2011N4句

April 0142011

 ふるさとの春暁にある厠かな

                           中村草田男

のところを三音の空欄にしたら、おそらくすべての俳人はふるさとの春暁にふさわしい情緒的な語句を入れるだろうな。厠なんて絶対出てこない。これは草田男の才能そのものだ。だいたい厠がふるさとの情感と合うわけがないと我らは思う。思う以前にそんな出会いを思いつきもしない。生まれ交わり産み死んでいく人間の原初の営みを強く肯定するからこそ厠を聖なる営みの場所として捉えられる。上句の情緒が下句で一転して「哲学」に到る。俳句はここまで言える。『長子』(1936)所収。(今井 聖)


April 0242011

 初花となりて力のゆるみたる

                           成瀬正俊

の時期、ソメイヨシノを見上げて立ち止まること幾たびか。花を待つ気持ちが初花を探している。今にも紅をほどかんとしているたくさんの蕾を間近でじっと見ているとぞわぞわしてくるが、それは黒々とした幹が溜めている大地の力を感じるからかもしれない。初花、初桜は、青空に近い枝先のほころびを逆光の中に見つけることが多い。うすうすと日に透ける二、三輪の花は、まさにほっとゆるんだようにも見える。そしてほどけた瞬間から、花は散るのを待つ静かな存在になる。蕾が持っていた力は一花一花を包みながら、やがて満開の桜に漲っていく。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


April 0342011

 酒蔵につとめ法被の新社員

                           大島民郎

月になって初めての日曜日です。大震災の影響で、被災地にある会社では内定取り消しを考えているところもあるようです。事情は理解できないでもありませんが、就職難のこの時期に、やっと仕事が決まってホッとしていた学生にとっては、なんとも残酷な知らせです。今日の句は、めでたく会社に入った若者を詠んでいます。酒造会社に勤め始めたその初日に、用意された新しい法被を着て、現場に集合しているところでしょうか。製造過程を知らなければ、事務だって営業だって仕事にならないのだという、先輩の説明を緊張して聴いているのでしょう。晴れてはいるけれども、風はまだ冷たく感じられます。これからここで人生の大切な部分を過ごすのだと、思えば風の冷たさのせいだけではなく、胸も小刻みに震えてきます。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)


April 0442011

 何と世に桜もさかず下戸ならば

                           井原西鶴

読、三読しても、意味がよくわからない。これは読者が悪いのではなく、作者の罪である。西鶴独特の乱暴な詠みぶりと言って良い。もっとも西鶴に言わせれば、わからないのは古典の教養がないせいだと憫笑されるかもしれないが…。どうやらこの句、伊勢物語に出てくる有名な歌「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」を踏まえているらしい。これを西鶴はもう一ひねりして、いまの世の中、桜も咲くことなく、酒の飲めない身であったなら、どんなに良いことかと詠んでいる。何故なのか。この年の正月に出された「衣裳法度」なる政令によって、とにかく庶民は派手な衣装を「自粛せよ」ということになり、女性たちの楽しみである花小袖を着るなどはもってのほか、花の下でのどんちゃん騒ぎも自粛させられてしまった。これに大いに不満を覚えた西鶴は、この句を詠んで為政者にあてこすったというわけである。と、意味がわかれば、今日このごろの東京都知事への不満としても通用しそうだけれど、なんだかなあ、句が下手すぎてせっかくの憤りも空回りしているのが残念だ。『好色旅日記』(貞享4年)所収。(清水哲男)


April 0542011

 入学写真いつも誰かがよそ見して

                           樋笠 文

つどんな写真でも、きれいな笑顔で写る知人にコツを聞いたことがある。秘訣は単純明快。「まばたきをしない」だった。そんなことが可能なのかと思うのだが、集合写真のときなどは「はい、撮りますよ」の掛け声まで目をつぶっているくらいでよいのだと言う。たしかに「いい顔」は長くは続かない。子どもであればなおさらだろう。隣の子が笑わせたり、後ろの子に髪を引っ張られたり、少しぼんやりしていたり。それにしても、全員きちんと正面を向いている集合写真が果たして必要なのかと、ふと思う。公平を旨とする現代では、皆同じ分量で写っていることが重要なのだろうか。うわの空だったり、俯いていたり、泣きべそかいていたり、そんな瞬間を切り取った集合写真の方が、時代を経たのちに記念になったりするのではないだろうか。それでも先生は毎年半分あきらめながら、あの手この手でカメラへ集中させようとする。そして、今日の入学式にもきっと誰かがよそ見をしていることだろう。俳人協会自註現代俳句シリーズ『樋笠文集』(1981年)所収。作者は小学校の先生。〈初蝶を入るる校門開きけり〉〈風光るジャングルジムに児が鈴生〉など明るく多彩。(土肥あき子)


