FM東京「ジェットストリーム」の日航単独スポンサー時代が終焉。(哲




2010N67句(前日までの二句を含む)

June 0762010

 父の日を転ばぬやうに歩きけり

                           長澤寛一

年の「父の日」は六月二十日。まだ先だけど、六月が近づく頃からギフトのコマーシャルがけたたましい。そんな商魂はさておき、この日は「母の日」よりもよほど影が薄いようだ。身体的にも精神的にも、幼いときからの父親との交渉は、母親のほうがより具体的であるからだろう。私にしても、父との交渉が具体的と思えたのは、最近父の身体が弱ってきてからである。父に手を貸すなどという振る舞いは、それまでついぞ無かったことだ。一般的に言っても、父親は母親よりもずっと抽象的な存在だと思う。ところでそのような具合に存在している父親のほうはといえば、掲句にもあるように、当然のことだが、いつだって具体的な感覚を持って生きている。自分が子供にとって抽象的な存在だなどとは毫も考えない。交渉が希薄なことは自覚していても、生身の人間である以上、自分はあくまでも具体的な存在としてあるのだからだ。だから「父の日」にはいっそう、いかにも父親らしく振る舞うことに気を使うわけで、足腰の弱ってきた自覚を具体的に「転ばぬ」ようにしてカバーしようとしたりする。平たく言えば、まだまだ元気なことを具体的なありようで示そうとしているのだ。この句には、そうした父親としての自覚のありようとその哀しみを、若い人から見れば苦笑ものだろうが、的確に詠みきっていると読めた。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


June 0662010

 読まず書かぬ月日俄に夏祭

                           野沢節子

段は行かないのですが、今年は友人が朗読をするというので、5月末の日曜日に、「日本の詩祭」に行ってきました。会場に入ってまず驚いたのが、広い場内のほとんどの席がすでに埋まっており、その人たちがたぶん皆、詩人であることでした。日本にはこれほど多くの詩人がいるものかと思った後で、しかし「詩人」なるものの定義も、どこか曖昧だなと、あらためて思いもしました。わたしも、ものを書いて発表するときには、ほかにぴったりする呼び名もないので、名前のあとに(詩人)とつけられることがあります。しかし、言うまでもなく詩を書いて生活をしているわけでもなく、また、毎日毎日詩を書いているわけでもありません。では、読むほうはどうかといえば、これも、通勤電車で読む日経新聞と会社の書類以外には、まったく何も読まない日々もあり、月日はそれでも詩人を過ぎてゆくわけです。とはいうものの、心のどこかには、自分にはもっとすごい詩が書けるのではないのか、そのためにはきちんとした勉強を怠ってはいけないのだという気持ちはしっかりともっており、だからいつも焦っているわけです。焦って見上げる夕暮れの空からは、遠い祭囃子の音が風に乗って聞こえてきます。ああ、今年ももう夏祭の季節になってしまったのだなと、さらに人生に、焦りの心が増してくるのです。『俳句のたのしさ』(1976・講談社)所載。(松下育男)


June 0562010

 東雲の茜植田の濃紫

                           西やすのり

田は田植えが終わったばかりの田。この季節、少し東京を離れると車窓に植田が広がり、田いっぱいに張られた水は、空や雲や山を豊かに映している。作者は米作りに従事されており、この句は「鍬」と題した三十句の連作の中の一句。〈古草に勢ひの鍬を入れにけり〉〈末田まで水を見に行く納涼かな〉〈目を閉ぢて明日刈る稲の声を聞く〉など、淡々と叙しながら実感のこもる句が続く。掲出句、明け方田を訪れたのだろう。東は山で、その山際がかすかに赤みを帯びてくる。夜の静けさと朝の清々しさの間のほんのひととき、明け切らない雲に息づく茜色とまだ目覚めていない一面の田の深い水の濃紫。その水が、今日も光を集め風をすべらせながら早苗を育んでいくのだろう。こうして毎日、朝に夕に田を訪れて肌で季節を感じる暮らしの中から句が生まれている。『花鳥諷詠』(2010年3月号)所載。(今井肖子)




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