへの展開は素人目にも鮮やかで、中でもほれぼれする加速力を持った左ウイングの藤原選手は印象深い。掲出句の場合ゴールキック直後、幅5.6mのゴールポストの間をボールが通過した瞬間、グランドのほぼ中央で天に向かってさっと旗をあげる審判の姿が見える。応援も鳴り物なし、生身の体と体で黙々と勝負するラグビー。間近で見ると選手の体から湯気が立ち迫力あるが、この句は審判に焦点を当てて大きい競技場での観戦の感じをとらえ、冬の空気を感じさせる。ホイッスルが冴え冴えとした空に響く。「花鳥諷詠」十一月号(2009)所載。(今井肖子)


January 0312010

 只の年またくるそれでよかりけり

                           星野麥丘人

あ、読んでの通りの句です。言っていることも、あるいは言わんとしていることも、実にわかりやすくできています。ありふれていることのありがたみを、あらためて、しみじみと感じている様子がよく表されています。正月3日。このところの深酒のせいで深く眠ったあとで、ゆっくりと目が覚めて、朝風呂にでも浸かっているのでしょうか。水面から立ち上る湯気の様子を、見るともなく見ながら、年が改まったことへの感慨を深めているようです。若い頃には、受験だ結婚だ出産だと、次から次へ予定が詰まっていた一年も、子供たちが独立してからは、年が新しくなったからといって、特に大きな予定も思い当たらなくなってきました。ただただ時の柔らかな流れのなかに、力をいれずに身をまかせているだけです。なんだが止め処もなく湧いてくる、この湯気のような月日だなと思いながら、ありふれた日々のありがたさに、肩深くまで浸かっています。よいことなんて特段起きなくていい。生きて何事もなくすごせることの奇跡を、じかに感じていたいのです。『新日本大歳時記』(2000・講談社)所載。(松下育男)


January 0412010

 獅子頭ぬぎてはにかむ美青年

                           片山澄子

子舞の句には、獅子頭をぬいだときのものが結構ある。舞そのものを詠んだ句は非常に少ない。つまり獅子舞は鑑賞する芸ではないのかもしれない。しかし皮肉なことに、舞う人の多くはそう思ってはいない。だから「はにかむ」のだ。学生時代の終りごろに、よく京都・千本中立売の安酒場に出入りした。このあたりは、かつては水上勉の『五番町夕霧楼』でも知られる西陣界隈の大きな色町・盛り場だった。私が通ったのは売春禁止法が施行された少しあとだったので、街は衰退期に入っていたのだけれど、それでもまだ色濃く名残りは残っていて、行く度にドキドキするような雰囲気があった。獅子舞の青年と知りあったのは、そんな安酒場の一つだった。句にあるような美青年ではなかったけれど、この時期になると獅子頭を抱えて街を流していて、ときどき一服するために店に入ってくるのだった。カウンターの奥にそっと商売道具を置き、コップ酒をあおる彼の姿は、それこそドキドキするほど格好が良かった。いつしか口をきくようになり、ほとんど同じ年頃だったが、彼の全国放浪の話を聞くにつけ「大人だなあ」と感心することばかり。句の青年は由緒正しい獅子舞の伝統を踏まえた芸人の卵であることがうかがわれ、微笑ましい限りだけれど、彼のほうは芸人というよりもチンピラヤクザに近かったのであって、芸もへったくれもなかったのではなかろうか。でも、そんな裏街道を行く彼の生き方に共感を覚え、彼が好きだったのは、あながち若年のゆえだけとは言えない何かがあったからだと思う。その後の私が社会人としてのまっとうな職業を外れた背景には、彼に象徴される裏通り特有の人生観にも影響されたところがあったような気がする。もうすっかり名前も忘れてしまったけれど、彼のほうはその後どう生きただろうか。新年早々掲句を読んで、そんなことをほろ苦く思い出したのだった。最近は、飲み屋街で獅子舞を見かけることもなくなった。もう商売としては時代遅れなのだ。往時茫々である。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


January 0512010

 セーターに猫の毛付けしまま帰す

                           西澤みず季

謡にある通り、猫は寒がりであるから、冬ともなれば人間の膝の上だろうが、うっかり脱ぎ捨てた洋服の中だろうがお構いなしに、より暖かい場所を探し求める。というわけで猫を飼っていると、どんなに注意していてもどこかしらに猫の毛が付いているものである。電車のなかで居眠りした友人がはっと目をさましたとき「隣の人がなにしてたと思う?」と言う。愛らしい女性がもたれかかってきたのだから喜んでいたのかと思いきや、「すごく嫌そうに、わたしのコートから移動した猫の毛を一本一本取ってたの」だそうだ。猫の毛は細くてなかなか取りにくい。だからこそ、家庭内に不穏な騒動を持ち込む原因にもなりかねない。掲句の女心がちょっぴりのいたずらなのか、はたまた浮気な男へのきつい一撃なのか、どちらにしてもその後が気になる一句である。猫を飼っている人としか付き合わないから大丈夫、などとゆめゆめ油断めされるな。かの友人は「うちの猫の毛じゃない」ということもすぐに分かると言っていた。〈雪渓を見上ぐる鳥の顔をして〉〈極月の万の携帯万の飢餓〉『ミステリーツアー』(2009)所収。(土肥あき子)


