2010N4句

April 0142010

 春園のホースむくむく水通す

                           西東三鬼

翹、雪柳、桜、と花々は咲き乱れ、木々の枝からは薄緑の芽がそこここに顔を出している。見渡せば柔らかな春の空気に明るく活気づいた景色が目を楽しませてくれる春の園、だのにこの俳人は地面に投げ出されたホースにじっと目を凝らしている。心臓の鼓動を伝える血管のように水の膨らみを伝えてうねるホース。「むくむく」と形容されたホースが生き物のようだ。三鬼の視線に捉えられると「春の園」も美しさや華やかさを演出するものではなく生々しく過剰な生命力が吹きだまった場所に思えてしまう。三鬼はともすれば俳句の器に収まりきれないこうした自分の資質を持て余したのかもしれない。戦後、三鬼の誓子への傾倒について高柳重信は「とかく俳句から逸脱してしまいそうな彼の言葉の飛翔力に対し、それは、とりあえず、たしかな俳句の原器であった」と述べている。それにしても亡くなった日がエープリル・フールとは、一報を受けた人たちは唖然としただろう。自分の死さえ茶化してしまったような三鬼の在りようは最後まで俳句の尋常をはみ出していたように思う。『西東三鬼集』(1984)所収。(三宅やよい)


April 0242010

 文弱の兄また兄に残花かな

                           藤原月彦

者は1952年生まれ。文弱という言葉を「詩語」として使える狭い範囲の世代である。戦前なら「文弱」は使用頻度の高い日常語。50年生まれの僕も父に「文学部なんか嫁入り道具、男が行くもんじゃない」と言われた。高校の頃、祖母に俳句が趣味だと言ったら呆れた顔をして、あとで「あの子は道楽もんのおじいさんの血を継いだこてね」と親戚中に嘆いてまわった。文弱という語を見つけたときは、父や祖母の時代の言葉だと思いつつ、その意味するところに新鮮な感じをもったものだ。高度成長期に就職期を迎えた世代から「文弱」は完全な死語になった。文学部は花嫁道具ではなくなった。「女の腐ったような」も「文弱」もその時代の状況や雰囲気を映し出す。月彦さんも僕も、かろうじて「文弱」が自覚できる世代。敢えて文弱になる決意をした最後の世代である。「俳句研究」(1975年11月号)所載。(今井 聖)


April 0342010

 花時の赤子の爪を切りにけり

                           藤本美和子

すももいろがほわっと広がる、まさに今頃だろう。〈春満月生後一日目の赤子〉〈嬰児の臍のあたりの日永かな〉に続いての一句なので、生まれたばかりの赤ちゃんとわかるが、一句として読んでも、桜の頃のその赤ちゃんの頬の色、花びらよりも小さな小さな爪、やわらかな風、そんなあれこれが見える。そして、その一連のふわふわ感で終わってしまわずに、切りにけり、と文字通りきっちり切ることで、花時の茫洋とした空気がよりいっそう感じられる一句となった。赤ちゃんの爪を切るのは一苦労、と言うが、私がまだ言葉らしい言葉を発していなかったほどの赤ん坊だった時、母がつい深爪をしたとたん「イタイ」と言ったらしい。「あなた、最初にしゃべった言葉が、イタイ、だったのよ。昔からちょっとおかしな子だったわね」だそうだ。『天空』(2009)所収。(今井肖子)


April 0442010

 雪とけてくりくりしたる月夜かな

                           小林一茶

だまだ寒い日が続いています。と、私がこれを書いているのは、寒気が上空を覆っている3月30日(火)ですが、はてさて4月4日には陽気はどうなっているのでしょうか。この句のように「雪とけて」、穏やかな春の大気に包まれているでしょうか。本日の句、ポイントはなんといっても「くりくり」です。なんだかふざけているような、でも馬鹿らしくは感じさせないすれすれのところの擬音を、さりげなく置いています。心憎い才能です。「くりくり」から思いつくのは、今なら子供の大きな丸い目ですが、当時はどうだったのでしょう。凡人には、いくら頭をひねっても、あるいは幾通りの擬音をためしてみても、こんなふうには出来上がらないものです。結局は持って生まれた才能のあるなしで、文学のセンスは決まってしまうのかと、凡庸な才で日々苦労しているものにとっては、つらい気持ちにさせられます。とはいうものの、今更どうなるものでもなく、たまたま見事な言葉遣いの才が、この人に与えられてしまったのだと気をとりなおし、目をくりくりして、ただ素直に感動することにしましょう。『百人百句』(2001・講談社)所載。(松下育男)


