October 012010
匂はねばもう木犀を忘れたる
金田咲子
こういうのを実存傾向とでもいおうか。僕など加藤楸邨の体臭を感じてしまうがそれは個人的なこと。人は五感によって生を体感して生きている。ここにあるのは嗅覚の強調。木犀は見えてはいるのだが、匂わない限りは見えてはいても見られることはない。存在に気づかれることはないのだ。俳句は往々にしてここから箴言に入る。たとえば、個性を発揮していないと忘れられがちであるというふうに。そうすると木犀自体のあの甘いナマの匂いの実感が薄れてしまう。言葉通りまず実感を十分に味読してから箴言でもどこへでも飛べばいい。その順序が大切。『季別季語辞典』(2002)所載。(今井 聖)
October 022010
にせものときまりし壺の夜長かな
木下夕爾
夜の長さを思うのは静かな時間だろう、一人かせいぜい二人か。虫の声が聞こえたり月が出ていたりする中、ぼんやりしたりしんみりしたり読書したり酌みかわしたり、というところか。この句とは『新日本大歳時記 秋』(1999・講談社)で出会ったのだが、なんともいえない夜長である。中七の、きまりし、の一語にリアリティがあり、壺の、で軽く切れて、夜長かな、へ向かって溜息がひとつ。暗く長い夜は、偽物の壺と、似せものを作ることしかできなかったこの壺の作り手にも幾たびも訪れたことだろう。そして、あやしいと思っていたけどやはりなあ、と溜息をつきながらも、作者はこの壺をきっと捨てられない、そんな気がする。(今井肖子)
October 032010
われをつれて我影帰る月夜かな
山口素堂
この句の意味は説明するまでもありません。また、どういった思考経路によってこの句が生み出されてきたのかも、明瞭です。自分についてくる影と、自分の立場を、単純に逆転しただけの作品です。しかし、解説すれば単にそれだけのものでも、作品が持つ力は意外に強く読者に迫ってきます。あたりまえの逆転でも、読めばふっと驚いてしまうし、色の濃い影が実体をひきずってとぼとぼと帰宅する様子は、視覚的にも印象的なものです。創作というのは、多くの解説によって複雑に説明されるものがよいとも限らないのだなと、この句を読んでいると改めて認識させられます。ありふれた発想から生まれた句が、かならずしもありふれた句にはならない、ということのようです。実体を覆すほどの描写は、おそらくこれからも、あたりまえの思考経路から出来てくるのでしょう。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)
October 042010
寝ころべば鳥の腹みえ秋の風
大木あまり
この発見は単純だが新鮮だ。もちろん、寝ころばなくても鳥の腹は見える。いや、鳥は人間の目の位置よりも高いところを飛ぶので、いつだって私たちには鳥の腹が見えている。……というのは、しかし実は理屈なのであって、普通に立って鳥の飛ぶさまを見ているときには、私たちには鳥の腹は見えているのだが見てはいない。あらかじめ鳥の形状は知識として頭に入っているので、実際には見えていなくても、よくは見えない頭や尾や翼の形を補完して全体像を見ているような錯覚にとらわれているからだ。そういうふうに、私たちの視覚はできている。だが、寝ころんで鳥を真下から見上げてみると、さすがにいやでも腹がいちばんよく見える部分になるために、補完作業は後退してしまう。そのことをすっと書き留めたところが、作者の手柄である。爽やかな秋風の吹く野にある解放感が、この発見によってそれこそ補完されている。昨日の松下育男の言葉を借りれば、「創作というのは、多くの解説によって複雑に説明されるものがよいとも限らないのだなと、この句を読んでいると改めて認識させられ」ることになった。『星涼』(2010)所収。(清水哲男)
October 052010
電灯の紐に紐足す夜長かな
喜多杜子