January 0612010

 松の内妻と遊んでしまひけり

                           川口松太郎

うまでもなく「松の内」は正月七日まで。古くは十五日までが松の内とされていたが、幕府の命令もあって短縮されたのだという。また三が日を過ぎると、松をはずす地方が増えた時期もあったらしい。今や、三が日どころか元旦も休まず営業する大型店さえ、珍しくなくなってしまった。のんびりとした正月気分など、時代とともにアッという間にどこかへすっとんで行ってしまった。たちまち慌ただしい日常に舞い戻ってしまう。でも、やはり日本の正月は正月である。若者はそわそわと繁華街へくり出して行く。けれど、たいていの女房持ちはゆっくり家にいて過ごすことが多いのではないか。掲出句の夫婦は、何をして遊んだのかは知らないが、「遊んでしまひけり」……やるべき仕事もあったにもかかわらず、ついうかうかと日を過ごしてしまったという後悔とともに、「まあ、松の内だもの」という微苦笑がちょっぴり感じられる。子や孫、あるいは友だちと遊ぶのではなく、妻と遊んだところにこそ、この句のポイントがあり味わいがある。大方の人が、新年早々の意気込みとは別に、うかうかと時間をやり過ごしてしまうケースが多いのも松の内。落語家だけは高座で1月中は「おめでとうございます。本年もどうぞご贔屓に……」と連呼しつづけている。作家・松太郎の妻・三益愛子は、「母もの映画」で往時の人々の涙をさらった名女優。晩年はがらりと一転して舞台の「がめつい奴」で、がめつい「お鹿婆さん」役で活躍し、テアトロン賞などを受賞した。平井照敏編『新歳時記』(1990)所載。(八木忠栄)


January 0712010

 生きてゐる仕事始めの静電気

                           守屋明俊

んべんだらりと過ごした三が日を終えて、仕事が始まった。仕事納めの日から数えれば一週間しか経っていないのに昨年というだけで遠い距離が感じられる。正月休みというのは他の休みと違ってぽかっと大きな穴に落ち込んだような、浦島太郎のような心持ちになってしまう。ビルのエスカレーターを上がりやれやれとドアノブに手を触れた瞬間びりり、と軽い衝撃が伝わる。乾燥したこの季節に多い現象だけど、のびきった気持ちに喝を入れて仕事モードに切り替えよと言われているようだ。上五の「生きてゐる」の措辞は話し言葉にすれば「生きてるぅ??」と静電気に呼びかけられる感じだろうか。指に来た刺激が休みボケをたたき起こすようでなんとなくおかしい。「鏡餅テレビ薄くて乗せられず」「何たる幸グラタンに牡蠣八つとは」など日常の出来事が豊かな諧謔で彩られていて、おとなの味わいを感じさせる。『日暮れ鳥』(2009)所収。(三宅やよい)


January 0812010

 冬灯金芝河の妻のまろき額

                           山下知津子

書きに、金芝河(キム・ジハ)初来日記念公演 パンソリ「五賊」、とある。「五賊」は金氏が1970年に当時の韓国の朴正熙大統領を風刺して書いた長編詩。金氏はこの詩がもとで反共法分子として逮捕される。その後も一貫して反政府運動をつづけ、一時は死刑判決を受けるが屈せず国際的な政府非難の中で釈放を勝ち取る。その詩を韓国の口承芸能「パンソリ」で公演したものを作者は観に行った。そのときの感動を詠んだものである。作者は公演に来ていた金氏の妻の容貌に着目する。これが夫の過酷な闘争を支えた妻だ。歴史の表に出る存在を支えた同伴者の存在がある。ドラマは往々にしてその視点から描くことで中心人物がより鮮明になる。龍馬の愛人、啄木の妻、子規の妹、周恩来の妻等々。内助の功などという世俗的な括りを超えて、社会正義への信念から自己犠牲をも厭わない存在に賭ける存在。それもまた自己犠牲の覚悟に基づいている。しかしその顔は険しい顔ではなく、円満な額を持つ顔であった。そこに作者の驚きと安堵がある。『髪膚』(2002)所収。(今井 聖)