April 0542010

 花疲泣く子の電車また動く

                           中村汀女

週の土曜日は、井の頭公園で花見。よく晴れたこともあって、予想以上の猛烈な人出だった。道路も大渋滞して、バスもいつもなら数分で行ける距離を三十分以上はかかる始末。花見の後の飲み会に入る前に、気分はもうぐったり。花見に疲れたのではなく、人ごみにすっかり疲れてしまったのだった。人に酔うとは、このことだろう。季語の「花疲れ」は、そういうこともひっくるめて使うようだ。掲句で、作者は花見帰りの電車のなかにいる。くたびれた身には、車内の幼児の泣き声が普段よりもずっと鬱陶しく聞こえる。そのうちに、だんだん腹立たしくなってくる。早く降りてくれないかな。停車するたびに期待するのだが、今度もまた、泣きわめく声を乗せたまま、無情にも電車は動きはじめた。がっかりである。そんな気持ちに、電車も心無しかいつもよりスピードが遅く感じられる。さりげない詠みぶりだが、市井の詩人・汀女の面目躍如といったところだ。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


April 0642010

 荒使ふ修正液や桜の夜

                           吉田明子

正液は短期間にずいぶん進化したもののひとつだろう。現在の主流は、つるつるっと貼るテープ状のものと、カチカチっと振って使うペンタッチタイプのようだ。どちらもすぐに文字が書けるところがポイントで、以前の液体タイプは乾くまでしばらく待たなければならなかった。昭和52年の発売当初はマニキュアボトルのような刷毛型で、しばらく使うと刷毛がガチガチに固まり、それはもう厄介であったと聞く。修正液の上に慌てて文字を書こうとすれば、よれてしまったり、にじんでしまったり、またぞろ上から修正することにもなる。そうこうするうちに、その部分だけやけに立体的になってしまう。間違ってしまったという気持ちの萎えと、一刻も早く正しく訂正しようという焦りが失敗を生み続け、今日の修正液の改善へとつながっているのだろう。掲句にある「荒使ふ」は、荒っぽくじゃんじゃん使うという意だが、下五の「桜の夜」の効果によって、単なる文字の書き間違いというより、心の逡巡を感じさせる。ところどころに桜の花が散ったような書面を思うと、修正前の言葉を憶測して透かしてみたりしてしまうだろう。修正跡には揺れ動く作者の一瞬前の時間が封印されている。〈校庭に白線あまた春をはる〉〈ペコちゃんもポコちゃんもけふ更衣〉『羽音』(2010)所収。(土肥あき子)


April 0742010

 白露や死んでゆく日も帯締めて

                           三橋鷹女

日、四月七日は鷹女忌である。鷹女の凛として気丈で激しく、妖艶さを特長とする世界については、改めて云々するまでもあるまい。一九七二年に亡くなる、その二十年前に刊行された、第三句集『白骨』に収められた句である。鷹女五十三歳。同時期の句に「女一人佇てり銀河を渉るべく」がある。細面に眼鏡をかけ、胸高に帯をきりりと締めた鷹女の写真は、これらの句を裏切ることなく敢然と屹立している。橋本多佳子を別として、このような句業を成した女性俳人は、果たしてその後にいただろうか? 女性としての孤高と矜持が、余分なものをきっぱりとして寄せつけない。弛むことがない。「帯締めて」に、気丈な女性のきりっとした決意のようなものがこめられている。句集の後記に鷹女は「やがて詠ひ終る日までへのこれからの日々を、心あたらしく詠ひ始めようとする悲願が、この一書に『白骨』の名を付せしめた」とある。心あたらしく……掲出の句以降に、凄い句がたくさん作られている。晩年に肺癌をはじめ疾病に悩まされた鷹女は、「白露」の秋ではなく花吹雪の時季に命尽きた。それも鷹女にはふさわしかったように思われる。中原道夫の句に「鷹女忌の鞦韆奪ふべくもなく」(『緑廊』)がある。この句が名句「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」を意識していることは言うまでもない。『白骨』(1952)所収。(八木忠栄)