秋の季題である夜長だが、一年でもっとも夜が長いのは冬至なのだから、真実というより、厳しい夏を越えてきた実感として生まれた言葉である。粘り強い残暑が続いた今年は、夜を夜として楽しめるひとときをことにありがたく思う。掲句は電灯から下がる紐に、さらに紐を足したという。それは、ベッドで読書をしながら眠くなったら手元で電気が消せるためになのか、または夜中にトイレに起きるときにも手元に紐があればすぐに灯すことができるという意味なのか。どちらにしても、自身を持て余すことなく向き合う作者の姿が表れるのは、人間の生活が昼間中心に動いているなかで、このように昼には邪魔になるかもしれないものを夜の時間のために設けるという行為だろう。長くなった夜を意識させ、日常というものがわずかに変化することに気づかされているのだ。『貝母の花』(2010)所収。(土肥あき子)
October 062010
台風の去つて玄海灘の月
中村吉右衛門
吉右衛門は初代(現吉右衛門は二代目)。今年はこれまで、日本列島に接近した台風の数は例年にくらべて少ない。猛暑がカベになって台風を近づけなかったようなフシもある。九州を襲ってあばれた台風が福岡県西方の玄海灘を通過して、日本海か朝鮮半島方面へ去ったのだろう。玄海灘の空には、台風一過のみごとな月がぽっかり出ている。うたの歌詞のように「玄海灘の月」がどっしりと決まっている。「ゲンカイナダ」の響きにある種のロマンと緊張感が感じられる。「玄海灘」は「玄界灘」とも書くが、地図をひらくと海上に小さな玄界島があり、玄海町が福岡県と佐賀県の両方に実在している。玄海灘には対馬海流が流れこみ、世界有数の漁場となっている。また1905年には東郷平八郎率いる連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を迎え撃った、知る人ぞ知る日本海海戦の激戦地でもある。海戦当時、吉右衛門は19歳。何ごともなかったかのような月に、日本海海戦の記憶を蘇らせ重ねているのかもしれない。高浜虚子と交流があり、「ホトトギス」にも顔を出した吉右衛門には『吉右衛門句集』がある。俳句と弓道を趣味としたそうである。浅草神社の句碑には「女房も同じ氏子や除夜詣」、修善寺梅林の句碑には「鶯の鳴くがままなるわらび狩」が刻まれている。台風の句には加藤楸邨の「颱風の心支ふべき灯を点ず」がある。平井照敏編『新歳時記』(1996)所収。(八木忠栄)
October 072010
小鳥来る驚くほどの青空を
中田 剛
息苦しいほど太陽が照りつけていた夏空も過ぎ去り、継ぎ目のない筋雲が吹き抜ける空の高さを感じさせる。掲句では「驚くほどの」という表現で澄み切った空の青さを強調しているのだろう。そんな空を飛んできた小鳥たちが街路樹や公園の茂みにさえずっている。ちょんちょんと飛びながらしきりに尾を上下させるジョウビタキ、アンテナに止まってカン高い声で啼くモズ、赤い実をつついているツグミ。そこかしこに群れるムクドリ。鳴き声を聞くだけで素早く小鳥の種類を言い当てる人がいるが、私などは姿と名前がなかなか結びつかない。小鳥を良く知る人に比べれば貧しい楽しみ方だが秋晴れの気持ちのよい一日、可愛らしい小鳥とひょいと出会えるだけで幸せに思える。『中田剛集』(2003)所収。(三宅やよい)
October 082010
我を捨て遊ぶ看護婦秋日かな
杉田久女
女性看護士への悪口。「芋の如肥えて血うすき汝かな」同時期にこんな句もある。僕の友人だった安土多架志は長く病んで37歳で夭折したが、神学校出で気遣いのある優しい彼でさえ、末期の病床で嫌な看護婦がいるらしかった。その看護婦が来るとあからさまに嫌な顔をした。病院という閉鎖的な状況に置かれた人の気持ちを思えばこういう述懐も理解できる気がする。同じように長く病んだ三好潤子には「看護婦の青き底意地梅雨の夜」ある。それにつけても看護の現場に生きる人は大変だ。閉鎖的空間に居ることを余儀なくさせられた病者の気持ちに真向かう職業の難しさ。俳句は共感というものを設定し、それに適合するように自己を嵌め込むのではなくて、まず、自分の思うところを表現してみるということをこういう俳句が示唆してくれる。「詩」としての成否はその次のこと。『杉田久女句集』(1951)所載。(今井 聖)
October 092010
校庭のカリン泥棒にげてゆく