January 0912010

 味噌たれてくる大根の厚みかな

                           辻 桃子

句なしに美味しそう。〈大根は一本お揚げ鶏その他〉の句と並んでいるが、いずれもとにかく美味しそうだ。この句の場合、味噌たれてくる大根、ときて、煮込んだ大根に味噌がかかっているのはわかるけれどまだそれだけで、厚みかな、としっかりした下五であらためてとろっと味噌がたれる。その絶妙の感覚が、こういう美味しそうな俳句の、写真にも文章にも真似のできない味わいだろう。じっくりこっくり煮込んだ大根に箸をゆっくり入れる。その断面にたれてくる味噌の香りと大根の匂いや湯気までが、それぞれの読み手の頭の中に映像として結ばれて、そのうちの何人かは、あ〜今日は大根煮よう、と思うのだ。この作者の、これまで増俳に登場した句には〈秋風やカレー一鍋すぐに空〉〈アジフライにじゃぶとソースや麦の秋〉などがあり、料理上手な作者が思われる。「津軽」(2009)所収。(今井肖子)


January 1012010

 歌留多会廊下の冷えてゐたりけり

                           岡本 眸

象そのものを鋭く詠うためには、正面から向かうのではなく、その裏へまわらなければならないと、創作の秘密を教えてくれているような句です。それにしても、歌留多会を詠おうとしているのに、廊下の冷たさに目が行くなんて、なんてすごい感性なんだろうと、あらためて驚かされます。あるいは作者の目は、はじめから冷え冷えと伸びた廊下のほうにあって、扉を隔てた向こう側の遊びのざわめきを、別世界のものとして聞いているのかもしれません。身体はここにあっても、心はつねにそれを俯瞰するような場所にある。ものを作る才能とは、つまりはそういうものなのかもしれません。歌留多といえば百人一首。思い出すのは、今は亡き私の父親が、子供の頃にカルタが得意で、よく賞品をせしめて家に持ち帰ったという話を聞かされたことです。老年にいたるまで、常に口数が少なく物静かな人でしたが、酒に酔うとときたま、この話を自慢げにしていました。貧しい時代に、家族のために賞品のみかんを手に、わくわくするような思いで家路をたどる少年の頃の父親の姿を、だからわたしも酔うと、想像するのです。『新日本大歳時記』(2000・講談社)所載。(松下育男)


January 1112010

 無造作に借りて巧みに羽根をつく

                           大串 章

うそう、ときどきいましたね、こういう「おばさん」が。いや「おじさん」かもしれないけれど、なんとなくもっさりした感じの大人に羽子板を貸してみたら、いやはや上手いのなんのって。凧揚げにもいたし、独楽回しにもいた。昔とった杵柄だ。「巧みに」つく人の風貌は描かれていないが、それは「無造作に」で言い尽くされている。「よし」と張り切るのでもなく、「よく見てなさい」とコーチじみたことを言うわけでもない。ごく当たり前の涼しい顔をして、難しいポイントからでも、ちゃんと相手の打ちやすいポイントへと羽根を打ち上げてくれるのだ。そして、少し照れくさそうな顔をしてさっさと引き下がる。格好良いとは、こういうことでしょう。それにしても、昨今は羽根つきする子供らの姿を見かけなくなった。他にもっと面白い遊びがあるからという説もあるが、その前に、遊ぶ場所がなくなったことが大きいと思う。道路は車に占領され、マンション住まいには庭もない。近所の学校だって、校庭は閉鎖されている。今日は成人の日。振袖姿のお嬢さんたちのなかで、正月の羽根つきを楽しんだことのある人は、ほんのわずかでしかないだろう。おそらくは皆無に近い。したがってこれからの時代には、もう掲句のような場面を詠み込んだ句は出現してこない理屈となる。『山河』(2010)所収。(清水哲男)


January 1212010

 建付けのそこここ軋む寒さかな

                           行方克巳

書に「芙美子旧居」とあり、新宿区中井に残る林芙美子の屋敷での一句。芙美子の終の住処となった四ノ坂の日本家屋は、数百冊といわれる書物を読み研究するのに六年、イメージを伝えるために設計者や職人を京都に連れていくなどで建築に二年を費やしたという、こだわり尽くした家である。彼女は心血を注いだわが子のような家に暮らし、夏になれば開け放った家に吹き抜ける風を楽しみ、冬になれば出てくるあちこちの軋みも、また愛しい子どもの癖のように慈しんでいたように思う。掲句の「寒さ」は、体感するそれだけではなく、主を失った家が引き出す「寒さ」でもあろう。深い愛情をもって吹き込まれた長い命が、取り残された悲しみにたてる泣き声のような軋みに、作者は耳を傾けている。残された家とは、ともに呼吸してきた家族の記憶であり、移り変わる家族の顔を見続けてきた悲しい器だ。芙美子の家は今も東西南北からの風を気持ち良く通し、彼女の理想を守っている。〈うすらひや天地もまた浮けるもの〉〈夜桜の大きな繭の中にゐる〉『阿修羅』(2010)所収。(土肥あき子)


