2010N11句

November 01112010

 蓑虫を無職と思う黙礼す

                           金原まさ子

るほどねえ。言われてみれば、蓑虫に職業があるとは思えない。どこからこういう発想が出てくるのか。作者の頭の中をのぞいてみたい気がする。でも、ここまでで感心してはいけない。このユニークな発想につけた下五の、これまたユニークなこと。黙礼するのはべつに神々しいからとかご苦労さまだとかの思いからではなく、なんとなく頭が下がったということだろう。行為としてはいささか突飛なのだが、しかしそれを読者は無理なく自然に納得できてしまうから不思議だ。そしてわいてくるのは、諧謔味というよりもペーソスを含んだ微笑のような感情だ。企んだ句ではあるとしても、企みにつきまといがちなアクの強さを感じさせないところに、作者の才質を感じる。金原さんは九十九歳だそうだが、既成の情緒などとは無縁なところがまた素晴らしい。脱帽ものである。「したしたしたした白菊へ神の尿」「片仮名でススキと書けばイタチ来て」『遊戯の家』(2010)所収。(清水哲男)


November 02112010

 実ざくろの裂けたき空となりにけり

                           下村志津子

の上では晩秋となったが、残暑の疲れも取れぬ間に、冬が横顔を見せているような今年に、明度の高い秋の晴天は数えるほどだった。あらゆる果実は美しい秋の空に冴える。ことにざくろの赤といったら。中七の「裂けたき」は、ざくろの心地といったところなので、「分かるわけない」と両断されてしまえばそれまでだが、それでもざくろにはそんな思いがあるのではないかと意識させる果実である。言わずと知れた鬼子母神を悲しい母の姿が背景に見え隠れしながら枝をしなわせるほどの重さにも屈託を感じる。「裂けたき」によって、ざくろの赤々と光りを宿した内部を思わせ、秋天の芯に向かって、今にもめりめりとまるで花開くように裂けてゆくのではないかと思わせる。句集名の可惜夜(あたらよ)とは、明けるのが惜しい夜。すごい言葉だ。〈可惜夜の鳴らして解く花衣〉〈連翹のさわがしき黄とこぼれし黄〉『可惜夜』(2010)所収。(土肥あき子)


November 03112010

 一筋に生きてよき顔文化の日

                           小森白芒子

日は文化の日。明治天皇の誕生日であり、もともと「天長節」とされ、「明治節」と定められていたが、戦後になってから「文化の日」と改められた。「自由と平和を愛し、文化を進める日」とされる。自由も平和も文化立国も掛け声はともかく、ご存じの通り現状はきわめてお粗末というか困難が継続している。毎年恒例、新聞に大きく文化勲章受章者の記念写真が載るのを、私などはずっと遠い出来事として眺めてきた。今年の受章者は蜷川幸雄ら七名。昨年は桂米朝が受章者の一人だった。一昨年は古橋広之進や田辺聖子ら。それ以前には、受章を辞退したノーベル賞作家や大物女優がいた。もちろん勲章だけが文化の日ではない。かたちだけでなくて、魂の入った文化を育てないことには文化立国が泣く。さて、掲句。喜びを秘めた受勲者の記念写真を詠んだ句ととらえればムム彼らはみな「この道一筋」に生きてきた人たちであり、敬服に値するだろう。安っぽい笑顔ではなく、長年月培われてきた「よき顔」であるにちがいない。いや、叙勲とは関係なしととらえれば、さりげなく巷におられて、「この道一筋」に生きてきた職人とか、おじいさんやおばあさんのことを詠っているようにも思われる。本当はそうなのかもしれない。日頃は厳しいおじいちゃんの顔も、文化の日には特別輝いて「よき顔」に見えるのだろう。見る側の「よき心」だけが「よき顔」を発見できる。平井照敏編『新歳時記・秋』(1996)所収。(八木忠栄)