April 0842010

 羽のある蛇を描きて日永かな

                           有馬朗人

野火、メキシコと題された中の一句。羽のある蛇はアステカの遺跡の壁画に残された絵なのだろうか。幾何学模様がエキゾチックなリズムとともに描き出されていることだろう。こうして「日永」という季語を合わさってみるとのんびりした春の季感を超えて、もっと長い長い時間へ巻き戻されてゆくようだ。羽のある蛇は人間が自分と動物・植物を分かつことなく畏敬の念をもって交わっていた時代、身近にいる蛇が空中を飛ぶとき羽が見えたのかもしれない。描かれた壁画を見ているのだろうが、「蛇を描きて」という言葉に眼の前で彩色しているのを眺めている気分になる。きっと作者は画を眺めながらワープしているのだろう。この句集ではそんな時間的混沌が季語と合わさって不思議な世界を紡ぎだしている。「春の雨悪魔の舌をぬらしけり」これも寺院の屋根にある彫像なのだろうが、おどろおどろしく長い舌を出して耳まで裂けた口でにやっと笑う悪魔の顔が春の雨の情緒を怪しいものに塗り替えている。『鵬翼』(2009)所収。(三宅やよい)


April 0942010

 骸骨ふたつ 紅茶も花も今朝のまま

                           室生幸太郎

の句、1979年の作品なので、なんとなくモダニズムふうな仕立ての意図だろうと思うが、孤独死、虐待死が日常的な今日においては世相そのものである。モダンなイメージに現実が追いついたのだ。毎年、日露戦争の死者の数を超える自殺があると聞くと、映画でみたあの二百三高地の累々たる死者のありさまを想像しておぞましい気持になる。この作者の傾向からいって「花」は桜ではないだろう。机の上の花瓶に生けられた一般的な花だ。「俳句研究」(1979年10月号)所載。(今井 聖)


April 1042010

 ここ此処と振る手儚し飛花落花

                           池田澄子

花から満開まで何度か花を見に出かけたが、ほとんどダウンジャケット着用。夜、月を仰ぎながら、ぼーっと飛花落花の中に立つ、ということもないまま花は葉に、となりそうだ。咲いてから冷えこむと確かに花の時期は長いけれど、枝の先の先までぷっくりまるく咲ききって、そこに満ちあふれた散る力が、光と風に一気に解き放たれるあの感じはやや乏しい気がする。それでも、花の下で幾度か待ち合わせをした。目当ての花筵を探したり、来る人を待ったり。遠くから視線が合うと皆手を振る。掲出句で手を振っているのは、作者を待っていた人か。花びらの舞う中でひらひら動くその手に、ふと儚さを感じたのだろう。空へ地へ散り続く花の中にあると、確かな意志を持って明るく振られている手がそんな風に見える瞬間が、きっとある。『俳句』(2010年4月号)所載。(今井肖子)


April 1142010

 人も見ぬ春や鏡の裏の梅

                           松尾芭蕉

の表面をミズスマシのように歩いたり、あるいは鏡の中の世界へ深くもぐりこんでいったり、というのは、アリスの国の作者だけではなく、だれしもがしたくなる想像の世界です。この句で芭蕉は、鏡の外でも中でもなく、鏡の裏側の絵模様に視線を当てています。鏡に映っている下界の季節とは別に、鏡の裏側にも季節がきちんと描かれていて、見れば梅の咲き誇る春であったというのです。けれど、この春はだれに見られることもなく、また、時が進んでゆくわけでもなく、取り残されたように世界の裏側にひっそりと佇んでいます。鏡の外の庭には、すでに桜が咲き、さらにその盛りも過ぎようとしています。けれど鏡の裏側には、いつまでも梅の花が、だれに愛でられることもなく咲いています。句全体に、美しいけれどもどことなくさびしさを感じてしまうのは、鏡の裏という位置に、自分の人生を重ねあわせてしまうからなのです。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)