January 1312010

 手を打つて死神笑ふ河豚汁

                           矢田挿雲

はしかるべき店で河豚を食べる分には、ほとんど危険はなくなった。むしろ河豚をおそるおそる食べた時代が何となく懐かしい――とさえ言っていいかもしれない。それにしても死神が「手を打つて」笑うとは、じつに不気味で怖い設定である。あそこに一人、こちらに一人という河豚の犠牲者に、死神が思わず手を打って笑い喜んだ時代が確かにあった。あるいはなかなか河豚にあたる確率が低くなったから、たまにあたった人が出ると、死神が思わず手を打って「ありがてえ!」と喜んだのかもしれない。落語の「らくだ」は、長屋で乱暴者で嫌われ者のらくだという男が、ふぐにあたってふぐ(すぐ)死んでしまったところから噺が始まる。同じく落語の「死神」は、延命してあげた男にだまされる、そんな間抜けな死神が登場する。アジャラカモクレンキューライス、テケレッツノパー。芭蕉にはよく知られた「あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁」と胸をなぜおろした句がある。西東三鬼には「河豚鍋や愛憎の憎煮えたぎり」という、いかにも三鬼らしい傑作があるし、吉井勇には「極道に生れて河豚のうまさかな」という傑作があって頷ける。強がりか否かは知らないけれど、河豚の毒を前にして人はさまざまである。挿雲は正岡子規の門下だった。大正八年に俳誌「俳句と批評」を創刊し、俳人として活躍した時期があった。ほかに「河豚食はぬ前こそ命惜みけれ」という句もある。平井照敏編『新歳時記』(1989)所載。(八木忠栄)


January 1412010

 屋根のびてきて屋根の雪落ちにけり

                           しなだしん

が珍しい瀬戸内海と太平洋岸の冬しかしらないので、一年の三分の一を雪に封じ込められる生活は想像するしかない。豪雪地帯である新潟県上越地方を舞台にした鈴木牧之の『北越雪譜』には以下のような記述がある。「雪ふること盛んなるときは積もる雪家をうづめて雪と屋根と等しく平らになり、明りのとるべき処なく、昼も暗夜のごとく燈火を照して家の内は夜昼をわかたず」雪囲いをしてほとんど塞いでしまった窓からは灰色に垂れこめた空と軒の黒い影しか見えないだろう。その影がすうっと伸びる心地がして、雪が滑り落ちる。そんな情景を外から見れば「屋根のびてきて」ということになろうか。「リアル」とは自分の内側の体験を掴みとって、他の誰もが出来ない表現で読み手に感銘を呼び起こすことだとすれば、雪国での生活経験のない私にもその瞬間がいきいきと想像される一句である。『夜明』(2008)所収。 (三宅やよい)


January 1512010

 蓮田出る脚こんなにも長きこと

                           今瀬剛一

根堀りが、泥に足を取られてなかなか動けず難儀している状態を詠んだ句。「こんなにも重きこと」だと句の趣は一変する。足取りが重いというのは成句になるから平凡。「長きこと」と、重さを長さに転じたところに発見とウィットがある。蓮田を見ているとあんなところに入って蓮根を採るのは大変というか割の合わない仕事に見えるが、それなりに採算が合っているからつづけているのだろう。田の仕事などが機械化した中で、蓮根堀りも今は機械の仕事になっているのだろうか。以前のままなのだろうか。同じ作者に「着ぶくれし身をつらぬいて足二本」もある。こちらの方はモコモコに膨らんだ体を支えている足を客観視している。『花神現代俳句・今瀬剛一』所収(1996)所収。(今井 聖)


January 1612010

 風花のかかりてあをき目刺買ふ

                           石原舟月

花は天泣(てんきゅう)とも呼ぶという。先日、富士山を正面に見ながら、ああこれがまさに風花、という中に居た。空は青く日が差して空気は冷たく、大きさも形もまちまちにきらきら落ちてくる風花は、たしかに天がきまぐれにこぼした涙のようだった。風花という言葉そのものに情趣があるので、あ、風花、と思うばかりでなかなか句にならなかったけれど、富士の冠雪と青空と光のかけらのような雪片の印象は深く残っている。積もるわけではもちろんなく、かといって春の雪のように濡らしながらすぐ消えてしまうというのでもなく、冷たさを持ちながら、掲出句の場合は外で売られている目刺の上に、その気ままなかけらがとどまっていたのだろう。目刺の青のひんやりとした質感ときりりと青い空。買ふ、と詠むことで作者の位置がはっきりして、生き生きとした一句となった。「図説 俳句大歳時記 冬」(1965・角川書店)所載。(今井肖子)


