m句

January 1112011

 遠吠えが遠吠えを呼ぶ霜夜かな

                           松川洋酔

ょうど本日1が重なるワンワンワンの日に合わせて犬の句を。遠吠えとは、犬や狼が身に危険を察知したときにする情報伝達のための呼び声である。町で飼われている犬たちが、パトカーや救急車のサイレンに反応するという現象は、サイレンの高低が遠吠えに似ているためといわれ、大きな車が危険を知らせながら猛スピードで通り抜ける姿に、縄張りを荒らされていると勘違いしたペットが威嚇のリレーをする。群れから遠ざかり、人間との生活が長い犬が、遠吠えという犬同士でしか理解できない声を手放さない事実に切なさを感じるのは、過去の歴史のなかで野生の獣として走り回っていた姿があったことを強く思い出させるからだろう。霜が降りる夜は気温が低く、よく晴れ、風のない日だという。張りつめたような霜の夜、犬が持つ高性能の鼻や耳は、なにを嗅ぎ分け聞き分けているのだろう。イギリスの作家サキの傑作「セルノグラツ城の狼」では、ある家柄の者が死に近づくと森の狼が一斉に遠吠えをする。これが実に誇り高く美しいものだった。掲句に触発され、読み返している。〈明らかに戻りしあとや蜷の道〉〈炭足してひととき暗くなりにけり〉『家路』(2010)所収。(土肥あき子)


November 25112014

 枯野には枯野の音の雨が降る

                           松川洋酔

れることの定義を広辞苑ではどう表現しているのだろうとなにげなく開いてみると、「水気がなくなって機能が弱り死ぬ意。死んでひからびる。若さ、豊かさ、うるおいなどがなくなる。」など、なんだか身につまされて、調べたことを後悔する。枯れ果てた草木に追い打ちをかけるような雨を思い、気分が沈む。しかし、気を取り直して「枯れる」の項を読み続けると、最後の最後にパンドラの箱に希望が取り残されていたように「長い経験の結果派手さが消え、かえって深い味を持つようになる」とあった。枯野から放たれる雨音は、思いのほか軽やかで、明るい音色に包まれていたのだ。そして、街には街の音、海には海の音の雨が降るのだと静かに気づかされる。〈裸火の潤みし雨の酉の市〉〈千年の泉のつくる水ゑくぼ〉〈湯たんぽの火傷の痕も昭和かな〉『水ゑくぼ』(2014)所収。(土肥あき子)


December 13122014

 焚火してけふを終らす大工かな

                           松川洋酔

斗缶の火を囲む数人の大工、その日に出たカンナ屑など燃やしているのだろう。煙の香りが懐かしくよみがえるが、在来工法が少なくなった上、おいそれと焚火などできなくなってしまった現在ではほとんどお目にかかれない光景だろう。先日も二十代後半の知人に、キャンプファイヤー以外の焚火を見たことがない、と言われて驚いたがよく考えてみれば、さもありなんだ。掲出句は平成二十四年の作。<水舐めて直ぐにはたたず冬の蝶    >など、よく見て一句を為す作者であるが掲出句の、かな、は、過去の一場面をふと思い出しているような余韻が感じられる。<   湯たんぽの火傷の痕も昭和かな >。『水ゑくぼ』(2014)所収。(今井肖子)




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