_ヒ子句

August 1782010

 秋立つや耳三角に立ててみる

                           神戸周子

だまだ厳しい残暑ではあるが、流れる雲や木陰の風に秋の気配がしっかり感じられるようになった。顔のなかで三角にするものといえば、目だとばかり思っていたが、掲句は耳を立てるという。慣用句の「目を三角にする」とは激怒する様相のことだが、耳となると同じ三角でも少し様子が違う。どちらにしても実際に変貌するわけではなく、「そんな風であることよ」とイメージさせるものだから、ここはひとつ自由に想像させてもらう。三角に立てた耳とは、頭の上に付く動物の耳を想像し、犬や猫やウサギが、人間には聞こえない物音にじっと耳を傾けている姿が浮かぶ。とすると、動物のようにじっと耳を澄ますことが「耳を三角に立てる」であると判断する。こうして、まだ目に見えぬ秋の声に、じっと耳を傾け、目を凝らし、季節の移ろいに身をゆだねている作者が見えてくる。三角の耳は、秋の風をとらえ、小鳥たちの会話を楽しみ、行ってしまった夏の足音を聞き取っていくことだろう。〈夕ひぐらし髪を梳かれてゐるやうな〉〈盗みたきものに笑くぼとゆすらうめ〉『展翅』(2010)所収。(土肥あき子)


September 1192010

 夕ひぐらし髪を梳かれてゐるやうな

                           神戸周子

年、蜩のかなかなかな、を耳にしたのは旅先で一度だけ。東京近郊に住む友人からのメールには盛夏の頃から「毎日蜩を聞きながら一日が終わります」と書かれていて、なつかしく羨ましく「遊びに行きます」と返信したがかなわなかった。早朝鳴いていることもある蜩だが、この句の蜩は夕暮れ時の遠ひぐらし。じっと聞いている作者を、夕ひぐらしが濡らしてゆく。降るような包むような蜩との透明な時間。梳く、というにふさわしいほど髪を伸ばしたことはないけれど、身をゆだねているその心地が静かに伝わってきて、目を閉じてひぐらしとの時間をそっと共有している。『展翅』(2010)所収。(今井肖子)




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