January 1712010

 冬の虹貧しき町を吊り上げる

                           田淵勲彦

は、ほかの季節よりも空中のものに意識が向かいます。毎夜10時過ぎに犬の散歩に出かけるわたしは、綱に引きずられながらも、いつのまにか冬空に輝く星にうっとりと見入ってしまいます。ほかの季節には、夜空のことなんてちっとも気にならないのに。本日の句は星ではなく、もっと近くに、そしてもっと鮮やかに現れてくる虹を詠っています。虹を、クレーンのように見据えて、空高くに何物かを持ち上げているように感じることは、それほど珍しいことではないのかもしれません。それでも読んだ瞬間に、ふっと小さく驚いてしまうのは、読者の読みそのものが、足元をすくわれて、空に持ち上げられたかのような気持ちのよさを感じるためなのです。冷たい空気が、句のすみずみにまで行渡っているような、透明感のある作品になっています。この句で特に好きなのは、「貧しき」という語のひそやかさです。ひたすら地べたにしがみついている生命のけなげさを、やさしく表しているようです。『朝日俳壇』(朝日新聞・2009年12月28日付)所載。(松下育男)


January 1812010

 木葉髪馬鹿は死ななきや直らねえ

                           金子兜太

きだなあ、この句。若い頃には抜け毛など気にもかけないが、歳を重ねるうちに自然に気になるようになる。抜け毛にもだんだん若い日の勢いがなくなってくるので、まさに落ちてきた木の葉のごとしだ。見つめながら「オレもトシ取ったんだなあ」と嘆息の一つも漏れてこようというもの。しかし、この嘆息の落とし所は人さまざまである。草田男のように「木の葉髪文芸永く欺きぬ」と嘆息を深める人もいれば、掲句のようにそれを「ま、しょうがねえか」と磊落に突き放す人もいる。生来の気質の違いも大きかろうが、根底には長い間に培ってきた人生に対する態度の差のほうが大きいと思う。掲句を読んで「いかにも兜太らしいや」と微笑するのは簡単だが、その「兜太らしさ」を一般読者に認知させるまでの困難を、クリエーターならわかるはずである。嘆息の途中に、昔の子供なら誰でも知っていた廣澤虎造『石松代参』の名科白を無造作に放り込むなんてことは、やはり相当の大人でないとできることではない。この無技巧の技巧もまた、人生への向き合い方に拠っているだろう。金子兜太、九十歳。ますますの快進撃を。ああそして、久しぶりに虎造の名調子を聴きたくなってきた。例の「スシ食いねえ…」の件りである。「俳句界」(2009年1月号)所載。(清水哲男)


January 1912010

 松活けて御前がかりの土俵入

                           中沢城子

半戦となり、いよいよ白熱してきた初場所である。「御前掛り(ごぜんがかり)」とは、天皇が観戦する天覧相撲において特別に行われる土俵入りのことをいう。今年は初日の10日が天覧相撲だったが、幕の途中からの観戦だったため御前掛りは行われなかった。御前掛りの土俵入りは、力士全員が正面を向いて整列し、一礼して降りていくことで、貴賓席にお尻を向けない進行になっているのだが、やはり絢爛たる化粧回しが丸い土俵をぐるりと囲む普段の土俵入りの方が美しいと思う。とはいえ、掲句は初場所の特別な日であることの高揚に輝く力士たちが浮かび、青々とした松とのコントラストとともに、神事としての相撲の姿も鮮やかに描いている。昨年、国技館で大相撲を見る機会があったが、目の前で見る力士の若々しい肌と、ぶつかったり投げられたりする際の大きな音にことのほか驚いた。土俵に投げられた力士の肌がみるみる紅潮していくのは、痛さより悔しさからであることが伝わり、取り組みごとの大きなどよめきに巻き込まれるように、思わぬ歓声をあげていた。国技館にある御製記念碑には昭和天皇の〈ひさしくも みざりしすまひ ひとびとと てをたたきつつ みるがたのしさ〉と記されている。満場の一体感こそ、スポーツ観戦の醍醐味なのであろう。タイトルの「明荷(あけに)」とは力士が場所入りや巡業の時に使用する大きな長方形の物入れで、ここに化粧回しや座布団、草履などが入っているという。「明荷は十両以上の関取のみが使用することができるため、力士にとっては憧れと夢のトランクである」とあとがきには書かれている。〈猟犬の臥せば一山息をのむ〉〈女手に打つ釘まがる十二月〉『明荷』(2010)所収。(土肥あき子)


