平井玄『愛と憎しみの新宿』。一回り下の世代の新宿観に興味津々。(哲




2010N827句(前日までの二句を含む)

August 2782010

 ヴァギナの中の龍旱星

                           高野ムツオ

にはドラゴンとルビがふってある。肉体の器官の呼称でヴァギナの中に龍またはドラゴンの名が入る場所、またはそれと喩えられる箇所があるかどうかの知識が僕にないので、おそらくこれは作者の想念であろうと判断する。女体は人間を生み出す源として原初の時代から崇められてきた。作者の思念は、自らの立つ場所つまり大地と、自らを産んだ女体やヴァギナを表現の原点として意思的に捉えている。同じ句集にある「月光に稲穂は一穂ずつ女体」「祖母の陰百年経てば百日紅」(陰はほと、すなわち女陰)なども同様の思念の上にある。膣の中の深遠なる闇の中に一匹の龍が棲んでいる。すなわち命の発生をつかさどる神のごときである。旱星はみちのくの荒涼たる風土を象徴している。すなわちこれも神のごとし。身体の内側と外側に神が棲んでいて両者と交流しながら「私」が存在する。新興俳句の「モダン」が現代詩の「モダン」への憧憬から出発し、日本の現代詩の「モダン」が西洋詩の西洋的な風情に根を置いたところから出発したことを思えば、佐藤鬼房さんを経て作者につながる「モダン」がそういう「反省」の上に立って日本的土着のアニミズムと同化しようとしたことは俳句にとって的確な選択であったように僕には思える。『雲雀の血』(1996)所収。(今井 聖)


August 2682010

 雀噴く百才王の破顔より

                           摂津幸彦

頃の百才は暗い話題が多いが、これだけの年月を生き抜くのは簡単ではない。長寿の記録だけが残り当人が行方知れずであったり、死を隠されていたりというのは寂しすぎる。身分制度が厳しく着るもの、食べるもの、髪型まで制限されていた江戸時代であってさえ、百才を越した老人はそんな取り決めごとは無視してよく、農民であっても武士へ文句が言えたと白土三平の『カムイ伝』で読んだことがある。百までたどりつけば人間を超越した存在になるのだから何をしても天下御免の「百才王」というわけだろう。そうした老人が皺くちゃの顔をくずして破顔一笑するならば、その僥倖を人に分け与えるかのように沢山の雀が噴き出すとは、なんて豪勢な光景だろう。雀たちの可愛く元気なありさまを百才王の笑顔に寄せたところに愛情を感じる。『摂津幸彦全句集』(1997)所収。(三宅やよい)


August 2582010

 秋風やうけ心よき旅衣

                           平賀源内

夕、そろそろ秋風の涼が感じられる…… そんな時季になってほしい。特に今年のように猛暑がつづいた後には、何よりも秋風を待ちこがれていた人も多いはず。一息入れて旅衣も新調して出発する身に、秋風は今さらのようにさわやかに快く感じられるのであろう。「うけ心」とはそういう心地を意味している。「秋風」と言っても、ここでは心地よさが感じられる初秋の頃の風である。汗だくになって日陰や涼を求めて動いていた人々の夏が、ウソのように感じられてくる日々。秋も深まった頃の風だと、ニュアンスはだいぶ違ってくる。よく知られているように、十八世紀にエレキテルばかりでなく幅広いジャンルで活躍したスーパースター源内は、ハイティーンの頃から二十年余俳諧にもひたり、俳紀行『有馬紀行』を著した。俳号は李山。「詩歌は屁の如し」という有名な言葉を残しているが、源内のようなマルチな“巨人”にとって、俳句をひねることなどまさしく屁をひるようなものであったかもしれない。いや、そうではなかったとしても、「屁の如し」と言い切るところに、源内らしさが窺われるというものである。他に「湯上りや世界の夏の先走り」という源内らしい句がよく知られている。磯辺勝氏はこう書く。「源内の意識のうえでの俳諧よりも、彼の文事、ひいては生き方そのものに、彼の本当の俳諧が露呈している」。磯辺勝『巨人たちの俳句』(2010)所載。(八木忠栄)




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