日本シリーズ、第1戦と2戦の地上波での全国中継は無しだと。(哲




2010N1025句(前日までの二句を含む)

October 25102010

 柳散る銀座もここら灯を細く

                           山田弘子

十代はじめのころ、友人と制作会社を設立して銀座に事務所を構えた。いまアップル・ストアのあるメイン・ストリートのちょうど裏側あたりのおんぼろビルの三階だった。素人商売の哀しさ、この会社は仕事の幅を広げすぎ狡猾な奴らに食い物にされたあげく、たちまち倒産してしまった。手形を落とすためのわずかな金を毎日のように工面し、私が雑誌などに書いた文章のささやかな原稿料までをつぎこんだのだが、貧すれば鈍するでうまく行かなかった。だから、銀座には良い思い出はあまりない。だから、こういう句には弱い。しんみりとしてしまう。いまでもそうだが、銀座で灯がきらきらしているのは表通りだけで、一本裏道に入ると灯はぐんと細くなる。そんな街に名物の柳がほろりほろりと散るさまは、まるで歌謡曲の情緒にも似て物悲しいものだ。私が通っていたころは、毎晩おでんの屋台も出てたっけ。客は主にキャバレーの女の子たち。顔見知りになって「そのうち店に行くからね」と言うのは口だけで、事務所の隣にあった大衆的な「白いバラ」にも行ったことはなかった。いや、行けなかった。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


October 24102010

 老人はそれぞれ違ふ日向もつ

                           塚原麦生

たしの家の近所には大きな団地があります。昔からある団地で、月日とともに住んでいる人たちも年をとってきます。休日にバスに乗り込むと、多くの老人が吊革や棒につかまって危なっかしげに立っていることに気づきます。でも、座っているのはさらに年上の老人ばかりです。もうこうなってしまうと、全席がシルバーシートのようなものです。と、ここで気がつくのは、老人という言葉から受け取る印象です。子供のころには、年をとったら穏やかな老年を迎え、みんな平穏な心持になってのんびりと日向ぼっこをしていられるのだろうと無責任に考えていました。でも、もちろんそんなわけはあるはずがないのです。車窓から深く差し込む日差しの中に座っている老人も、あるいはつり革につかまってよろけている老人も、当たり前のことながらそれぞれに固有の人生を持ち、固有の欲にとらわれ続けているわけです。あたる日の暖かさは同じでも、皮膚に感じる暖かさの種類は、老人それぞれに違っているわけです。『俳句入門三十三講』(2003・講談社)所載。(松下育男)


October 23102010

 やゝ寒く人に心を読まれたる

                           山内山彦

や寒、うそ寒。いずれも晩秋の寒さなのでふるえるほどではないのだが、うそ寒の方が心情が濃い気がする。だからこそ、心を読まれたと感じた時の不意打ちにあったようなかすかなたじろぎと、やゝ寒という、あ、ひんやりという感じを心情をこめずに言っている言葉が呼び合うのだろう。これがうそ寒であったら、心持ちそのものがどこかうすら寒いということで、あたりまえな話になってしまいそうだ。思ったことがすぐ顔や態度に出るわかりやすいタイプは他人の心の中はあまりよくわからず、逆にいつも飄々として何を考えているかわからない人ほど、相手の考えていることを読めたりする。作者はきっと後者なのだろう。『春暉』(1997)所収。(今井肖子)




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