January 2012010

 どの墓も××家とある寒さかな

                           正津 勉

の暮に墓掃除に行ったり、正月にお参りに出かけることはあっても、一般に寒い時期に墓を訪れる人はなかなかいないだろう。それでなくとも、墓地までは距離があったりして、寒い折に出かけるのはよほどの用がないかぎり、億劫になってしまいがちである。ご先祖様には申しわけないけれど。それにしても墓地は、だいたいどこやら寂しいし寒々しいもの。掲出句にあるごとく、まこと大抵の墓には、宗旨にもよるが「××家」とか「先祖代々之墓」などと刻まれている。「××家」累代の歴史に、束の間の幸せや悲劇があったにせよ、刻まれた文字からは、雪があるないにかかわらず深閑として、冬場には厳しい寒さがいっそう漂う。「公苑墓地」などと称していても、寒いことにかわりはない。家によって一律ではないにしても、墓の姿や刻まれた文字が一様に寒々しく感じられてしまうのは仕方がない。時候の「寒さ」と心理的な「寒さ」とが、下五で重なりあっている。同時に威儀を正しているような凛としたものさえ感じられる句である。この句と同時に「あばら家の明け渡し迫る空つ風」という句がならんでいる。句誌「ににん」に、勉は「歩く人・碧梧桐」を連載している。「ににん」37号(2010)所載。(八木忠栄)


January 2112010

 着ぶくれて動物園へ泣きに行く

                           西澤みず季

月も下旬となり寒さも極まるとダウンジャケットやコートに身を固め、毛糸帽を目深かにかぶった人の姿が増えてくる。電車の中も押し合いへしあい嵩を増した者同士、身動きもとれないありさまで運ばれてゆく。そんな格好をしていると一番不似合いなのが優雅に恋愛することかもしれない。寄り添うにしてもごそごそと腕も組めやしない!それに比べ悲しみと着ぶくれは似つかわしく通じるところがありそう。だけどこの句では泣きにゆくのが動物園というところが意表を突いている。人に見られたくないので動物園を選んだのならラマやカモシカ、といったあまり人が集まっていない動物の前にあるベンチを選べばゆっくりと泣けそうだ。着ぶくれて泣いている様子を不思議そうに眺めている柵の中の動物の表情を想像するとなんだかおかしい。期せずして誘い出す笑いがせつなく明るくて、私も泣くために着ぶくれて動物園へ行きたくなった。『ミステリーツアー』(2009)所収。(三宅やよい)


January 2212010

 冬服や鏨のいろの坂に入る

                           進藤一考

(たがね)は石や鉄を削る工具。多くは棒状で握る部分は黒く、先に刃がついている。鏨のいろとはこの黒い色を言うのだろう。坂が鏨のいろというのは、冬季の路面に対する印象。これはむき出しの土の色ではなく、舗装路の色かもしれぬ。そこを着ぶくれた冬の装いをした人が上っていく。冬服の本意は和装かもしれないが、舗装路で洋装ととらないとこれはいつの時代の話かわからなくなる。鏨の比喩でモノクロームな色合の冬の寒さが表現されている。もうひとつ、冬服やという置き方は最近の句には珍しいかたち。冬服が下句の動作の主語になる古典的な「や」である。『貌鳥』所収(1994)所収。(今井 聖)


January 2312010

 ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり

                           村上鞆彦

事は一年中起きてしまうものだが、空気が乾燥して風が強い冬に多いということで冬季。とはいえ、火事そのものは惨事であり、兼題に出たりすると、火事がどこかであったかしら、と思うのもなにやら後ろめたく、また季感もうすい。「この句はいかにも火事らしい」などと言っても言われても、なんだかなあという気も。その点この句にはまず冬の匂いがある。ひんやりと黒いガラス戸の向こうに見える小さく赤い炎に、思わず指を重ねたのだろうか。平凡な沈黙を破るかのような一点の火。見慣れた夜景が生々しく動きだし、その中に急に人の息づかいを感じてしまう。そして、ガラスから伝わってくる冷たさを指先で共有する時、読み手はまた作者の内なる熱さに触れるような心持ちになるのかもしれない。他に〈コート払ふ手の肌色の動きけり〉〈浮寝鳥よりも静かに画架置かれ〉など、衒わず新鮮な印象。「新撰21」(2009・邑書林)所載。(今井肖子)