久留島梓
大きくて香りの高いカリン(榠と木偏に虎頭に且)だけれど、生の実は固く渋い。薬にもなるというが、食べようと思えば、果実酒にしたり砂糖漬けにしたりと手間がかかる。そんなカリンの実、たわわに実ったうちのいくつかをもいで持っていったところでさして咎められることもなかろうに、泥棒という言葉が与えるスタコラサッサ感が、カリンのやたらにいびつな形と共にユーモラスだ。待て〜と追いかけることもなく、その後ろ姿を作者と共に見送りながら、思いきり伸びをして青空に向かって両腕を突き出したくなる。「教師生活三年目をなんとか終え」とある作者の二十句をしめくくっている一句は〈テストなど忘れてしまえ春近し〉上智句会句集「すはゑ(漢字で木偏に若)」(2010年第8号)所載。(今井肖子)
October 102010
さびしさはどれも劣らず虫合
北 虎
毎夜10時になると、犬の散歩に出かけるわたしは、このごろ確かに虫の涼やかな声を聞くことが多くなりました。坂道の途中で犬が、理由もなく急に立ち止まると、やることもなくその場で虫の声に聞き入ってしまいます。今日の句、虫合は「むしあわせ」と読みます。平安時代に、郊外に出かけて鳴き声のいい虫を捕り、宮中に奉ったことを「虫選(むしえらび)」と言い、虫の声のよしあしを合わせて遊ぶことを虫合というと、歳時記に説明がありました。なるほど、今ほど刺激的な時間のつかい方がなかった時代には、草づくしだの、虫合だの、じかに手で自然に触れて、そのまわりでささやかな楽しみを見つけていたようです。今日の句では、虫たちが競っている響きのよい声を、「さびしさ」に置き換えています。秋の虫の声そのものにさびしさを感じるだけではなく、一生を美しく鳴き通すことをも、さびしいといっているかのようです。そういえばこのさびしさは、どんな遊びに興じた後にも襲ってくるさびしさと、通じるものがあるのかもしれません。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)
October 112010
決められた席よりみたる芒かな
櫻井ゆか
作者は京都在住だから、日本庭園のある料亭での会合の席でのことだろうか。いささか格式ばった会なので、あらかじめ座る席は決められていたのだろう。たぶん、庭園に正対する席ではない。庭を拝見するためには、少し首を曲げねばならないくらいの位置だ。そこからそうやって庭を眺めていると、見事な芒(すすき)が風に揺れていた。けれども、作者の位置からでは芒全体の姿を見ることはできなかったようだ。そんな中途半端な見え方ではあったが、何かにつけてその折の芒の印象が鮮やかによみがえってくるというのである。人の記憶というのは面白いもので、必ずしもよく見えたものや聞こえたものを鮮明に覚えているとは限らない。むしろ部分的にとか中途半端に見たり聞いたりしたものが鮮明に思い出されることがある。そのような記憶の不思議なメカニズムを、この句はさりげなく提出している。一見なんでもないような句だけれど、なかなかに感性の鋭い作品だと受け取れた。『いつまでも』(2010)所収。(清水哲男)
October 122010
爽やかに鼻あり顔の真ん中に
小西昭夫
夏目漱石や芥川龍之介といった時代の小説に、時折「中高(なかだか)な顔」という形容が登場する。これが鼻筋の通った整った面差しを表すと知ったとき、細面(ほそおもて)やぱっちりした瞳という従来の美形とはひと味違った、立体的な造作が浮かぶ。フランスの哲学者パスカルの「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史が変わっていた」という一節も、顔という看板の中心に位置する鼻であるからこそ、一層のインパクトを与えたのだろう。掲句の通り、たしかに鼻は顔の中央にあり、もっとも高い場所をかたち作っているため、夏の熱気も冬のこがらしにも、一等先にさらされている。そして、嗅覚は人間の五感のなかで唯一、誕生してから機能する器官だというが、この時期、ある朝突然金木犀の香りにあたり一面が包まれている幸せを感じられるのも鼻の手柄である。深く呼吸すれば、広がる香りが頭の先まで届き、そして体中に行き渡る。老若男女すべからく顔の真ん中に鼻を据え、いまもっとも心地よい日本の秋を堪能している。『小西昭夫句集』(2010)所収。(土肥あき子)
October 132010
全山をさかさまにして散る紅葉
岡田芳べえ
今年は猛暑のせいで曼珠沙華の開花が遅かった、と先日のテレビが報道していた。紅葉はどうなのだろうか? 直近の情報をよく確認して出かけたほうがよさそう。紅葉は地域によってまちまちだが、今はまだ「散る」というタイミングではないのかもしれない。たしかに紅葉は木の枝から地上へ、つまり天から地へと散るわけだけれども、芳ベえは天地をひっくり返してみせてくれた。そこに俳句としてのおもしろさが生まれた。自分ではなく対象をひっくり返したところがミソ。風景をさかさまにすれば、紅葉は〈地上なる天〉から〈天なる地上〉に散ることになるわけだ。山火事のごとくみごとに紅葉している全山を、ダイナミックにひっくり返してしまったのである。天地を逆転させた、そんな紅葉狩りも愉快ではないか。作者はふざけているのではなく、大真面目にこの句を詠んだにちがいない。芳べえ(本名:芳郎)は詩人・文筆家。「俳句をつかんだと思った時期もあったが、それは一瞬ですぐ消えた。つかめないままそれでも魅力を感じるので離れられない」と述懐している。まったくその通り、賛同できますなあ。他に「暮の秋走る姿勢で寝る女」「鍋が待つただそれだけの急ぎ足」などがある。「毬音」(2005)所載。(八木忠栄)
October 142010
傷林檎君を抱けない夜は死にたし
北大路翼
恋愛は自分で制御しがたい切迫した感情であるがゆえに、定型をはみ出したフレーズに実感がこもる。二人でいる時に言葉は必要ないだろうが、相手の存在を確かめられない夜に湧きあがる不安と苛立ちがそのまま言葉になった感触がある。一見、七七の短歌的詠嘆にベタな恋愛感情が臆面もなく託されているように思えるが、そう単純でもないだろう。林檎は愛の象徴でもあるが、藤村の初恋とも、降る雪に林檎の香を感じる白秋とも違い、掲句の恋愛にほんのりした甘さや優美さはない。あらかじめ損なわれている「傷林檎」に自分の恋愛を託している。そう思えば恋愛が痛々しさから出発してやがて来る別れを予感しているようで刹那的な言葉が胸にこたえる。『新撰21』(2009)所収。(三宅やよい)
October 152010
攫はれるほどの子ならず七五三
亀田虎童子
攫はれるという表現は、歴史的仮名遣いであって現代文法。意識的に口語調を用いたため、こういう折衷の組合わせを採用したのだろう。攫われるほどの子ではないというのは自分の子に対する謙遜だ。学校という現場にいるとだんだん自分の子に対する謙遜が減ってきているのを実感する。自分の子の利益だけを要求するモンスターペアレントと呼ばれる親たちは年々増えてきている。自分のこと身内のことはどんなに謙遜してもいい気がする。愚生、愚息、愚妻といって、ああそうですか愚かな方なんですねと思う人はいない。むしろ逆の印象もある。この子、きっと優秀な子に違いない。『季別季語辞典』(2002)所載。(今井 聖)
October 162010
虫の夜のコップは水に沈みをり
飯田 晴
手元の「安野光雅の画集」(1977・講談社)に、「コップへの不可能な接近」(谷川俊太郎)という詩の抜粋が載っている。そこに「それは直立した凹みである」という一行があるのだが、テーブルに置かれた空のコップを見てなるほどと思った。そこに水を注ぐと、あたりまえだけれど水はきちんとコップにおさまり、コップは水を包み守りながら直立し続ける。そんなコップが一日の役目を終え、台所の流しに浸けられている。透明な水がそのうちそとを満たし、力のぬけたコップをいまは水が包んでいるようだ。ひたすらな虫の夜に包まれている作者、夜の厨の風景が虫の音を静かに際立たせている。『たんぽぽ生活』(2010)所収。(今井肖子)
October 172010
波音は岸に集まり秋の風
稲田秋央