November 04112010

 怖い漫画朝の蒲団の中にあり

                           小久保佳世子

のむかし楳図かずおの「蛇女」やつのだじろうの「うしろの百太郎」が怖かった。漫画の中の怖いシーンが頭に浮かぶとトイレに行くのも腰が引けて、ガラス戸にうつる自分に驚く情けないありさまだった。部屋の隅に誰かがいそうな気がして蒲団にもぐり込むのに、その中に怖い漫画があったらますます逃げ場がなくなりそうだ。冬の蒲団は暖かくて、包まれていると何ともいえない安心感があるが、怖い漫画があるだけで冷え切ったものになりそう。それにしても、なぜ「朝の蒲団」なのだろう。夜読むのが恐いから朝方読んでいたということだろうか?お化けと言えば夏だけど、「怖い漫画」と蒲団の取り合わせに遥かむかしに忘れてしまった出来事をまざまざと思い出した。しかし、そんなことが俳句になるなんて! 恐れ入りました。『アングル』(2010)所収。(三宅やよい)


November 05112010

 龍の玉独りよがりは生き生きと

                           瀧澤宏司

の玉のあの小さな美しい紫の玉に独りよがりの生き方を喩えている。或いは龍の玉で深い切れを想定するなら、龍の玉の前で、そこにいる「私」や人間の独りよがりの生き方を思っている。どちらにしてもここには独りよがりということに対する肯定がある。俳句に自分にしか感じ得ない、自分にしか見えない何事かを表現するという態度こそ表現者の態度だというと、時に、私はそこまで俳句に期待しませんという反応が返ってくる。俳句は誰のものでもないのだからいろいろな考え方があっていい。みんなが感じたのと同じことを感じるという安堵感を表現したいひとには類型感など取るに足らぬ問題だろう。自分だけのものを得ようとする創作は荒野に独り踏み出すようなものでそこに歓喜も絶望も存する。この句の作者はその両者を知ってしまった人だ。『諠(よしみ)』(2010)所収。(今井 聖)


November 06112010

 あたたかく靄のこめたる紅葉かな

                           深川正一郎

よりやや視界がよいのが靄、ということだが、霧は走るけれど靄は走らない、とも思う。この句の場合、山一面の紅葉が朝靄に覆われているのかもしれない。が、私には、湖の対岸にくっきりと見えていた一本の鮮やかな紅葉に今朝はうっすらと靄がかかっている、という景色がなんとなく浮かんだ。そこに朝日が差しこんでくると、湖面はかすかな風を映して漣が立ちはじめ、紅葉の彩をやわらかくつつんでいた靄はしだいに薄れていく。あたたかな靄の晴れてゆく湖畔で、作者は行く秋を惜しんでいるのかもしれない。『正一郎句集』(1948)は、川端龍子の装丁がしっとりとした作者の第一句集。四季別にまとめられているがその扉の、春、夏、秋、冬、の文字だけが水色で美しい。(今井肖子)


November 07112010

 予備校の百の自転車冬に入る

                           長島八千代

は今年とうとう60歳になってしまいましたが、若いころに想像していた60歳とはずいぶん感じが違います。言うまでもなく時は切れ目なく流れてきており、しかし古いものから過去が遠ざかってゆくというわけではありません。未だに何十年も昔の、学生のころの夢をみてうなされることがあります。一生の体験のうち、記憶に残りそうなことは、ほとんど成人前にかたよっているように思われます。あるいは、若いころは生きることにまだ新鮮な精神を持っており、それゆえにちょっとしたことでも鮮明に覚えてしまうのかもしれません。本日は立冬。この歳になってみれば単に季節の変わり目に過ぎませんが、来年受験をひかえている学生にとっては、特別な意味を持っています。ああもう冬になってしまったか、まだ受験の準備は進んでいないのにと、ほとんどの受験生はあせりを感じるころです。予備校にとめられている自転車の数だけ、そんなあせりを運んできたものと思えば、なんだかサドルの群れに、小声でエールを送ってあげたくもなります。『角川俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


November 08112010

 いちにちが障子に隙間なく過ぎぬ

                           八田木枯

者は八十代半ば。寒い日だったのか、一日中外出もせずに部屋に閉じこもっていたのだろう。時間の経過を感じるのは、ただ障子を隔てた外光の移り行きによってである。日中は日差しがあたり、木などの影も写る。それがだんだんと淡くなって薄墨色に溶けてゆき、やがて暗くなってきた。作者はべつだん意識して障子を見つめていたわけではないのだけれど、そんな一日をふり返ってみれば、目の端の障子が雄弁に時の経過を物語っていたことを知るのである。まさに時が「隙間なく」流れていることを、障子一枚で表現したところに、この句の新鮮な味わいがある。しかも作者が、この句に何の感慨もこめていないところが、かえって刺激的だ。無為の一日を惜しむ気持ちも、逆に過ぎ去った時間を突き放すような韜晦の気持ちが生れているわけでもない。作者に比べれば若造でしかない私にも、老人特有のこの淡々とした心の動きはわかるような気がする。なお「隙間なく」の「間」は、原文では門構えに「月」の字が使われている。『鏡騒(かがみざい)』(2010)所収。(清水哲男)


