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February 2122011

 老いて母に友殖ゆ父は着膨れて

                           今村俊三

年の父は掲句のとおりであった。異常に寒がりになり、真夏以外はたいてい炬燵に入るほどだった。母は近隣に友だちが何人もいたけれど、元来が社交的ではない父には立ち話をするような人もいなかった。兄弟も昔の友人知己も次々に他界して、年々賀状の数も減っていった。そんな父が唯一楽しみにしていた行事が士官学校時代の同級会で、毎年春には遠い靖国神社まで出かけていった。とはいえメンバーも欠けて近年は四人になり、後の出席者は未亡人が十名ほどだったらしい。一昨年は介護の人を頼んで、車椅子で連れていってもらった。昨年も認知症が進むなかで行きたい様子を見せた。それが困ったことに、真夜中に突然起き上がり「これから出かけるから」と背広に着替えたりして、母を多いに困惑させた。そんなにも行きたいのか。母から相談を受けた私は、これで最後になるかもしれないので、介護の車は予約するようにと答えた。当日、車がやってきたときには、しかし父は眠っていたという。車には帰ってもらい、何日かして見舞いに行くと、出席の約束を破ってしまったことをひどく悔やんでいて、何度も幹事に電話してくれと言う。既に当日、母が詫びの電話を入れていたのだが、そのことを何度言っても納得しない。母の話によると、その幹事役の人も認知症が進んでいて、電話口には出られないということだった。そこで私は嘘をついた。さっき電話してよく謝っておいたからと言うと、やっと少しはほっとしたような顔つきになった。『冬の樫』(1973)所収。(清水哲男)




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