今日の句を読んでいると、これだけあたりまえの言葉だけをつかっても、優れた句はできるものなのだなと、感心してしまいます。「波音」「岸」「秋」「風」という、さんざん句に詠まれてきた単語も、「集まり」という、これも珍しくはない単語によって見事に生き返っています。もしここに、「集まり」以外の単語が入ったとしたら、おそらくこれほど情感の深い句にはならなかったのではないかと思われます。文芸というのは、一語たりともおろそかにはできないものだと、改めて教えられるようです。波の、繰り返し打ち寄せてくる動きが、音さえもこちらに流れついているのだと感じることの美しさ。さらに、岸に集まったものは、静かに手で掬えそうな心持にもなってきます。秋の冷たい風に吹かれながら、てのひらいっぱいに掬った波音を見つめながら、これまでの人生に思いをはせるのは、秋という季節をおいてありえません。『俳句入門三十三講』(2003・講談社)所載。(松下育男)
October 182010
芋茎みな捨ててあるなり貸農園
吉武靖子
都会の貸農園が人気だ。自治体などが貸し出すと、あっという間に借り手が殺到するという。趣味で作物を育てるのは、職業としての農業とは違って楽しいのだろうな。もっとも農家の子供だった私には、趣味といえどもきちんと育てるには、たいへんな作業があることを知っているので、借りる気になったことは一度もない。作者の心持ちは「ああ、もったいない。食べられるのに……。知らないのだろうか」といったところだろう。でも、里芋の葉柄である芋茎(ずいき)は、食べてそんなに美味いものじゃないというのが私の記憶。いまどきの都会人で口に合う人が、そんなにいるとも思えない。だから捨ててしまうのだと私などは思ってしまうが、おそらくかつての食糧難を体験したのであろう作者には、そうは考えられないのである。いずれにしても、畑の片隅に積み上げられた芋茎の姿は汚いし、無惨といえば無惨だ。が、無惨もときには風物詩になるということ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)
October 192010
アクセル全開秋愁を振り切りぬ
能村研三
いつもはごく温厚な人がハンドルを握ると、とたんに性格が変貌し大胆になるというタイプがあるらしい。常にないスピード感やひとりだけの空間が心を解放させるのだろう。掲句が荒っぽい運転とは限らないが、どこかいつもとは違う攻めの姿勢を感じさせる。秋の心と書く「愁」が嘆きや悲しみを意味させるのに対し、春の心と書く「惷」には乱れや愚かという意味となる。それぞれの季節に芽生える鬱々とした気分ではあるが、春は軽はずみなあやまちを招くような心を感じさせ、一方、秋の気鬱は全身に覆いかぶさるような憂いを思わせる。常にない向こう見ずなことをしなければ、到底振り切ることなどできない秋愁である。猛スピードで振り切った秋愁のかたまりをバックミラーの片隅に確認したのちは、わずかにスピードをゆるめ軽快な音楽に包まれている作者の姿が浮かぶのだった。〈男には肩の稜線雪来るか〉〈里に降りる熊を促へし稲びかり〉『肩の稜線』(2010)所収。(土肥あき子)
October 202010
時計屋の主人死にしや木の実雨
高橋順子
秋の季語「木の実」には、「木の実時雨」「木の実独楽」「万(よろづ)木の実」など、いかにも情緒を感じさせる傍題がいくつかある。掲句の「木の実雨」も傍題の一つ。まあ、木の実と言っても、一般にはどんぐりのたぐいのことを言うわけだろうけれど、どこか懐かしい響きをもつ季語である。たまたま知り合いか、または近所に住む時計屋の主人なのか、彼が亡くなったらしいのだけれど、コツコツコツコツとマメに時を刻む時計、それらを扱う店の主人の死は、あたかも時計がピタリと止まったかのような感じに重なって、妙に符合する。木の実が落ちる寂しい日に、時計屋のおやじは死んだのかもしれない、と作者は推察している。そこにはシイーンとした静けさだけが広がっているように思われる。「死にしや」という素っ気ない表現が、黙々と働いていたであろう時計屋の主人の死には、むしろふさわしいように思われる。俳句を長いことたしなんでいる順子の俳号は泣魚。「連れ合い」の車谷長吉と二人だけでやる「駄木句会」で長吉から○をもらった七十余句が、「泣魚集」として順子のエッセイ集『博奕好き』(1998)巻末に収められている。そこからの一句をここに選んだ。他の句には「柿の実のごとき夕日を胸に持つ」や「春の川わたれば春の人となる」などがある。(八木忠栄)
October 212010
とうさんの決して沸騰しない水
久保田紺
とうさんの中にある水って何だろう。とうさんをこう定義しているぐらいだから、かあさんにも、ねえさんの内部にも水はあって、それはぐらぐらと沸騰したり、体内を忙しく駆け巡ったり、身の裡から溢れだしたりするのかもしれない。川柳は前句付から発展した詩型だから、発想の手掛かりとなる題がどこかに隠されているのだろう。その隠されたものを読み手が自分に惹きつけてあれこれと考えをめぐらすのが、句を読み解くことにつながるように思う。俳句は句を味わう、とよく言うが題ならずとも求心力として季語の存在は大きい。鑑賞においても川柳と俳句では違いがある。この句の場合、隠されているのは「かなしみ」や「怒り」といった感情や「死」や「離別」など人生で否応なく遭遇する事件へのとうさんの反応かもしれない。沸騰しないかわりに沈黙の咽喉元へ水はせりあがってきているのだ。同じ17音の韻律ではあるが、川柳は俳句とは違う言葉の働かせ方を見せてくれる。『銀色の楽園』(2008)所収。(三宅やよい)
October 222010
不思議なり生れた家で今日の月
小林一茶
漂泊四十年と前書あり。木と紙で出来た建物でも数百年は持つ。神社仏閣のみならず民家でもそのくらいの歴史ある建物は日本でも珍しくないのだろうが、映像でヨーロッパの街などで千年以上前の建物があらわれてそこにまだ人が住んでいるのを見ると時間というものの不思議さが思われる。僕自身も子供のころから各地を転々としたので、ときにはかつて住んでいた場所を訪ねてみたりするのだが、生家はもとよりおおかたはまったく痕跡すらないくらいに変化している。その中で小学生の頃住んだ鳥取市の家に行ってみたとき、そこがほぼそのまま残って人が住んでいたのには驚いた。家の前に立って間取りや階段の位置などを思い起してみた。二階から見えた大きな月の記憶なども。まだ妹は生まれてなくて三人暮し。その父も母ももうこの世にいない。『一茶秀句』(1964)所載。(今井 聖)
October 232010
やゝ寒く人に心を読まれたる
山内山彦
やや寒、うそ寒。いずれも晩秋の寒さなのでふるえるほどではないのだが、うそ寒の方が心情が濃い気がする。だからこそ、心を読まれたと感じた時の不意打ちにあったようなかすかなたじろぎと、やゝ寒という、あ、ひんやりという感じを心情をこめずに言っている言葉が呼び合うのだろう。これがうそ寒であったら、心持ちそのものがどこかうすら寒いということで、あたりまえな話になってしまいそうだ。思ったことがすぐ顔や態度に出るわかりやすいタイプは他人の心の中はあまりよくわからず、逆にいつも飄々として何を考えているかわからない人ほど、相手の考えていることを読めたりする。作者はきっと後者なのだろう。『春暉』(1997)所収。(今井肖子)
October 242010
老人はそれぞれ違ふ日向もつ
塚原麦生
わたしの家の近所には大きな団地があります。昔からある団地で、月日とともに住んでいる人たちも年をとってきます。休日にバスに乗り込むと、多くの老人が吊革や棒につかまって危なっかしげに立っていることに気づきます。でも、座っているのはさらに年上の老人ばかりです。もうこうなってしまうと、全席がシルバーシートのようなものです。と、ここで気がつくのは、老人という言葉から受け取る印象です。子供のころには、年をとったら穏やかな老年を迎え、みんな平穏な心持になってのんびりと日向ぼっこをしていられるのだろうと無責任に考えていました。でも、もちろんそんなわけはあるはずがないのです。車窓から深く差し込む日差しの中に座っている老人も、あるいはつり革につかまってよろけている老人も、当たり前のことながらそれぞれに固有の人生を持ち、固有の欲にとらわれ続けているわけです。あたる日の暖かさは同じでも、皮膚に感じる暖かさの種類は、老人それぞれに違っているわけです。『俳句入門三十三講』(2003・講談社)所載。(松下育男)