January 2412010

 武蔵野の雪ころばしか富士の山

                           斉藤徳元

ころばしというのは雪ダルマのことです。たしかに雪ダルマを作るためには、雪を転がして少しずつ大きくしてゆくわけですから、「雪ころばし」というかわいらしい言葉は、適切な名前と言えます。関東地方南部に長年暮らしているわたしは、雪ダルマを作るほどの積雪はめったに経験したことがなく、だからきちんとした雪ダルマなど作った記憶がありません。いつも中途半端にでこぼこで、泥のついた情けないものでした。江戸期の「雪ころばし」は、単に雪を転がして大きくしたもので、目鼻をつけることもなかったようです。だから余計に、遠方にぬっくと立ち尽くす富士山を、雪ダルマに見立てるなどという発想が出てきたのでしょう。冬の富士の気候は厳しく、武蔵野平野に作られた雪ダルマなどという暢気なものではありません。でもそれを言うならもちろん、雪に覆われた冬の生活そのものが日々過酷なものであり、だからこそこのような句で、心だけはほっとしたかったのかもしれません。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)


January 2512010

 年老いて火を焚いてをるひとりかな

                           橋上 暁

のダイオキシン騒動以後、住宅地などでの焚火はまったく見られなくなってしまった。昔は朝方や夕暮れ近くには、あちこちの民家の庭先から、落葉やゴミを燃やす細い煙が上がっていたものだった。近づくと、特有のいい匂いがした。その時代の句だろう。焚火をしている人は他人とも解釈できるけれど、私は作者当人と解しておきたい。つまり「年老いて」を実感としたほうが、より孤独の相が深まるからである。この焚火は、盛大なものじゃない。火の勢いも強くはない。ぼそぼそと、少しずつ紙くずなんかを燃やしている。燃やしながらチロチロとした炎や燃えかすを見ているうちに、脈絡もなくさまざまな思いがわいてくる。こうした焚火は遊び気分とは縁のない一種のルーティン・ワークだから、あまり弾むような気持ちは起きてこない。「ああ、オレも年をとったなあ」などと、気分はどうしても内向的になる。呟きのようにわいてくるこうした気分を反芻していると、不意に人間はしょせん「ひとり」なんだという、それこそ実感の穴に転げ落ちてゆく。この「一人」は一人暮らしのそれであってもよいのだが、むしろ家族と同居しているなかでの「ひとり」感としたほうが味わい深い。たそがれどき、むらさきの煙を上げている焚火を見つめながら、このような孤独感に胸を塞がれた人たちも多かったろう。焚火の時間はまた内省の時間でもあったのだ。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


January 2612010

 雪だるま手足出さうな日和なり

                           大沼遊魚

を明けてからの天気予報の日本地図にはずらりと雪だるまのマークが並んでいるが、日は確実に伸びてきた。日常に雪の降る生活をほとんど経験していないことから、雪だるまを作ることは憧れのひとつでもある。「雪だるまの作り方」なるマニュアルによれば「まず手のひらで雪玉を作り、やわらかい雪の上で転がす。まんべんなく雪が付くように転がしていくと、雪玉はどんどん大きくなるので、ほどよい大きさを二つ作り、ひとつにもうひとつを重ねる。」のだそうだ。手のひらほどの雪玉が、みるみる大きくなっていくことが醍醐味のこの遊び、日本でどれほど昔から親しまれていたのかと調べてみると、源氏物語と江戸期の浮世絵に見つけることができた。源氏物語では「朝顔」の段に「童女を庭へおろして雪まろげをさせた」とあり、「雪まろげ」とは雪玉を転がし大きくする遊びとあるから、雪だるまの原形と考えてもよさそうだ。浮世絵は鈴木春信の「雪転がし」で、こちらは三人の男の子が着物の裾をからげて(一人はなんと素足である)、寒さをものともせず大きな雪玉を転がしている。掲句にも、また遊びの本質を見届ける視線がある。雪だるまが次第に溶け、形がなくなってしまうことへの悲しみや切なさという従来の詠みぶりを捨て、最後まで明るくとらえていることに注目した。ところで歌川広重『江戸名所道戯尽』の「廿二御蔵前の雪」では、正真正銘の達磨さんを模したものが描かれており、これにぬっと手足が出たらちょっと怖い。〈雪原の吾を一片の芥とも〉〈山眠る熱きマグマを懐に〉『倭彩』(2009)所収。(土肥あき子)