November 09112010

 からたちに卍掛けなる鵙の贄

                           斎藤夏風

は秋から冬にかけて、蜥蜴や蛙などの獲物を木の枝などに串刺しにする。鵙の早贄(はやにえ)などと呼ばれるこの残酷な習性は、冬にかけて不足する食糧の確保や、縄張りの目印などと考えられている。そして掲句の卍掛けとはいかなるものなのであろうかと調べると、姿三四郎の世界に見つけることができた。合気道の技の一種で、相手の腹を突き蹴りで打ちつけ、前屈みになったところを内掛けにして、背中に飛び乗り、頸の後ろ側に膝を掛けて固め、次に相手の右腕を自分の左腕の脇固によって絞め上げるものだという。ともかく苦しそうなかたちであることだけは確かだ。鈎状になっている鵙の嘴によって、壮絶な死を迎えたであろう獲物の姿を目の当たりにしながら、吉祥の象徴である「卍」に掛けられた贄には、鵙の食糧確保というより、どこか青空に捧げた供物のように見せている。柑橘系のからたちの混み合った緑の棘が、決して触れてはならない神聖な祭壇を思わせる。〈これよりは辻俳諧や花の門〉〈クリスマスケーキ手向けてまだ暮れぬ〉『辻俳諧』(2010)所収。(土肥あき子)


November 10112010

 たそがれてなまめく菊のけはひかな

                           宮澤賢治

と言えば、競馬ファンが一喜一憂した「菊花賞」が10月24日に京都で開催された。また、今月中旬・下旬あたりまで各地で菊花展・菊人形展が開催されている。菊は色も香も抜群で、秋を代表する花である。食用菊の食感も私は大好きだ。いつか今の時季に山形へ行ったら、酒のお通しとしてどこでも菊のおひたしを出されたのには感激した。たそがれどきゆえ、菊の姿は定かではないけれど、その香りで所在がわかるのだ。姿が定かではないからこそ「なまめく」ととらえられ、「けはひ」と表現された。賢治の他の詩にもエロスを読みとることはできるけれど、この「なまめく」という表現は、彼の世界として意外な感じがしてしまう。たしかに菊の香は大仰なものではないし、派手にあたりを睥睨するわけでもない。しかし、その香がもつ気品は人をしっかりとらえてしまう。そこには「たそがれ」という微妙な時間帯が作用しているように思われる。賢治の詩には「私が去年から病やうやく癒え/朝顔を作り菊を作れば/あの子もいつしよに水をやり」(〔この夜半おどろきさめ〕)というフレーズがあるし、土地柄、菊は身近な花だったと思われる。賢治には俳句は少ないが、菊を詠んだ句は他に「水霜のかげろふとなる今日の菊」がある。橋本多佳子にはよく知られた「菊白く死の髪豊かなるかなし」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 11112010

 前山を見る寄鍋のうれしさで

                           栗林千津

本気象協会によると「鍋指数」というものがあり、空気が乾き寒くなるほど鍋指数は上がるという。これから鍋のお世話になる夜が増えるだろう。この頃はキムチ鍋からトマト鍋、豆乳鍋など様々なスープがスーパーの棚に並んでいる。寄鍋は昔ながらの定番メニューだけど、鍋を前にしたうれしさが、どうして山を見る心の弾みにつながるのだろう。鍋は覗き込むものだから、掲句の場合高い場所から山々を見下ろしているのかもしれない。山は一つではなくいくつか峰が連なっていて、山あり谷ありぎゅっと押し合いながら眼前に広がる様子が寄鍋らしくていいかもしれない。ただ単に「前山」という山を指しているのかもしれないが、山を見る嬉しさが。寄鍋を囲む楽しさや健康な食欲にすっと結びつくところがこの句の面白さだと思う。『栗林千津句集』(1992)所収。(三宅やよい)