April 1242010

 きれいねと知らぬ人とのさくらかな

                           相生葉留実

見に出かけての句ではないだろう。歩いていてたまたま遭遇した「さくら」の見事さに、つい近くにいた見知らぬ人に呼びかけたのである。同意を求められた人も、微笑してうなずき返している様子が目に浮かぶ。何の屈託もない素直な中身と詠みぶりが、それだけにかえって読後の印象を鮮明にしてくれる。花を愛でた句は枚挙にいとまがないけれど、アングル的にはけっこう意表をついた句だと思う。詩から俳句に転じた人は多いが、作者もそのひとりだ。京都に住み、第一詩集『日常語の稽古』(思潮社・1971)以降良質な作品を書きつづけていて、私も愛読していたが、いつの間にか俳句の道に進んでいた。そのことを知ったときにはかなり驚きもしたけれど、今回まとめられた句集を読むと、とかく思念や情趣をこねくりまわしがちな「現代詩」の世界と分かれた理由も納得できたような気がする。いわば資質的に俳句に似合っていた人とでも言うべきか。熱心な詩の「稽古」のおかげで、ついに自分にかなった言語世界を発見できたとも……。ただ惜しむらくは、作者が昨年一月に子宮癌で亡くなったことだ。さくらの季節に出た自分の句集を、生きて見ることはなかった。俳人としては、これからというときだったのに……。合掌。『海へ帰る』(2010・ふらんす堂)所収。(清水哲男)


April 1342010

 橋の裏まで菜の花の水明り

                           鳥井保和

色のなかで一番明るい黄色は、もっとも目を引く色として救助用具にも採用される。堤一面の菜の花が川面を染め、橋の裏にまで映えているという掲句に、春の持つ圧倒的な迫力を感じる。これからの季節、菜の花を始め、山吹、れんぎょう、たんぽぽと黄色の花が咲き続く。蜜や花粉を採取する昆虫の色覚が、黄色を捉えやすいからということらしいが、長い冬から解放された大地が、まず一斉に黄色の花を咲かせることが、生への渇望のようにも見え、頼もしくも身じろぐような凄みもある。「橋の裏」という普段ひんやりと薄暗いところまで光りを届けるような菜の花を、作者は牧歌的に美しいというより、積極的に攻める色として見ているのではないだろうか。山村暮鳥の「いちめんのなのはな」にも文字を連ねることで鬼気迫る感覚を引き出しているが、掲句にも大地が明るすぎる黄色に染まるこの季節の、おだやかな狂気が詠まれているように思うのだった。〈樹齢等しく満開の花並木〉〈水を飲む頸まで浸けて羽抜鶏〉『吃水』(2010)所収。(土肥あき子)


April 1442010

 春の日をがらんと過ごすバケツだよ

                           山本純子

が終わって、春の日はいよいようららかでのんびりとして穏やかである。あちらこちらからあくびがいくつも出て来そうな気配。海はひねもすのたりのたりしていて、雲雀は空高く揚がり、トンビはくるりと輪を描いているかもしれない。ま、春は人もトンビもさまざまでありましょう。そんなのどかな風景に、場違いとも思われるバケツの登場である。いや、バケツだって空(から)の状態では、大あくびだってするさ。海にも行けず、空にも揚がれないバケツはどこに置かれているにせよ、大口をいっぱいにあけて春の日を受け入れ、しかもがらんとしたまま無聊を慰めているしかない。掲句ではバケツの登場もさることながら、「だよ」という口語調のシメがズバリ新鮮な効果をあげている。いつだったか、中島みゆきがコンサートのステージに登場するや、いきなり「中島みゆきだわよ」と挨拶した可笑しさを想起してしまった。ここは「かな」や「なり」のような、いかにも俳句そのものといった、ありきたりの調べにしてしまってはぶちこわしである。俳句誌の「変身!?」という特集で、純子が自らバケツに変身して「小学校の廊下の片すみで、まわりにゾウキンとか、四、五枚もかけられて、始業のベルが鳴るまで、ぼけっと過ごすの、キライじゃないけど、ヒマなんだよね。…」というコメントを付して掲げた一句。詩集『あまのがわ』で二〇〇五年度のH氏賞を受賞した。『船団』84号(2010)所載。(八木忠栄)


April 1542010

 くろもじで切るカステラや春の月

                           広渡敬雄

木林を散歩したとき淡い黄色の小花をつけた灌木を指差して「くろもじ」と教えてくれた人がいる。「くろもじ」は緑色の樹皮に黒い斑模様があるので、それを文字に見立ててこの名前がついたという。その木の名前そのままにフォークや小さなナイフ形の菓子楊枝に加工されたものも「黒文字」と呼ぶそうだ。ネットで調べると材質に香気があるので、水に浸して拭ってから使うといいと書いてあった。やわらかいカステラにぐっとはいる黒文字がしっとりとしたカステラ生地の弾力を感じさせる。ぼんやりと明るい春の月との調和もいい。どっしりとした「くろもじ」という言葉がカステラの軽さを引き立てている。そういえば、昭和30年代のカステラは高級菓子で、お使い物で来るカステラは桐箱に入っていた。今はケーキ一個の値段でカステラ一本買えたりするけど、あの上品な味わいは生クリームたっぷりの洋菓子にはないよさだ。食べ物の句は何より食欲をそそることが肝心、すぐにでも「カステラ」を買ってきて熱いお茶とともに食べたくなった。『ライカ』(2009)所収。(三宅やよい)