October 252010
柳散る銀座もここら灯を細く
山田弘子
三十代はじめのころ、友人と制作会社を設立して銀座に事務所を構えた。いまアップル・ストアのあるメイン・ストリートのちょうど裏側あたりのおんぼろビルの三階だった。素人商売の哀しさ、この会社は仕事の幅を広げすぎ狡猾な奴らに食い物にされたあげく、たちまち倒産してしまった。手形を落とすためのわずかな金を毎日のように工面し、私が雑誌などに書いた文章のささやかな原稿料までをつぎこんだのだが、貧すれば鈍するでうまく行かなかった。だから、銀座には良い思い出はあまりない。だから、こういう句には弱い。しんみりとしてしまう。いまでもそうだが、銀座で灯がきらきらしているのは表通りだけで、一本裏道に入ると灯はぐんと細くなる。そんな街に名物の柳がほろりほろりと散るさまは、まるで歌謡曲の情緒にも似て物悲しいものだ。私が通っていたころは、毎晩おでんの屋台も出てたっけ。客は主にキャバレーの女の子たち。顔見知りになって「そのうち店に行くからね」と言うのは口だけで、事務所の隣にあった大衆的な「白いバラ」にも行ったことはなかった。いや、行けなかった。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)
October 262010
日おもてに釣船草の帆の静か
上田日差子
か 細い茎からモビールのように下がる花が船のかたちに見えるということから釣船草という名がついたという。先日、姨捨の棚田を歩いたおり、日当りのよい斜面にキツリフネが一面に咲いていた。花を支える茎があまりに細いため、強い風が吹いたら、ちぎれてしまうのではないかという風情は、壊れやすい玩具のように見える。また、あやういバランスであることが一層あたりの静けさを引き寄せていた。掲句の景色は、日射しのさざ波に浮く船溜まりのように、釣船草の立てた華奢な帆になによりの静寂を感じているのだろう。花の魅力は後方にもある。写真を見ていただければわかるが、どの花にもくるんとしたくせっ毛みたいな部分があって、これが可愛くてしかたがない。種は鳳仙花のように四散するという。静かな花の最後にはじけるような賑やかさがあることに、ほんの少しほっとする。〈寒暮かな人の凭る木と凭らぬ木と〉〈囀りの一樹ふるへてゐたるかな〉『和音』(2010)所収。(土肥あき子)
October 272010
寺の前で逢はうよ柿をふところに
佐藤惣之助
どこの寺の前で、何の用があって、いったい誰と「逢はう」というのか――。「逢はうよ」というのだから、相手は単なる遊び仲間とか子どもでないことは明解。田舎の若い男女のしのび逢いであろう(「デート」などというつまらない言葉はまだ発明されていなかった)。しかも柿という身近なものを、お宝のように大事にふところにしのばせて逢おうというのだ。その純朴さがなんともほほえましい。同時にそんなよき時代があったということでもある。これから、あまり人目のつかない寺の境内のどこかに二人は腰を下ろして、さて、柿をかじりながら淡い恋でも語り合おうというのだろうか。しゃれた喫茶店の片隅で、コーヒーかジュースでも飲みながら……という設定とはだいぶ時代がちがう。大正か昭和の10年代くらいの光景であろう。ふところは匕首のようなけしからんものも、柿やお菓子のような穏やかなものもひそむ、ぬくもった不思議な闇だった。掲句の場合の柿は小道具であり、その品種まで問うのは野暮。甘い柿ということだけでいい。柿の品種は現在、甘柿渋柿で1000種以上あるという。惣之助は佐藤紅緑の門下で、酔花と号したことがあり、俳誌「とくさ」に所属した。句集に『螢蠅盧句集』と『春羽織』があり、二人句集、三人句集などもある。他に「きりぎりす青き舌打ちしたりけり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