November 12112010

 墓碑銘を市民酒場にかつぎこむ

                           佐藤鬼房

季の句。昭和二十六年刊行の句集に収録の作品だから、まだまだ戦後の混沌と新しい社会への希望が渦巻いていた頃。墓碑銘を市民酒場にかつぎこむイメージは、市民革命への希求がロシア革命への憧憬を根っこに持っていた証だ。強くやさしい正義の赤軍と悪の権化の独裁との闘い。この頃の歌声喫茶で唄われたロシア民謡。赤提灯を市民酒場と呼び、卒塔婆を墓碑銘と呼ぶモダニズムの中に作者の青春性も存した。60年を経て、プロレタリア独裁も搾取も死語となった今どういう理想を僕らは描くのか。どういうお手本を僕らは掲げるのか。或いはそんなものは無いと言い放つのか。『名もなき日夜』(1951)所収。(今井 聖)


November 13112010

 朴落葉いま銀となりうらがへる

                           山口青邨

しいとはこのことか、という朴落葉を先日初めて見た。冬近い山湖のほとりで、それは落葉というよりまるで打ち上げられた魚の大群のようで、明らかに生気のない白さでことごとく裏返っていた。見上げた朴の大木には、今にも落ちてきそうな葉が揺れているのだが、どれもまだ枯れ色の混ざった黄色で、ところどころ緑が残っている。じっと見るうち、そのうちの一枚がふっと木を離れ、かさりと落葉に重なった。手にとってみると、その葉の裏はもう白くなりかけている。雨の後だったので、どの落葉も山気を含んで石のような色をしていたが、からっと晴れていたら、この句のように銀色に光るだろう。落葉になる一瞬、静かに舞うさま、落ちてなお冬日に耀く姿をゆっくり見せながら、いま、の一語が朴落葉に鮮やかな存在感を与えている。『俳句歳時記 第四版 冬』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


November 14112010

 先生ありがとうございました冬日ひとつ

                           池田澄子

時記を読んでいて、必ず立ち止まってしまう俳人が何人かいます。池田さんもそのうちの一人。前後に並ぶ句とは、いつもどこかが違う。どうして池田さんの句は、特別に見えるんだろうと、考えてしまいます。ところで僕は、必要があってこのところ「まど・みちお」の童謡や詩をずっと読んでいますが、まどさんの詩も、なぜかほかの詩人とは違う出来上がり方なのです。わかりやすい表現に徹している俳人や詩人はほかにいくらでもいます。でも、問題はそんなところにはありません。池田さんやまどさんは、余計な理屈や理論などで武装する必要もなく、表現の先端がじかに真理に触れることができる、そんな能力を持ち合わせているのかなと、思うわけです。特別なのは、だから句の出来上がり方だけではなくて、句に向かう姿勢そのものなのです。あたたかな冬の日に、ありがとうと素直に言えるこころざしって、だれもが感じることができるのに、なかなかこうしてまっすぐに表すことは、できません。『角川俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


November 15112010

 均一の古書を漁りて風邪心地

                           遠藤若狭男

んとなく風邪を引いたような感じ。気分のよいものではない。いまの私がちょうどそんな状態にあるので、作者の心持ちがよくわかるような気がする。いつもの元気を欠いているので、古書店の前を通りかかっても、店の奥に入っていく気力がない。どんな店でもどこかで消費者を刺激するようにできているので、ふだんは地味な感じのする古書店ですらも、入るのには実はなかなかに体力を要するものなのだ。身体が弱ると、そのことが実感的によくわかる。だから、作者は店の前の百円か二百円均一のコーナーにぼんやりと目を配っている。べつに掘り出し物を発見しようという意欲も湧いてはこない。もう立ち止まったときから、何も買わないで離れていく自分がいるのだ。それでも一応背表紙くらいは読んでみる。読んでみるが、手に取るところまではいかない。そんな心持ちを書きとめている。なんということもない句だけれど、そのなんということもないところを書くのも、俳句ならではの表現と言えるだろう。『去来』(2010)所収。(清水哲男)


November 16112010

 初冬や触るる焼きもの手織もの

                           名取里美

ャサリン・サンソムの『LIVING IN TOKYO』は、イギリスの外交官である夫とともに昭和初期に日本に暮らした数年をこまやかな視線で紹介した一冊である。そのなかで、ある日本人の姿として店に飾られている一番高価な着物を、買えるはずもない田舎の女中のような娘があかぎれの手で触れているのを見て驚く。そして「日本では急き立てられることもなく、娘は何時間でも好きなだけ着物に触ったりじっと眺めていることができます」と、誰もが美しいものに触れることのできる喜びを書いている。布の凹凸、土のざらつき、どれも手から伝わる感触が呼び起こすなつかしさがある。わたしたちはそれぞれの秘めたる声に耳を傾けるように手触りを楽しむ。初冬とは、ほんの少し寒さが募る冬の始まり。まだ震えるほどの寒さもなく、たまには小春のあたたかさに恵まれる。しかし、これから厳しい冬に向かっていくことだけは確かなこの時期に、ふと顔を出す人恋しさが「触れる」という動作をさせるのだろう。動物たちが鼻先を互いの毛皮にうずめるように、人間はもっとも敏感な指先になつかしさを求めるのかもしれない。〈産声のすぐやむ山の花あかり〉〈つぎつぎに地球にともる螢の木〉『家』(2010)所収。(土肥あき子)


November 17112010

 ポケットのなかでつなぐ手酉の市

                           白石冬美

年のことながら、酉の市の頃になると、ああ今年も残りわずかという感慨を覚えずにいられない。今年は11月7日と19日、二の酉まで。酉の市の時季、夜はかなり冷えこんでくるから、コートを着た参詣者は肩をすくめ背を丸めて歩く。恋人同士だろう、若い男女が人混みに押されながら寄り添い、男性のコートのポケットに女性が手を差し入れ、人知れずしっかりと握りあっている。どんな寒風が吹いていても、そこだけは寒さ知らずの熱々の闇。ほほえましい図である。外に出ているほうの手には小さな熊手が握られているのかもしれない。恋人同士なら寒暖に関係なく、ポケットのなかで手をつなぐことはいつでもできるけれど、掲句ではにぎわっている「酉の市」がきいている。二人は参詣したあと、気のきいた店で熱燗でも酌み交わすのかも。酉の市の夜、周辺の街はどの店も客でいっぱいになってしまうから大変だ。浅草では江戸時代中期以降に繁昌しだしたと言われる祭礼だが、もともとは堺市鳳町の大鳥神社が本社。関東では吉原に近かった千束の大鳥神社が中心になっている。久保田万太郎の句に「くもり来て二の酉の夜のあたゝかに」がある。冬美の俳号は茶子。他に「あやまちを重ねてひとり林檎煮る」がある。「かいぶつ句集」第五十号・特別記念号(2009)所載。(八木忠栄)


November 18112010

 熊穴に入る頃か朱肉の真っ赤なり

                           笠井亞子

も穴籠りする季節になったが、その前の餌を求めて人の住むところまで降りてくるニュース後を絶たない。猛暑でどんぐりが少ないことが原因と言うが、山の近くに住んでいる人達は気が気でないだろう。東京でも奥多摩や秩父では熊と鉢合わせするかもしれず、リュックに熊よけの鈴をつけて歩いている登山者を多く見かけた。印鑑を押す時に使う朱肉は「朱と油を練り合わせ艾(もぐさ)やその他の繊維質のものに混ぜ合わせて作る。」と広辞苑にある。考えてみれば「朱肉」とは不思議な言葉だ。黒のプラスチックケースの蓋をあけるとパカッと真っ赤な朱肉が収まっている。その色の組み合わせにふっと冬籠りする熊に思いが及んだのか。ツキノワグマがくわっと開けた口の赤さは朱肉の赤さ以上に際立つことだろう。人と熊の不幸な接近を思えば「真っ赤なり」の言葉が暗示的でもある。『東京猫柳』(2008)所収。(三宅やよい)


November 19112010

 冬の日と余生の息とさしちがふ

                           斎藤 玄

日がこちらに向って差してくる。こちらの余生の息を向こう側に向って吐く。冬日と息が交差する。真剣な冬日との対峙がここにある。はかない人の生と、太陽がある限りの冬日の永遠性が序の口と白鵬のように激突する。永遠という巨人に対峙して勝てるわけもない。しかしそのときその瞬間にそこに存在したという実感が得たいからさしちがえるのだ。他ジャンルと比べたとき俳句に誇りがもてるのはこういう句に出会ったときだ。まさに捨身の一句。『雁道』(1979)所収。(今井 聖)


November 20112010

 バス発てば君居なくなる寒くなる

                           辻田二章

は寒くても気持ちはあたたかい時もあればその逆もある。この句が生まれたのは、小春の休日だろうか。一緒に過ごしている間は、まさに賜った今日の日差しが何倍にも輝きを増して二人を包み、身も心もほわっとしているけれど、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。小さな今日だけの別れでも別れはさびしいものであり、それは会った時から、さらに会う前からわかっていたこと。バスが発ってしまって君がいなくなってだからさびしい、のではない。バスを見送りながら、わかっていたさびしさを今さらのようにかみしめていると、いつのまにか日は暮れていてさっきまで感じなかった寒さに急に襲われたのだろう。そして、今日一日の幸せな時間を思い出して、心にぬくもりを感じつつ家路をたどる作者である。『枇杷の花』(2001)所収。(今井肖子)


November 21112010

 柔道着で歩む四五人神田に冬

                           草間時彦

とさら作者のことを調べなくても、句を読んでいれば、草間さんはサラリーマンをしていたのだろうなということが想像されます。俳人にしろ、詩人にしろ、作品からその人のことが思い浮かべられる場合と、そうでない場合があります。つまり、作品を人生に添わせている人と、引き離している人の2種類。もちろんどちらがいいとか悪いとかの問題ではなく、でも、僕は年をとってくるにつれ、前者の作品に心が動かされる場合が多くなってきたように感じます。本日の句は、まさに俳句でしか作品になりえない内容になっています。神田という地名から、やはり柔道着を着ているのは大学生なのかなと、感じます。ランニング練習のあとで、ほっとして校舎にもどる途中ででもあるのでしょうか。四五人分の汗のにおいと呼吸の白い色が、すぐそばに感じられる、そんな句になっています。『合本 俳句歳時記 第三版』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


November 22112010

 オリオンや眼鏡のそばに人眠る

                           山口優夢

リオンは冬になると際立つ星座だから、季語「冬の星」に分類する。何の変哲もない情景を詠んでいるのだが、構図の取り方の巧みさが、情景に深い感情を添えている。単に枕元あたりに眼鏡を置いて眠っている人の様子なのだが、掲句では眼鏡をクローズアップすることによって、寝ている人がいかにも小さく思われるし、そのちっぽけな存在が天空のオリオン座に照らしてますます小さく見えてくる。そして、この存在の小ささが、この人へのいとおしさを呼び覚まし、ひいては人間存在一般へのそれを思わせてくれる。三好達治の二行詩「雪」(太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ……)に通じる世界と言ってよかろうが、三好よりも構図にひねりを効かせたところが作者の発見であり、その才能の並みでないところでもあるだろう。構図取りにあまり凝りすぎるとあざとくなりがちなものだけれど、それを少しも感じさせないさりげない詠み方に好感を持った。「週刊俳句」(2010年11月21日付)所載。(清水哲男)


November 23112010

 襟巻のうしろは闇の中なりし

                           高倉和子

ード付きのコートを脱いで、なんの気なしにハンガーに掛けようとしたとき、うしろに垂らしたフードからふわっと冷たい空気が流れてきて驚いたことがあった。襟元をかき合わせたり、火があれば手をかざしたり、なにかにつけいたわっている身体の前面と違い、冷気にさらされ放題の背面の存在を意識させたできごとだった。わが身の背後に放り出され、しんしんと冷えていたもの。襟巻きでも同様だろう。首という身体のどこよりも華奢なところに巻き付けるものであるだけに、その先が無防備に闇の中に放り出されている図は、なんともあやうくあぶなっかしい。掲句の「うしろ」とは、単なる場所を意味するだけでなく、背後に広がる空間という不安の象徴としても存在する。暗がりのなかでずっと揺れ続けていたと思うと、その冷えきった襟巻きの尻尾の部分がやけにさみしく、また愛おしく思えるのだった。〈ふるさとに居れば娘や福寿草〉〈汀長し胸より乾く海水着〉『夜のプール』(2010)所収。(土肥あき子)


