体調が良ければ東京ドームでライスボウル観戦。観客席の階段が恐い。(哲




2010N13句(前日までの二句を含む)

January 0312010

 只の年またくるそれでよかりけり

                           星野麥丘人

あ、読んでの通りの句です。言っていることも、あるいは言わんとしていることも、実にわかりやすくできています。ありふれていることのありがたみを、あらためて、しみじみと感じている様子がよく表されています。正月3日。このところの深酒のせいで深く眠ったあとで、ゆっくりと目が覚めて、朝風呂にでも浸かっているのでしょうか。水面から立ち上る湯気の様子を、見るともなく見ながら、年が改まったことへの感慨を深めているようです。若い頃には、受験だ結婚だ出産だと、次から次へ予定が詰まっていた一年も、子供たちが独立してからは、年が新しくなったからといって、特に大きな予定も思い当たらなくなってきました。ただただ時の柔らかな流れのなかに、力をいれずに身をまかせているだけです。なんだが止め処もなく湧いてくる、この湯気のような月日だなと思いながら、ありふれた日々のありがたさに、肩深くまで浸かっています。よいことなんて特段起きなくていい。生きて何事もなくすごせることの奇跡を、じかに感じていたいのです。『新日本大歳時記』(2000・講談社)所載。(松下育男)


January 0212010

 ラグビーの審判小さく小さく立つ

                           相沢文子

日、大学ラグビーの準決勝が国立競技場で行われる。このところずっと、2日は家のテレビで箱根駅伝をぬくぬく見るのが定番になってしまったが、学生の頃はお正月といえばラグビー、競技場へもよく足を運んだ。今年は残念ながら負けてしまったけれど、当時早稲田が強かった。思えば三十年ほど前の話で細かい記憶はほとんどないが、華麗なバックスへの展開は素人目にも鮮やかで、中でもほれぼれする加速力を持った左ウイングの藤原選手は印象深い。掲出句の場合ゴールキック直後、幅5.6mのゴールポストの間をボールが通過した瞬間、グランドのほぼ中央で天に向かってさっと旗をあげる審判の姿が見える。応援も鳴り物なし、生身の体と体で黙々と勝負するラグビー。間近で見ると選手の体から湯気が立ち迫力あるが、この句は審判に焦点を当てて大きい競技場での観戦の感じをとらえ、冬の空気を感じさせる。ホイッスルが冴え冴えとした空に響く。「花鳥諷詠」十一月号(2009)所載。(今井肖子)


January 0112010

 夜番の柝ひとの年譜の三十路の頃

                           田川飛旅子

旅子はひりょしと読む。ひとの年譜を見ていた。ふうん、この人、三十代の頃はこんなことしてたんだ、と思っていたら、カチカチと火の用心の柝の音がした。テーマは「時間」、あるいは「時間の過ぎる速さ」だろう。そういえば俺は三十代の頃何をしてたかなと読者は考える。僕の場合は、もう三十になってしまったという焦りが先に立ったのを憶えている。もうすぐ還暦を迎えようとしている身からすると可笑しな気がするが、十年も経ったら、(生きていたら)今を振り返ってあの頃は若かったと思うんだろうな。田川さんには「桐咲くやあつと言ふ間の晩年なり」「祝辞みな未来のことや植樹祭」「クリスマス自由に死ねと定年来」など、時間というものの残酷さやかけがえのなさを感じさせる秀句が多い。定年になったら暇になって楽ができると思っていたら、こんなに忙しいとは思わなかったとエッセーに書いておられた。その田川さんが85歳で亡くなられてもう十年が過ぎた。『花文字』(1955)所収。(今井 聖)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます