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June 1462010

 駅前のだるま食堂さみだるる

                           小豆澤裕子

れから一週間ほど、東京地方には雨模様の予報が出ている。いよいよ梅雨入りだろうか。今日は旧暦五月三日だから、降り出せば正真正銘の「五月雨(さみだれ)」である。この句が何処の駅前の情景を詠んだものかはわからないが、私などにはとても懐かしい雰囲気が感じられて好もしい。現今の駅前はどんどん開発が進み、東京辺りではもうこのような定食屋っぽい食堂もなかなか見られなくなってしまった。昔の駅前といえば、必ずこんな小さな定食屋があって、小さなパチンコ屋だとか本屋などもあり、雨降りの日にはそれらが少しかすんで見えて独特の情趣があった。まだ世の中がいまのようにギスギスしていなかった頃には、天気が悪ければ、見知らぬ人同士の心もお互いに寄り添うような雰囲気も出てきて、長雨の気分もときには悪くなかった。そこここで「よく降りますねえ」の挨拶が交わされ、いつもの駅、いつもの食堂、そこからたどるいつもの家路。この句には、そうしたことの向こう側に、昔の庶民の暮らしぶりまでをも想起させる魅力がある。さみだれている名所旧跡などよりも、こちらの平凡な五月雨のほうがずっと好きだな。この情景に、私には高校通学時のまだ小さかった青梅線福生駅の様子が重なって見えてくる。あれからもう半世紀も経ってしまった。『右目』(2010)所収。(清水哲男)


September 0992010

 アンデスの塩ふつて焼く秋刀魚かな

                           小豆澤裕子

年の秋刀魚は不漁で例年より値が高い。10日ほど前駅前のスーパーで見た秋刀魚は一尾480円と信じられない値が付けられていた。この高騰にもかかわらず例年行われる目黒の秋刀魚祭りでは焼いた秋刀魚を無料で配ったというのだから、集まった人たちは「秋刀魚は目黒にかぎる」とその心意気に打たれたことだろう。それはさて置き、掲句にある「アンデスの塩」はボリビアから輸入されているうすいピンク色の岩塩だろう。ほんのりと甘く海塩とは違った味わいがある。銀色に光る秋刀魚にアンデス山脈から切り出されたピンク色の岩塩を振りかけて火にかける。思えば日々の食卓に上がるものはフィリッピンの海老だったり、ニュージーランドの南瓜であったり、アメリカの大豆であったり、世界各国から輸入されたものに彩られるわけで、ひとつひとつの出自を思いながら食せば胃の腑で出会うものたちがたどってきた道のりの遠さにくらくらしそうだ。『右目』(2010)所収。(三宅やよい)


October 20102011

 凶作や日に六本のバスダイヤ

                           小豆澤裕子

作というと太宰治の『津軽』を思い出す。郷土史家の友人を訪ねて津軽地域の年表を広げるシーンで、三百三十年間の米の出来具合の記録が転載されており、四ページにわたって凶・中凶・大凶の文字が連なる悲惨に息をのんだ。凶作の年には草の根を食べ、間引きし、娘を売り払いながら土地を守ってきたのだろう。「凶作」という言葉には辛酸な歴史が畳みこまれている。今年の米の実りはよくとも、原発事故の影響もあり東北地方の農家は凶作の年と同じように心細い思いをしているのではないか。ところで掲句の場所はどのあたりだろう。1日にバスが6本しかなく、夕方になると早々と運行が終ってしまう、過疎化した土地での暮らしが思われる。そうした場所で凶作とはどれだけしんどいことか。作者は通りがかりの旅人の視線からそこに暮らす人々の暮らしへ思いをはせて空白の多いバスの時刻表を、停留所の背後に広がる田畑を見つめている。『右目』(2010)所収。(三宅やよい)




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