October 282010
病院の廊下の果てに夜の岬
澤 好摩
つい先日、病院の廊下に置かれた長椅子に座って順番待ちをしていたら、忘れていた記憶が次々とめぐってきた。思えば何人もの近親者を病院で見送っている。自分自身の入院もそうだけど、病院にいい思い出はない。朝の検温から始まって、抑揚のない一日が過ぎ、早い夕食が終わるとあっという間に消灯時間になってしまう。横たわって天井を見るしかない病人に長い長い夜が始まる。夏であろうと冬であろうと一定の温度に管理された空調と白い壁に閉ざされた病院に季節はない。暗い蛍光灯に照らしだされた廊下の果てには真っ暗な夜が嵌めこまれた窓がある。外へ出てゆくのも儘ならぬ身体で歩いてゆけば廊下は岬のように夜に突き出してゆくのかもしれぬ。季語のないこの句には「病院」が抱える時間と空間が濃密に感じられる。日常の世界と違う病院の内部を貫く廊下の延長線上に岬を想う感覚の鋭さが病院にいる不安と孤独を際立たせるのだ。『澤好摩句集』(2009)所収。(三宅やよい)
October 292010
狩の犬魔王の森を出できたる
依田明倫
魔王は仏教でいう天魔か。シューベルトの歌曲の名か。あるいは悪魔の王という字義どおりか。狩が出てくるから歌曲にある洋風の風景が根幹にあるのか。僕など森と聞くだけで日本的な風景とは異質なものを感じる。鎮守の森だってあるのに。日本にふさわしいのは林だろう。森と林では木が一本違う。作者は北海道在住だからこんなスケールの大きな自然が詠めるのだろう。魔王の森のスケールも見てみたいが、地平線も見たことがない。砂漠も見たことがない。いつか見てみたい。「俳句朝日」2003年10月号所載。(今井 聖)
October 302010
水に生ふものの最も末枯れる
桑田永子
末枯(うらがれ)も俳句を始めて知った言葉のひとつだ。いつだったか俳句の中に「葉先」という言葉を使った時「葉の先の方と言いたかったら、葉末、という言い方もありますよ」と言われ、なるほどと思った記憶がある。いっそ枯れきってしまえば、冬日の中に明るさを感じることもあるけれど、この時期の草の、青さを残しつつ枯れ始める様はうらさびしい。以前「水辺の草が一番早く枯れ始める」という意味合いの句を見たような記憶がある。この句も詠んでいる事柄は同じだけれど、最も、という言葉の強さと、末枯れる、という口語のちょっと突き放したような終わり方が、惜しむ間もほとんど無いまま寒くなった今年の秋を思わせる。『遺句集「来し方」その後』(2010)所収。(今井肖子)
October 312010
天高し洗濯機の海荒れてゐる
日原正彦
作者は詩人。透明感のある美しい詩を、これまでに何編も生み出しています。初めてこの詩人の詩に出会ったときには、言葉の尋常でないきらめきに、強い衝撃を受けた記憶があります。ああ、日本の詩でもこれほどに胸をうつものが作品として成立するのだなと思い、それ以来わたしにとっては、詩を作るときの目標にもなっています。たとえば、「訪ねる人」という作品。「君は脱いだ帽子をあおむけにテーブルにおく/するとその紺青の深さに きらきらと/白い雲が浮かんでいたりして…/すると突然それは金魚鉢であったりして/ぼんやりした赤い色彩が/しだいに金魚の命を塑造し始める」(「訪ねる人」より)。ここに全編引用するわけにもいきませんから、このへんでやめておきます。この作者の名を、朝日俳壇で時折に見るようになったのは、いつごろのことだったでしょうか。詩人が句を詠むときにありがちな、鮮やかさに偏ることなく、句を作るときには句のよさを追求してゆくのだという姿勢が見られます。洗濯機は室内ではなく、秋空の見えるベランダにでも置いてあるようです。洗濯機の中を覗く詩人の目が、何を見つめ、この後、句をどのように育て上げようとして行くのか、楽しみではあります。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年10月25日付)所載。(松下育男)
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