April 0642011

 電柱をめぐりかくれぬシャボン玉

                           畑 耕一

ャボン玉は、やはり「石鹸玉」とは書かずに「シャボン玉」か「しゃぼん玉」と書いて、ふんわりと春風にかるーく飛ばしてみたいものである。「シャボン玉」と表記すると、あのキラキラ感が伝わってくるし、「しゃぼん玉」と表記すると、ふんわりふわふわしたやわらかさが強調される。「石鹸玉」と表記すると、ゴワゴワした固い感じがしてなかなか割れそうにない。表記によって、たった一つの日本語の微妙な奥深さが感じられてくる。寒さの冬からようやく解放されて、飛ぶシャボン玉の存在は一気に春を広げてくれる。吹き飛ばされたシャボン玉が、電柱にまとわりつくように見え隠れしながら、空へのぼっていく様子が見えるようだ。「シャボン」はポルトガル語。現在は通常「シャボン」と呼ばれるよりは「セッケン」と呼ばれることが多いのに反して、「シャボン玉」という呼び方がしっかり残っているのはおもしろい。耕一は俳句をよくして、句集に『露坐』『蜘蛛うごく』があり、春の句に「鶯や額ヒにのこる船の酔」がある。成瀬桜桃子の「しやぼん玉独りが好きな子なりけり」も忘れがたい。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


April 0742011

 蝶とべり飛べよとおもふ掌の菫

                           三橋鷹女

れまで短歌に親しんでいた鷹女の処女作。戯れに摘み取った手の中の菫がやがてはしおれてしまうことに哀れさを感じたのか、ひらひらと舞う蝶のように飛んでおくれ、と願う気持ちが初々しい。「おもふ」と、自分の気持ちを直截的に盛り込む強さが最期まで自分の感情を大切にした作者らしい。鷹女は昭和四十七年四月七日に亡くなった。その日は満開の桜のころであったが「花冷えなどというにはあまりに底冷えのする寒さであった」と中村苑子が書いている。鷹女最期の句は「寒満月こぶしをひらく赤ん坊」だった。消えてゆく命が、月の光に誘われて握りしめたこぶしを徐々にひらく赤ん坊の生命力に呼応したのだろうか。摘み取った掌の菫から、ひらかれゆく赤子のこぶしまで、四十五年の歳月を俳句に打ち込んだ鷹女だった。(三宅やよい)


April 0842011

 木の芽時食べて心配ばかりして

                           室田洋子

の芽時というのは人生の時間つまりは青春性の象徴。食べて心配ばかりしているのは人間の象徴と解するとわかり易い句になる。食べた、心配した、死んだ。と墓碑銘に刻んであったとしたら、その死者は自分だと大多数の人は思うことだろう。そういえば杞憂なんて言葉もあった。『まひるの食卓』(2009)所収。(今井 聖)


April 0942011

 白樺に吊すぶらんこ濡れやすく

                           田丸千種

供達が風の中思いきりぶらんこを漕ぐ、という図はいかにも春。ぶらんこは、中国の行事が元になって春に分類されているというが、そこには春風が心地よく吹いている。しかしこの句のぶらんこは、静かに白樺林の中にある。木で作られ少し傾いたぶらんこ、夏の間だけ誰かを楽しませるために、そこで一年の大半をぼんやりぶらさがって過ごしている、そんな避暑地の別荘の風景のようにも思える。濡れやすく、という少し主観の入った言葉によってぶらんこが、なんとなく親しく優しい存在になってくる。俳句同人誌「YUKI」(2011年春号)所載。(今井肖子)


April 1042011

 春の町帯のごとくに坂を垂れ

                           富安風生

ちろん、誰かに解説をしてもらってやっと言わんとしていることが理解できる句も、悪くはありません。でも、やっぱり一度読んだだけで理屈抜きにいいなと感じる句が好きです。ただ感じたままを無造作に放り投げてくれるような句を、ことに今は読みたいと思います。この原稿を書く机が、さきほども幾度かの強い余震で揺れていたせいもあるのかもしれません。まだまだ福島原発の放射能問題もはっきりとしない毎日に、どしんと落ちついて、しっかりと普通の春をよみあげた句に、もたれかかりたくもなります。ところで、「帯のごとく」と言って、さらに「垂れ」と結ぶのは、ちょっと工夫がないかなと思わないでもありませんが、でも、やはりこれでよいのです。無理に凝った表現をして利口ぶる必要なんか、たぶんどこにもないのです。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)


April 1142011

 霾天や喪の列長き安部医院

                           福田甲子雄

く俳句に親しんでいる人ならともかく、「霾」という漢字を読める人は少ないだろう。「ばい」と読み(訓読みでは「つちふる」)、句では気象用語でいう「黄砂」のことだ。一般的には黄砂に限らず、広く火山灰なども含めて言うようである。小さな町の名士の葬儀だろう。人望のあったお医者さんらしく、医院兼自宅で行われている葬儀には長い喪の列がつづいている。みんな、一度は故人の診察を受けたことのある人々である。空は折りからの黄砂のせいでどんよりと黄色っぽくなっており、あたり全体にも透き通った感じはない。どことなく黄ばんだ古い写真を思わせる光景である。このときの黄砂は偶然の現象だが、このどんよりした空間から感じられるのは、安部医院の歴史の古さであり、ひいてはこの医院にまつわるときどきの人々が織りなしてきた哀楽のあれこれだ。「霾」という季語を配したことによって、句は時間と空間の絶妙な広がりを持つことになった。作者の手柄は、ここに尽きる。『白根山麓』(1982)所収。(清水哲男)


April 1242011

 蝌蚪に脚生えて楽しくなくなりし

                           中山幸枝

の幼生である蝌蚪は、その姿から一般に「おたまじゃくし」と愛称され、昔から春の小川や池から家に連れてこられてきた。童謡の「おたまじゃくしは蛙の子」に続く歌詞の「やがて手が出る足が出る」とは反対に、まず後ろ脚が出てから前脚が出て、同時進行で尻尾が消えてなくなる。考えてみれば、たいへん大掛かりな変身である。その間、不要になる尻尾を栄養源として吸収し、一切の食料を口にせず、さらに手足が揃い始めれば陸地がなければ生きていけないという。生まれ親しんだ水中にいて、だんだん泳げなくなっていくとは、どれほど心細いことだろうと気を揉むが、少年少女の視線は掲句の通り少しばかり厳しい。愛嬌のある姿からの変化を「楽しくない」と思うのは、いかにも子どもらしく、おたまじゃくしはおたまじゃくしのまま大きくなってほしいのである。小学校低学年のときに牛蛙のおたまじゃくしを見たときの驚愕を覚えている。気持ち悪いなんてちっとも思わず、ただただ「すごい!」と興奮した。脚が生えずにひたすら大きくなるおたまじゃくしもいると、迷わず信じ込んだのだ。〈豆の花幼なじみのままおとな〉〈強力の荷に付いて来る天道虫〉『龍の玉』(2011)所収。(土肥あき子)


April 1342011

 うばぐるま突きはなしたる花吹雪

                           安東次男

東次男はいつも背筋をピンと伸ばして、凛乎とした詩人だった。彼の作品や言動もまたそのような精神に貫かれていた。掲句は、そうした詩精神によって生まれた一句だと言える。「うばぐるま」と「花吹雪」という二物の狭間に打ち込まれた「突きはなしたる」という勁い表現によって、いやが上にも緊張感は増したと言える。赤児が乗せられているうばぐるまは、通常は母親が押しているはずだが、何かの事情で母親がそれを突きはなしてしまったのか、母親がしっかり押しているうばぐるまを、すさまじい花吹雪が突きはなしてしまったのか。――実景であるにせよ、心的現象であるにせよ、ハッとさせる勢いがある。上五、中七、下五、それぞれが押し合うようにして、張りつめた緊張感をくっきり放っている一句である。何ごとかを思いつめた若い母親像が、厳しく立ち上がってくるようである。今さら引用するまでもないだろう、橋本多佳子の「乳母車」の句もそうだが、「乳母車」というものは、俳句に不思議なパワーをもたらすように思われる。映画「戦艦ポチョムキン」のオデッサの階段で、下降する乳母車の有名なシーンを思い出す。既刊の『安東次男全詩全句集』に未収録の俳句と詩を中心に、中村稔が編纂した『流火草堂遺珠』(2009)に収められた。他に「ふるさとの氷柱太しやまたいつ見む」も。(八木忠栄)


April 1442011

 あつ雉子あつ人だちふ目が合うて

                           西野文代

物の雉子にはなかなかお目にかかれないが、名古屋に住んでいたころ、山林を切り崩して宅地を造成している道へ出てきた雉子を見かけたことがある。もちろんそばには近寄れず、遠くから双眼鏡で眺めただけだったが、住み場所を荒らされたあの雉子はどこへ行ったやら。それにしてもこの句、山道かどこかでばったり雉子と鉢合わせをしたのだろうか。「あ、雉子」と声にならない声をあげている人の驚きは勿論のこと、雉子の目にも狼狽の色を読み取っている。こういう出会いは人間からの視点になりがちだけど、目を白黒させている雉子の気持ちになって「あ、人だ」と言わせているのがおかしい。ほんとに雉子は焦っただろうな。仮名遣いの妙を生かして瞬間の情景を生き生きと描き出している。いいなぁこういう句。『それはもう』(2002)所収。(三宅やよい)


April 1542011

 陽炎へばわれに未来のあるごとし

                           安土多架志

るごとしとは、無いということだ。37歳で夭折した多架志の最晩年の句。多架志はキリスト者で、しかも神学部出ということで医者はすべてを告知していたから正確な病状を知り得たのだろう。田川飛旅子には「日が永くなるや未来のあるごとく」もあった。どちらも切実で悲観的だが、ふたりともキリスト者であったので救済を信じれば本来楽観的であるはずなのにと思われ興味深い。ことに多架志の句は明るい陽炎が背景に置かれているので余計に切迫した作者の現状が思われる。『未来』(1984)所収。(今井 聖)


April 1642011

 花人にのぞき見られて花に住む

                           藤木和子

週水曜日に花の散り込む目黒川に沿って歩いた時、川に面したマンションの住人だろう、二階のベランダでお花見をしていた。手の届くところに花の枝が伸びていて、その近景と延々と続く桜並木の遠景は素晴らしいに違いなく、うらやましく見上げたのだった。この句の作者のお住まいは、のぞき見られているのだからマンションではないだろう。庭にみごとな桜の木があるのか、桜並木沿いにお住まいなのか、ともかく花時にはたくさんの人がそのお庭や窓を見ながら通り過ぎる。「観る」視線のまま歩く花人は、花以外もついついじっと見てしまうのかもしれない。この句からは、それを楽しむ余裕と、四季折々の自然の中でのゆったりとした暮らしぶりが感じられる。ちなみに、目黒川沿いのフェンスには近くの小学生が詠んだ俳句を書いた短冊がくくりつけてあった。その中に「春の川ピンクできれいいい季節 高松」という一句があり、そういえばいい季節だということを忘れていたな、とあらためて感じている。『ホトトギス新歳時記』(2010・三省堂)所載。(今井肖子)


April 1742011

 春めくを図形で言へば楕円かな

                           平川 尭

中を歩いていると、見ているだけで胸の奥まですっと気持ち良くなる形があります。かというと、どうもおさまりがつかなくて落ち着かない形もあります。目の前にそびえているビルの形だったり、遠くに浮かんでいる雲の形だったり、レストランの看板の形だったり、何の理由もないのに、なぜか心に影響を与える形が、たしかにあります。でもそれは、単に「ちょっと気になる」というだけのものです。でも、そのちょっと気になるものに、一日中心がとらわれてしまうことだって、あるわけです。今日の句、春めくを楕円と感じるのは、個人的な感覚と言うよりも、だれでもが持つ共通の感じ方なのかもしれません。楕円の、長い方のひろがりに、ホッとしたものが入っていると感じられるからです。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)


April 1842011

 茅花抜く遠きひかりの中にいて

                           早川三千代

かしい情景だ。子供の頃、よく茅花(つばな)を抜いて食べていた。それも、片手に握れるだけたくさん抜こうと、要するに風流心のかけらもなく、食い気一本で春の野を這えずりまわったものだった。茅花はチガヤの花のことだが、若い花穂は綿のようにやわらかくて、少し甘い味がする。この句の作者が抜いているのは、もう少し成長してからのものだろう。むろん食い気からなどではなくて、その美しい銀白色の花を愛でるためである。おだやかな春の日差しをあびながら、一本か二本くらいをすっと抜いてみている。そしてその日差しは、実は遠い過去のものである。「遠きひかり」のなかでは、作者の姿がシルエットのように浮かび上がっており、もはや夢とも現とも分かちがたい情景だ。類句はありそうだが、いかにも俳句らしい詠みぶりの心休まる一句だと思った。『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


April 1942011

 うららかやカレーを積んで宇宙船

                           浅見 百

治4年に西洋料理としてお目見えしたカレーは、なにより白米に合うことが日本への定着に拍車をかけた。俳句にも〈新幹線待つ春愁のカツカレー〉吉田汀史、〈カレー喰ふ夏の眼をみひらきつ〉涌井紀夫 、〈秋風やカレー一鍋すぐに空〉辻桃子 、〈女正月印度カレーを欲しけり〉小島千架子、と四季を問わず登場する。そして今、国際宇宙ステーションにまで持ち込まれるという。JAXA(宇宙航空研究開発機構)で販売されている「宇宙食カレー」にはビーフ、ポーク、チキンと3種揃っているという。日本人の好物を調べた結果を見ると、どの世代にもラーメンとカレーが上位を占める。どちらも独自の進化をとげて日本の日常に溶け込んできた。あるときは家族に囲まれ、あるいはひとり夜中に、あらゆる人生の場面で顔を出してきた普段の食べ物が、ハレの日に食べてきた寿司や鰻を上回る票数を得て、好物としてあげられているのだ。成層圏を超えていく宇宙船に積まれているのが、普段の食事であるカレーだからこそ、思わず笑顔がこぼれるのである。『それからの私』(2011)所収。(土肥あき子)


April 2042011

 万緑も人の情も身に染みて

                           江國 滋

道癌の告知を受け、闘病生活をおくった滋が遺した句集『癌め』はよく知られている。掲句は全部で五四五句収められたうちの一句。この一冊には、おのれの癌と向き合うさまざまに屈折した句が収められている。「死神にあかんべえして四月馬鹿」「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」などの諧謔的な句にくらべると、掲句は神妙なひびきをたたえている。そこにじつは滋の資質の一端をのぞき見ることができるように思われる。中七以下には、俳句としての特筆すべき要素はないと言っていいけれど、「万緑」とのとり合わせや、その「身」のことを思えば、おのずと深い味わいがにじみ出てくる。詞書に「払暁目が覚め、眠れぬまま、退院後の快気祝ひに添へる句をぼんやり考へる」とあり、「4月19日」の日付がある。当人は「快気祝ひ」を「考へ」(ようとし)ていたということ、また果敢に秋の酒を「酌みかはさう」とも考えていたということ。そのようにおのれを鼓舞するがごとく詠んだ作者の心には、ずっしりと重たい覚悟のようなものがあったと思われる。滋(俳号:酔滋郎)は「おい癌め…」を詠んだ二日後の8月10日についに力尽きた。万緑の句と言えば、草田男の他に上田五千石の「万緑や死は一弾を以て足る」もよく知られている秀句である。『癌め』(1997)所収。(八木忠栄)


April 2142011

 ことば呼ぶ大きな耳や春の空

                           小川軽舟

は閉じれば嫌なものを見なくてすむ。鼻は息をつめればある程度匂いを遮断できる。口を閉じれば話さなくてすむ。なのに耳だけは自分の意思で塞ぐことはできない。ほかの器官がだめになっても耳だけは最期の最期まで機能しているとどこかで聞いたことがある。掲句での「大きな」は耳自体の大きさをあらわすだけでなく、よく人の話しを聞く賢い耳なのだろう。人に語らせる力を持つ耳。人を動かすのは気のきいた言葉や雄弁さではなく、相手の語る言葉の真意がどこにあるのか注意深く聞きわける力かもしれない。そう思ってみても簡単には「大きな耳」の持ち主になれるわけもなく、そんな耳を持つ人に憧れるばかりである。そんな耳の持ち主は和やかな春の空に似通っていて、語る人を包み込む優しさを持っているのだろう。『新撰21』(2010)所収。(三宅やよい)