November 24112010

 たくさんの犬埋めて山眠るなり

                           川上弘美

季折々の山を表現する季語として、春=山笑ふ、夏=山滴る、秋=山粧ふ、そして冬は「山眠る」がある。「季語はおみごと!」と言うしかない。冬になって雪が降ると♪犬はよろこび庭かけまわる……と歌われてきたけれど、犬だって寒さは苦手である。(冬には近年、暖かそうなコートを着て散歩している犬が目立つ。)ところで、「たくさんの犬埋めて」ってどういうことなのか? 犬の集団冬ごもり? 犬の集団自決? 犬の墓地? 悪辣非情な野犬狩り? 犬好きな人が熱にうなされて見た夢? で、埋めたのは何者? ーーまあまあ、ケチな妄想はやめよう。句集を読みながら、私はこの句の前でしばし足を止め、ほくそ笑んでしまった。だから俳句/文学はおもしろい。たくさんの犬を埋めるなんて、蛇を踏む以上に愉快でゾクゾクするではないか。しかも、山は笑っているわけでも、粧っているわけでもなく、何も知らぬげに静かに眠って春を待っているのだ。あれほど元気に走りまわり、うるさく吠えていた犬たちもたわいなく眠りこんでいるらしい。だからと言って、殺伐として陰惨という句ではなく、むしろ明るくユーモラスでさえある。句集全体が明るく屈託ない。そして犬たちは機嫌よく眠っているようだ。弘美さんは犬好きなのだろう。この待望の第一句集十五章のうち、三つの章を除いた各章の扉絵(福島金一郎)に犬が描かれているくらいだもの。犬を詠んだ句も目立つけれど、「はるうれひ乳房はすこしお湯に浮く」なんて、ふわりとしていて好きな句だなあ。よく知られた傑作「はつきりしない人ね茄子投げるわよ」も引いておこう。句集『機嫌のいい犬』(2010)所収。(八木忠栄)


November 25112010

 偵察衛星大根が煮くずれる

                           櫻木美保子

近、探査機「はやぶさ」が小惑星に着陸し採集した物質を持ち帰り話題になった。掲句では煮くずれる「大根」と「偵察衛星」という摩訶不思議な取り合わせだけど、その飛躍の大きさに何となく惹かれる。なぜ作者は煮くずれる大根を見て偵察衛星に考えがいたったのだろう。「偵察衛星」だから「はやぶさ」のように未知の世界に出かけるのではなく、地球の周りを回りながら、こっそりとある場所の映像を送り続けているのだろう。その地表のイメージを煮崩れる大根に重ねているのか。作者の胸の内は想像するしかないけど、大根をことこと煮込む時間と地球を廻り続ける衛星の単調な時間が重なりあったのだろう。台所にある日常が不穏さを持った別の世界へ引き延ばされる感じがする。『だんだん』(2010)所収。(三宅やよい)


November 26112010

 冬の鹿に赤き包を見せてゆく

                           長谷川かな女

覚の句。冬から連想されるモノクロのイメージに実際の色である赤を合わせた。つまり白と赤の対照である。食いしん坊の鹿の興味を引くような包みをみせるという「意味」ももちろん内容としてのテーマだが、それ以上に色調に対するセンスを感じさせる。70年以上も前の句なのに古さを感じさせないのは俳諧風流や花鳥諷詠的情緒といったツボに執心することなく目の前の「日常」を写し取ったからだ。そのときその瞬間の「現実」こそが普遍に到る入口である。『雨月』(1939)所収。(今井 聖)


November 27112010

 猫の目に海の色ある小春かな

                           及川 貞

っ越して一年足らず、さすがにもう段ボールはないけれど、捨てられなかった古い本や雑誌がとりあえず棚に積まれている。それを少しずつ片付けていて「アサヒグラフ」(1986年7月増刊号)に遭遇した。女流俳句の世界、という特集で、美しい写真とともに一冊丸ごと女性俳人に埋め尽くされ、読んでいるときりもなく結局片付かない。そのカラーグラビアにあったこの句に惹かれ、後ろの「近影と文学信条」という特集記事を読みますます惹かれた。今ここに書けないのが残念だが、淡々とした語り口に情熱がにじんでいる。句帳を持たず、その時々の句は頭の中にいくつもありそれで十分、とあるが、この句もそんな中のひとつなのか。小さな猫の目の中に広がる海は、作者の心の奥にある郷愁の色を帯びて、さまざまな思いごと今は日差しに包まれている。(今井肖子)