April 1642010

 車座も少しかたむく春の丘

                           長岡裕一郎

見だろうか。丘で車座になることなどそれ以外にはあまりない。車座全体がやや傾いているというふうに思える感覚がある。平地を歩いているつもりがいつしか上り坂になっていたり、眩暈かなと思ったら小さな地震だったりする。違和感といっていいのだろうか。違和感とは不安のことだ。日常に慣れ親しんだ惰性の感覚に、どこか違ったものが入り込むのは不安であって、それこそが生の実感なのにちがいない。それは「知」で得られるものではなくて肉体を通して感じられるものである。「詩」もそこに存する。「俳壇」(1986年8月号)所載。(今井 聖)


April 1742010

 からすゐてなんのふしぎぞ烏の巣

                           西野文代

がうるさくて眠れなかったと花魁がぼやいた、という江戸時代の文献があるとか。昔は神の使いだった烏もその頃から、身近な存在である反面やっかいなカラス、となってしまったのだろうか。都会のカラスが、枝のかわりに針金など光るものを選んで巣を作ると聞いてはいたが、昨年、色とりどりのハンガーらしきものでできた巣を目の当たりにして、あらためてそのたくましさと賢さに驚いた。確かにカラスといえば、ゴミ集積所で餌を漁っているとか、枯れ枝にとまっているとか、勝手に決めているふしがあり、巣におさまっている、というのはなんとなく不似合いな気がしてしまう。掲出句の作者にも同様の心持ちがあると同時に、カラスに対する視線は優しい。そしてそのおおらかな詠みぶりに、都心にしては大きい森で鳴き交わしていた、春の鳥らしいカラスを思い出した。これからの季節、少し神経質になったカラスが多少恐くてもうるさくても、ご近所に住む者同士、と思うことにしようか。『それはもう』(2002)所収。(今井肖子)


April 1842010

 蝋涙や けだものくさきわが目ざめ

                           富沢赤黄男

季句です。蝋涙は「ろうるい」と読みます。普通の生活をしている中では、とてもつかうことのない言葉です。なんだか明治時代の小説でも読んでいるようです。辞書を引くまでもなく、その意味は、蝋がたれているように涙を流している様を表現しているのかなと、思われます。文学的な表現だから、いささか大げさなのは仕方がないにしても、蝋燭の流れた跡のように涙の筋が残っているなんて、いったいどんなことがあったのだろうと、心配になってきます。「けだもの」という、これもインパクトの強い単語のあとに、「くさき」と続けるのは、自然な流れではあるけれども、ちょっと意味がダブっているような気もします。それにしても、生命が最も力の漲っているはずの目覚めのときに、すでにしてたっぷりと泣いているというのです。おそらく世事のこまごまとした悩みからではなく、命あることの悲しみ、そのものを詠いあげているのでしょう。あるいはそうではなく、日々の平凡な目覚めこそが、実はそのようなものなのだと、言っているのでしょうか。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)


April 1942010

 菜の花の中や手に持つ獅子頭

                           松窓乙二

者の乙二(おつじ)は、江戸時代後期の東北の俳人。この俳人とその句のことは、矢島渚男『俳句の明日へ3』(紅書房・2002)で、はじめて知った。いちめんの菜の花のなかを、獅子舞の男が通ってゆく。獅子舞といえば都会では正月のものと決まっていたが、渚男が書いているように「陽春の候、春祭に東北あたりまでやってきたものか」もしれない。いずれにしても、当時の東北の人でもあまり見かけぬ光景であったのだろう。この様子を想像してみると、菜の花畑の黄色い花々に獅子舞の男はすっかり溶け込んでいて、ただひとつ獅子頭のみが移動しているのが見えているような気がする。なんだか夢でも見ているかのような、奇異でシュールな光景だ。おそらくは、乙二とともに目をこすりたくなった現代の読者も多いのではなかろうか。作者は光景そのままを詠んでいるだけだが、しかしこの「そのまま」を見落とさずにきちんと捉えた才質は素晴らしいと思う。俳人は、かくあるべきだろう。春うらら……。(清水哲男)


