父が危篤状態に陥るも持ち直す。病院で延命治療謝絶を再確認。(哲




2010N87句(前日までの二句を含む)

August 0782010

 みんみんを仰げる人の背中かな

                           酒井土子

らしい夏がないまま立秋を迎えた昨年と違い、今年はいやというほど真夏を実感。まだまだ暑い東京だけれど、八月に入ってからは朝から空がすっきり青い。そこに、ほわっと軽そうな雲の群が静かに流れて行くのを、ここ数日夏期講習の合間に9階の教室の窓から眺めている。空から少しづつ秋へ動いているのかもしれない。勤め先のある千代田区は、みんみん蝉が目立って多い。同じ東京でも家の近くは、にいにい蝉と油蝉が主流。時に耳鳴りのようにべったり聞こえるそれらの蝉と違い、みんみん蝉は一匹が主張して鳴くので、蝉の声に立ち止まって思わず木を見上げる、というのもみんみん蝉だから。緑蔭に立つその人の背中を少し離れて見ている作者。そこに同じ郷愁が通い合っているようにも感じられる。『神送り』(1983)所収。(今井肖子)


August 0682010

 山羊の怪我たのまれ診るや葉鶏頭

                           三嶋隆英

診のあと、「先生、うちの山羊が岩場で肢切りよったんでちょっと診てごしないや」「おいおい、俺は人は診るけんど、山羊は診たことねえな」「同じ生き物でしょうが。ちょこちょこっと頼みますけん」出雲弁ならこんなところか。作者は医師。地方だとこんなこともあるのだろう。僕の場合はちょうど逆、獣医師だった父にお尻にペニシリンを打ってもらった。肺浸潤の自宅療養中にどうしても医者に注射されるのが嫌だと暴れたせいだ。あとで父は、あれは危なかったなと反省しきり。僕は豚用のビタミン剤も舐めたことがある。自慢にはならないけど。『自註現代俳句シリーズ・三嶋隆英集』(1996)所収。(今井 聖)


August 0582010

 広島や卵食う時口ひらく

                           西東三鬼

句は「広島や卵食ふ時口ひらく」掲句は『続神戸』文中引用ママ。三鬼の『続神戸』には掲句が出来たときの様子が次のように書き綴られている。「仕事が終わって広島で乗り換えて神戸に帰ることになり、私は荒れはてた広島の駅から、一人夜の街の方へ出た。〜中略〜私は路傍の石に腰かけ、うで卵を取り出し、ゆっくりと皮をむく。不意にツルリとなめらかな卵の肌が現われる。白熱一閃、街中の人間の皮膚がズルリとむけた街の一角。暗い暗い夜、風の中で、私はうで卵を食うために、初めて口を開く。−広島や卵食う時口ひらく−という句が頭の中に現れる。」ゆで卵を食べるためひらいた口に三鬼は閃光に焼かれた人達の声なき叫びを感じたのかもしれない。明日は八月六日。原爆投下から65年目の暑い朝が訪れる。『神戸・続神戸・俳愚伝』(1976)所収。(三宅やよい)




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