November 28112010

 子の暗き自画像に会ふ文化祭

                           藤井健治

化祭というのは秋の季語でしょうか。この句をわたしは、11月22日の朝日新聞の朝刊で読みました。詩はともかく、句に接することのそれほど多くないわたしの日常で、朝日俳壇は貴重な俳句との接点になっています。藤井さんがこの句を詠んだ時から、それが投句され、さらに選者によって選ばれ、選評とともに朝日俳壇に載るまでには、おそらく何週間かがすでに経っています。ですから、新聞で読む句はいつも、その時のではなく、少し前の季節の風を運んでくれます。今日の句を読んで、ああこの気持ちよくわかるなと感じた人は少なくないでしょう。子供というのは、いつまでも親の見えるところにいるのではないのだということを、実感をもって示してくれています。絵に限らず、文学においても、身内のものが創ったものを目の当たりにすることには、どこかためらいを感じます。そのためらいは、単に恥ずかしさだけのせいではないようです。どこか、自分のある部分が、その創作の暗さとつながっているような、申し訳ないような気持ちにもなるのです。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年11月22日付)所載。(松下育男)


November 29112010

 母すこやか寒の厨に味噌の樽

                           吉田汀史

違っているかもしれないが、まだ作者の母親が元気だった頃の回想句だろう。と言うのも、このところ私の母が歩行困難になり、ヘルパーの手を借りて生活している(現在は心不全で入院中)ので、そう思ったわけだ。ふだんは気がつきもしないのだが、専業主婦である母親の健康のバロメーターは、句のように厨(台所)の状態に表れることにいまさらのように気がついたからである。母が使わなくなった台所の様子は、食器や調味料の類いに至るまでの置き場所一つにしても、どことなく違って見える。同じような配置にはなっているが、やはり母とは微妙に物の向きが異なっていたりするので、すぐに他人の手の働いた跡が感じ取れてしまう。作者はおそらくそんな体験を経た後に、味噌の樽一つの置き場所とそのたたずまいの変化の無さが、実は母親の元気な証拠であったことを発見しているのだ。寒中の味噌の樽は、見た目には当然寒々しい。が、この句のそれは、ちっとも寒々しくもないし冷え冷えともしていない。「母すこやか」の魔法が効いているのだ。『季語別 吉田汀史句集』(2010)所載。(清水哲男)


November 30112010

 鉄筆をしびれて放す冬の暮

                           能村登四郎

写版の俗称であるガリ版の名は、鉄筆が原紙をこするときにたてる音からきているというが、この名に郷愁を覚える世代も40代以上になるだろうか。鉄筆は謄写版に使用する先端が鉄製のペンである。用紙には薄紙にパラフィンなどが塗ってあるロウ紙を用い、鉄筆で文字を書くと塗料が削られることで、インクが収まる溝ができる。ちょっとした彫刻にも似て、指先にかかる筆圧はおしなべて均等でなければならず、ペンで書く場合とは大きく異る。学校のテストやお知らせ、文集などに活躍したが、コピー機やパソコンという技術にあっという間にその座は奪われた。テスト以外では、生徒を数人呼んで時折手伝わせることもあり、職員室に満ちるかりかりという乾いた音のなかに入ることはほこらしくもあった。子どもにとっては、慣れない文具はどれも新鮮で、間違ったときの修正液のマニキュアのようなボトルを使うとき、なんだかとっても大人になったような気がしたものだ。あっという間に暗くなる冬の日に、先生たちは学生の姿が消えた放課後の運動場を眺めながら、疲れた腕を伸ばすのだろう。鉄筆から生まれた文字は、読みにくい字であれ、きれいな字であれ、どれも先生の匂いがするようなぬくもりがあった。『能村登四郎全句集』(2010)所収。(土肥あき子)




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