June 162010
雨霽(は)れて別れは侘し鮎の歌
中村真一郎
いったい誰との「別れ」なのだろうか。俳句として、そのへんのことにはあまりこだわらなくてもよいのかもしれない。けれども、誰との「別れ」だから侘しいのだ、という理屈がついてまわっても仕方があるまい。真一郎が敬愛していた立原道造は、大学を卒業して建築事務所に勤めたが、健康を害して追分村のかの油屋で療養していた。道造に声をかけられた真一郎は、同じ部屋でひと夏を過ごした。けれども、翌年の夏には道造はすでに亡き人になっていた。そんな背景があって、同年輩の詩人たちと道造追悼の歌仙を巻いたおり、掲句はその発句として作られたという。「鮎の歌」は道造が生前に出版したいと考えていた連作物語集である。そうした掲句の背景を知っておけば、改めて句の意味や解釈などを縷々述べる必要はあるまい。雨が降っているより、霽(は)れたからこそ侘しさはいっそう強く感じられるのだ。真一郎には「薔薇の香や向ひは西脇順三郎」という句もある。堀辰雄は中村真一郎を「山九月日々長身の友とあり」と詠んでいる。真一郎という人は長身・洒脱の人だったし、氏が酒場などで語るどんな話にせよ、人を飽きさせない魅力と好奇心に富んでいたことを思い出す。見かけによらず気さくな人だった。『俳句のたのしみ』(1996)所載。(八木忠栄)
June 152010
受付に人のとぎれし水中花
高木聰輔
今まで気づかなかった水中花のボトルが見えた瞬間に、さきほどまでの混雑ぶりがあらわになる。現在を描くことで過去を連想させている。水中花が感じさせる無機質な冷たさと、ゆったりともひしめくとも見える生々しい感触は、通り過ぎた時間をそのまま封じ込めているようで、どこかこころもとなく眺めている作者の視線を感じさせる。「受付」とはまたその中に座る人の存在を予感させるものでもある。入口から始まるスムーズな動線は、来訪者をまっすぐに受付へ導き、さらに希望の場所へとさばいていく。分岐の現場はなかなか定石通りにはいかず、臨機応変や当意即妙という豊かな経験からくる対応が求められながら、「受付嬢」というきらびやかな言葉が残るように、若さや美しさも同時に要求されるのも事実であろう。容姿端麗で礼儀正しく、忙しいときでも暇なときでも常ににっこりと座っていなければならないことを思うと、水中花のわずかなゆらぎが受付嬢の屈託のようにも見えてくる。『籠枕』(2010)所収。(土肥あき子)
June 142010
駅前のだるま食堂さみだるる
小豆澤裕子
これから一週間ほど、東京地方には雨模様の予報が出ている。いよいよ梅雨入りだろうか。今日は旧暦五月三日だから、降り出せば正真正銘の「五月雨(さみだれ)」である。この句が何処の駅前の情景を詠んだものかはわからないが、私などにはとても懐かしい雰囲気が感じられて好もしい。現今の駅前はどんどん開発が進み、東京辺りではもうこのような定食屋っぽい食堂もなかなか見られなくなってしまった。昔の駅前といえば、必ずこんな小さな定食屋があって、小さなパチンコ屋だとか本屋などもあり、雨降りの日にはそれらが少しかすんで見えて独特の情趣があった。まだ世の中がいまのようにギスギスしていなかった頃には、天気が悪ければ、見知らぬ人同士の心もお互いに寄り添うような雰囲気も出てきて、長雨の気分もときには悪くなかった。そこここで「よく降りますねえ」の挨拶が交わされ、いつもの駅、いつもの食堂、そこからたどるいつもの家路。この句には、そうしたことの向こう側に、昔の庶民の暮らしぶりまでをも想起させる魅力がある。さみだれている名所旧跡などよりも、こちらの平凡な五月雨のほうがずっと好きだな。この情景に、私には高校通学時のまだ小さかった青梅線福生駅の様子が重なって見えてくる。あれからもう半世紀も経ってしまった。『右目』(2010)所収。(清水哲男)
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