April 2042010

 天上にちちはは磯巾着ひらく

                           鳥居真里子

と磯巾着とは一体なにものなのだろう、と考えてみた。貝殻のない貝なのか、固定された魚なのか。調べてみると刺胞動物門虫綱六放サンゴ亜綱イソギンチャク目に属する動物だというから、食虫植物的珊瑚というのが正しい認識のようだ。そして、続く記述にさらに驚いた。磯巾着とは、どれも岩に固定しているわけではなく、時速数センチという速度で移動できるのだという。また、英名では「海のアネモネ」、独名では「海の薔薇」と呼ばれるのだから、あの極彩色の触手を天に向かって揺らめかせる様子を花と見立てて「咲く」と表現することももっともなことなのだ。しかし、一面の磯巾着をただ極楽のように美しいとだけ捕えるのは難しいだろう。あの触手にからめ取られるものがあることは容易に想像ができるのだから。触手に触れたものは、一体どこに運ばれていくのだろうか。海中に咲く磯巾着の花束を見おろしながら、作者もまた異界へと誘われているのだろう。『鼬の姉妹』(2002)所収。(土肥あき子)


April 2142010

 あんぱんの葡萄の臍や春惜しむ

                           三好達治

暦の歳時記では四月はもう夏だけれど、ここでは陽暦でしばし春に足をとどめて春を惜しんでみたい。三好達治という詩人とあんぱんの取り合わせには、意外性があってびっくりである。しかも、ポチリと付いているあんぱんの臍としての一粒の葡萄に、近視眼的にこだわって春を惜しんでいるのだから愉快。達治の有名な詩「春の岬」は「春の岬 旅のをはりの鴎どり/浮きつつ遠くなりにけるかも」と、詩というよりも短歌だが、鴎への洋々とした視点から一転して、卑近なあんぱんの臍を対比してみるのも一興。行く春を惜しむだけでなく、あんぱんの臍である一粒の葡萄を食べてしまうのが惜しくて、最後まで残しておく?ーそんな気持ちは、食いしん坊さんにはよく理解できると思う。妙な話だけれど、達治はつぶあんとこしあんのどちらが好きだったのだろうか。これは味覚にとって大事な問題である。私も近頃時々あんぱんを買って食べるけれど、断然つぶあん。その懐かしさとおいしさが何とも言えない。いつだったか、ある句会で「ふるさとは梅にうぐひす時々あんぱん」という句に出会った。作者は忘れてしまったが、気に入った。達治は大正末期に詩に熱中するまでは、俳句に専心していたという。戦後は文壇俳句会にも参加していたし、「路上百句」という句業も残している。「干竿の上に海みる蛙かな」という句など、彼の詩とは別な意味での「俳」の味わいが感じられる。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


April 2242010

 春闌けてピアノの前に椅子がない

                           澤 好摩

アノの椅子はどこへ行ったのだろう。確かに、椅子のないピアノは間が抜けている。ピアノを弾こうとする立場からこの句を読めば、はて、とあたりを見まわす落ち着かない気分になる。立って弾いてもさわりぐらいは奏でられるかもしれないが、本格的に弾こうと思えば腕に力が入らない。やはりピアノは全身を使って奏でる楽器だろう。ただ椅子がないのが常態の姿と考えると、弾き手がいなくなって、見捨てられたピアノが巨大な物置場になって部屋にある様子が想像される。子供のためによかれと小さい頃からピアノをやらせたものの大きくなるにつれ面倒なピアノの練習を放り出して、見向きもしなくなるのはよくあるパターン。巣立った娘たちに置き去りにされたピアノは春の物憂さを黒光りする身体に閉じ込め、蓋を閉じたまま沈黙している。この春も終わろうとしているのに誰にも触られないまま古びてゆくピアノは孤独かもしれない。『澤好摩句集』(2009)所収。(三宅やよい)


April 2342010

 いまだ名のつかざる男の子あたたかし

                           小澤 實

前をつけられ、名前で呼ばれ、言葉を教えられ、ものの名を教えられて人は常識を身に着ける。法に沿って常識は権力に都合のいいように書き換えられ規定される。右にも左にも上にも下にもはみださぬように設定された中での、倫理観やら反骨などはガス抜きに過ぎない。名前のつく前の裸の赤子に無限の可能性が詰まっている。もっとも弱きものの中にもっとも強固な変革の核がある。「俳句」(2009年5月号)所載。(今井 聖)