January 2712010

 大雪となりて果てたる楽屋口

                           安藤鶴夫

席が始まる頃から、すでに雪は降っていたのだろう。番組が進んで最後のトリが終わる頃には、すっかり大雪になってしまった。楽屋に詰めていた鶴夫は、帰ろうとした楽屋口で雪に驚いているのだ。出演者たちは出番が終われば、それぞれすぐに楽屋を出て帰って行く。いっぽう木戸口から帰りを急ぐ客たちも、大雪になってしまったことに慌てながら散って行く。その表の様子には一切ふれていないにもかかわらず、句の裏にはその様子もはっきり見えている。今はなき人形町末広か、新宿末広亭あたりだろうか。いずれにせよ東京にある寄席での大雪である。東京では10cmも降れば大雪。これから贔屓の落語家と、近所の居酒屋へ雪見酒としゃれこもうとしているのかもしれない。からっぽになった客席も楽屋も、冷えこんできて寂しさがいや増す。寄席では、雪の日は高座に雪の噺がかかったりする。雪を舞台にした落語には「鰍沢」「夢金」「除夜の雪」「雪てん」……などがあるが、多くはない。癖の強かった「アンツル」こと安藤鶴夫の業績はすばらしかったけれど、敵も少なくなかったことで知られる。多くの演芸評論だけでなく、小説『巷談本牧亭』で直木賞を受賞した。久保田万太郎に師事した。ほかに「とどのつまりは電車に乗って日短か」の句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 2812010

 障子閉めて沖にさびしい鯨たち

                           木村和也

の日ざしを受け鈍く光る障子は外と内とをさえぎりつつも外の気配を伝える。ドアは内と外を完全に遮断してしまうけど、障子は内側にいながらにして外の世界を感じる通路をひらいているように思う。「障子しめて四方の紅葉を感じをり」の星野立子の句がそんな障子の性質を言い当てている。掲句では障子を閉めたことでイマジネーションが高まり沖合にいる鯨が直に作者の感性に響いているといえるだろう。大きく静かな印象をもつ鯨を「鯨たち」と複数にしたことでより「さびしさ」を強めている。冬の繁殖期に日本の近海に回遊してくる鯨。その種類によっては広大な海でお互いを確認するためさまざまな音を出すという。「例えば、ナガスクジラは人間にも聞き取れる低い波長の音を出し、その音は海を渡ってはるかな距離まで響き渡る。」と、「世界動物大図鑑」に記述がある。閉めた障子の内側に坐して作者は沖にいる鯨の孤独を思い、ひそやかな鯨の歌に耳をすましているのかもしれない。『新鬼』(2009)所収。(三宅やよい)


January 2912010

 降り切つて雪のあけぼのおのづから

                           蝦名石藏

雪の地の感慨が出ている。雪がこれでもかと連日降り続いてようやく止む。まさに「おのづから」止む体である。そして朝日が顔を出す。冬来りなば春遠からじ。朝の来ない夜はない。人生の寓意の類にどこかで転じていく働きもある。「氷結の上上雪の降り積もる」山口誓子はこの自作の色紙を企業経営者などに請われることが多いと自解に書いていた。ちりも積もれば山となるを肝に銘ぜよと社員に示すためだろう。そういう鑑賞が悪いとか良いとかいうのは当たらない。ただ、現実描写、即物把握の意図があってこその、結果としての寓意だとこういう句を見て思う。『遠望』(2009)所収。(今井 聖)


January 3012010

 一筋の髪が手に落ち春隣

                           山西雅子

のところの東京は、突然Tシャツ一枚で歩けるような陽気かと思えば翌日はダウンジャケットを着込む有様で、次々咲く近所の梅に、明日はまた真冬の寒さだからその辺で止めておかないと、と思わず話しかけたくなるほど。春待つ、のひたすらな心情に比べて、春隣、には、ふと感じて微笑んでしまうほのぼの感がある。そう考えるとこの句の髪は、作者自身の髪ではないのかもしれない。たとえば子供の髪をとかしてやっていて、やわらかく細い髪が手のひらの上で光っているのを見た時、そんな「ふと」の一瞬が作者に訪れたのではないだろうか。そういえば重なっているイ音にも、口元がついにっこりしてしまうのだった。〈マフラーを二巻きす顎上げさせて〉〈冬木に根あり考へてばかりでは〉『沙鴎』(2009)所収。(今井肖子)


January 3112010

 雪の夜の紅茶の色を愛しけり

                           日野草城

茶を詠った句は、どれも読んでいてあたたかな気持ちになります。特に、ことさら赤い「色」に注目したのは、つめたい雪の「白」や、部屋をつつむ夜の「黒」と対比したもので、たしかに紅茶というのは、その熱を色にまで素直に表しているものなのだなと、あらためて感心してしまいます。かつてこの欄で、三宅さんが採り上げた「雪降ってコーヒー組と紅茶組」(中原幸子)の句にも感じたことですが、この世には、わたしたちをそっと支えてくれるものが、あらかじめきちんと用意されているものだなと、つくづく感じるわけです。わたしが紅茶を飲むのは、この句とは違って通勤前のあわただしい朝の数分です。トーストを頬張った後に、砂糖もなにも入れない紅茶を流し込むように飲んでから、気合を入れて会社に向かうわけです。この句のように、ゆったりとした言い方はできませんが、日々のはじまりに背中を押してくれるこの飲み物を、わたしだって深く愛しています。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)




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