April 2442010

 春雨てふ銀の鎖をくぐりけり

                           矢野玲奈

れを書いている今も細かい春雨が降っているけれど、また冬に逆戻りの冷たさ。少し濡れてもいいかな、という艶な雨ではない。それにしても今日みたいな雨ばかりだったなあ、この春は、と思いながらも、この句を読むと、春の雨の風情を思い出す。うっすら白い空の色がそのまま零れて、仄かな銀の光をまとった雨粒になる。雨の糸、と言うと、細かさが見えるが、銀の鎖、という表現は輝きと共に、その一粒一粒にある生命力、草木や大地そのものを育む力を感じさせる。傘をささずに手をかざすくらいで、小走りにちょっとその先まで雨をくぐって行く作者も、春雨に通じるたおやかさと明るさと、内なる力強さを合わせ持っているのかもしれない。そして、桜蘂の上にうっすら雪がのる、という不思議な今年の春が行く。「新撰21」(2009・邑書林)所載。(今井肖子)


April 2542010

 朝寝して頬に一本線の入る

                           蜂巣厚子

語は「朝寝」、春です。このところのあたたかくなった陽気につつまれて、いつまでもぐずぐずと布団の中にいることを言うようです。でも今日の句、いつまでも布団の中にいることには、なにか別に理由がありそうです。頬に一本線が入ったというのは、まちがいなく涙の流れた跡でしょう。思えば、先週採り上げた句、「蝋涙や けだものくさきわが目ざめ」(富沢赤黄男)と、同じ場面を描いていることになります。それにしても出来上がった作品は、ずいぶん印象を異にしているものです。あらためて、創作というものが持つ幅の広さに感心してしまいます。先週の句が、絵の具を分厚に塗りこんだ油絵なら、今日の句は淡い水彩画ともいえるでしょうか。先週の句には、どこかこちらが一方的に驚かされているようなところがありましたが、今週の句には、もしできることなら、この人に手を差し伸べて、なにかをしてあげたいという、そんな心持になってきます。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年4月19日付)所載。(松下育男)


April 2642010

 山峡の底に街道桐の花

                           平野ひろし

う咲いている地方もあるだろう。桐の花は遠望してこそ美しい。ちょうど、この句のように。花の撮影を得意とする人のなかでも、このことをわかっている人は少ないようだ。クローズアップで撮っても、それなりに美しくは見えるけれど、しかしやはり遠目に見る美しさにはかなわない。桐の花の季節には、野山は青葉若葉で埋め尽くされる。だから、桐の花はいつでもそうした鮮やかな緑に囲まれているわけで、遠望することにより、さながら紫煙のごとくにぼおっと煙って見える理屈だ。つまり桐の花の美は、周囲の鮮明な緑によっていっそう引き立てられるのである。その周囲の強い緑色は、桐の花をどこかはかなげに見せる効果も生む。北原白秋の第一歌集『桐の花』に書きつけられた「わが世は凡て汚されたり、わが夢は凡て滅びむとす。わがわかき日も哀楽も遂には皐月の薄紫の桐の花の如くにや消えはつべき。……」は、白秋が桐の花の美的特質をよく把握していたことを示しているだろう。掲句の作者も「山峡の底」を鳥瞰することで、みずからの美意識を表白しているのだ。百年も二百年も時間が止まってしまったかのようなこの光景は、霞んだ紫の桐の花が巧まずして演出しているわけで、その光景を即座に切り取って見せた作者の感性には、描かれた光景とは裏腹になかなか鋭いものがある。「俳句界」(2010年5月号)所載。(清水哲男)


April 2742010

 春の夜や朽ちてゆくとは匂ふこと

                           ふけとしこ

だやかな日が三日続かないのが春のならいとはいえ、今年は20度を超える日があったり、雪が積もるような朝があったり、ほんとうに妙な具合だった。しかし、いつしか季節はしっかりとあたたかさを増し、鍋に入れたままのカレーや、冷蔵庫に入れ損なった苺などを一晩でだめにしてしまうようになる。ことに果物は、最後の瞬間こそ自分の存在を主張するのだともいいたげに、痛んだときにもっとも香りが立つものだ。おそらく外の世界でも、木が朽ちるとき、鉄骨が錆びるとき、それぞれが持つもっとも強い匂いを発するのではないか。春の夜にゆっくり痛んでいくあれこれのなかには、もちろん我が身も含まれる。人間はどんな匂いになっていくのだろうか。そういえば傍らの飼い猫も九歳となり、猫界では高齢の域に入る。首のあたりに鼻を寄せ思いっきり深呼吸してみると、乾いた藁塚のようなふっくらいい匂いがした。『インコを肩に』(2009)所収。(土肥あき子)


April 2842010

 葉桜が生きよ生きよと声かくる

                           相生葉留実

海道でさえ桜は終わって、今は葉桜の頃だろうか。桜の花は、開花→○分咲き→○分咲き→満開→花吹雪→葉桜と移る、その間誰もが落着きを失ってしまう。高橋睦郎が言うように「日本人は桜病」なのかもしれない。花が散ったあと日増しに緑の若葉が広がっていくのも、いかにも初夏のすがすがしい光景である。咲き誇る花の時季とはちがった、新鮮さにとって替わる。さらに秋になれば紅葉を楽しませてくれる。「花は桜」と言われるけれど、葉桜も無視できない。花が散ったあとに、いよいよ息づいたかのように繁りはじめる葉桜は、花だけで終わりではなく、まさにこれから生きるのである。「生きよ生きよ」という声は桜自身に対しての声であると同時に、葉桜を眺めている人に対する声援でもあるだろう。葉留実には、そういう気持ちがあったのではなかろうか。彼女は二〇〇九年一月に癌で亡くなったが、掲句はその二年前に詠まれた。亡くなるちょっと前に「長旅の川いま海へ大晦日」の句を、病床でご主人に代筆してもらっている。本人が「長旅」をすでに覚悟していた、そのことがつらい。他に「春の水まがりやすくてつやめける」の句もある。もともとは詩人として出発した。処女詩集『日常語の稽古』(1971)に、当時大いに注目させられた。いつの間にか結社誌「槙」→「翡翠」に拠って、俳句をさかんに作り出していた。『海へ帰る』(2010)所収。(八木忠栄)


April 2942010

 祝辞みな未来のことや植樹祭

                           田川飛旅子

かつにもまだ今日が「みどりの日」だと思い込んでいた。本日掲載する例句を探していて平成19年から「みどりの日」が「昭和の日」になり、「みどりの日」は5月4日に移行したということに改めて気付かされた。とにかく休めたらいいや、と毎年やり過ごすうち名前が変わったことも忘れてしまったようだ。掲句は4月29日の「みどりの日」に行われた植樹祭を念頭に作られたのだろう。「みどりの日」という名前そのものは晩春から初夏の端境期にあって次の季節の明るさを先取りにしたなかなかいいネーミングだと思っていたけど、5月4日だとぴったりしすぎてぴんとこない。「昭和の日」は「激動の日々を経て復興をとげた昭和の時代を顧み、国の将来を考えるための国民の休日」と角川の俳句歳時記にはあるが、この頃は未来へ向かうより過ぎ去った時代を懐かしむほうへ傾いているようだ。昭和はそんなにいい時代だったろうか。襖一枚で行き来する大家族の生活は賑やかだったけど、自分だけの空間を持ちたいと願ったこともたびたびだった。学校の規律も乱れてはいなかったがはみだしものの悩みはそれなりに深かった。今はなかなか見通しが立たない時代だけど、掲句のように植樹し伸びてゆく樹木を寿ぐことで未来に向かう明るさを味わえたらと思う。『俳句歳時記・春』(2009・角川書店)所載。(三宅やよい)


April 3042010

 鴉子離れからからの上天気

                           廣瀬直人

の子別れは夏の季語。古くからある季語だが、あまり用いた句を知らない。鴉の情愛の濃さは格別である。春、雌が巣籠りして卵を温めている間は、巣を離れらない雌のために雄が餌を運び、雌の嘴の中に入れてやる。生まれた子は飛べるようになってもしばらくは親について回り、大きく嘴を開き羽ばたいて餌をねだる。しかし、夏が近づいてくるころ、親はついてくる子鴉を威嚇して追い払う。自分のテリトリーを自分でみつけるよううながすのである。親に近づくとつつかれるようになった子鴉が、少し離れたところから親を見つめている姿は哀れを催す。そのうち子鴉はどこかに消える。親が子を突き放す日。日差しの強い、どこまでも青い空が広がっている。「俳句」(2009年6月号)所載。(今井 聖)




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