April 2242011

 パチンコをして白魚の潮待ちす

                           波多野爽波

常の中のあらゆる瞬間に「詩」が転がっている。「私」の個人的な事情をわがままに詠えばいいのだ。素材を選ばず、古い情緒におもねらず、「常識」に譲歩せず、そのときその瞬間の「今」を切り取ること。爽波俳句はそんなことを教えてくれる。悩んでいるとき迷っているとき、その人に会って談笑するだけで心が展けてくる。そんな人がいる。これでいいのだ、それで大丈夫だと口に出さずとも感じさせてくれる人物がいる。爽波俳句はそんな俳句だ。これでいいのだ。『骰子』(1986)所収。(今井 聖)


April 2342011

 春の風邪髪の微熱を梳る

                           淡海うたひ

こうしてキーボードを叩いている指先がひんやりしている。寒暖の差が大きいというか麗らかな日が少ない今年、風邪なのか花粉症なのかわからないと言っている知人も多い。春の風邪は、冬から春へ季節の変わり目に詠まれることが多いが、いずれにしてもいつまでもすっきりしないものだ。子供の頃から、なんとなく熱が出そうと思うと、まずぼんのくぼあたりの髪をひっぱってみる。熱が出る前は、強くひっぱらなくても引きつったような変な痛みが走るのだ。頭から風邪を引く、ということか。髪の毛自体はもちろん微熱を帯びることはないはずだけれど、首から上がうっとおしく霞がかかったような風邪心地が、ゆっくりと梳る手の動きと共に滲み出ている一句である。『危険水位』(2010)所収。(今井肖子)


April 2442011

 さまざまのこと思ひ出す桜かな

                           松尾芭蕉

者が松尾芭蕉なのだから、この句はずいぶん昔に詠まれたものです。それでもと、わたしは思うのです。もしかしたらこの句は、今、この年の春に読まれるために作られたのではないのかと。100人以上の震災孤児と、一万人を超す水死者という事実に、いまだにわたしの思考は止まったままです。それにしても、桜が咲いたことにこれほど無頓着だった年を、経験したことがありません。ああ咲いているなと思い、でも思いはすぐに、もっと大切なことに移ってゆきます。できることならいつの日にか、あたりまえのなんでもない春の中で、無心に桜の花を見上げたいと願うのです。『日本名句集成』(1991・学燈社)所載。(松下育男)


April 2542011

 東京の石神井恋し柳の芽

                           清水淑子

春の句だ。石神井(しゃくじい・東京都練馬区)には、若い頃にしばらく住んでいたことがある。作者もそうだったのだろろう。昔もいまも、殺風景としか言いようの無い町だ。町の中心がどこなのか判然としないし、象徴的な建築物も無い。ただ漫然と住宅地が展開している町のなかで、唯一の名所と言えば石神井公園である。園内には石神井池・三宝寺池があり、井の頭池・善福寺池と並び武蔵野三大湧水池として知られている。柳の木も池畔に群生していて、芽吹きから新緑の頃の情景は文句なしに美しい。もはや遠くの地に去った作者は、近傍の芽吹きを目にして、不意に若き日の石神井公園を思い出し、ふるいつきたいような懐かしさを覚えている。何の技巧もない句だけれど、それがかえって読者にも作者の心情を直截に伝える効果をあげている。「恋し」という言葉が嫌みなく使われている。また、対象が石神井の名も無い柳だからこそ生きてくる句であり、これがたとえば有名な銀座の柳だったらこうは詠めない。『炎環 新季語選』(2003・紅書房)所載。(清水哲男)


April 2642011

 ふらここの漕がれていづこにも行けず

                           小室美穂

句を読んでふと疑問に思った。ぶらんこは一生に何度漕がれているのだろうか。日都産業調べによると耐用年数は吊金具5年、吊鎖7年、座板3〜5年程度とあった。ぶらんこの命ともいえる吊鎖を寿命として7年の生涯と考えてみた。漕がれる回数は、「ノンタンぶらんこのせて」を参考にする。ノンタンの近所にある公園のぶらんこは人気があって友達がたちまち順番待ちの列を作る。ノンタンは「10まで数えたら順番かわるよ」と言うので、ひとり10回。それを順番に3度くらい並び直すとして、ひとり30回。順番待ちする顔ぶれは、ウサギ×3、クマ、ぶた、たぬき。ノンタンを含め計7名並んでいる。これを平日毎日乗って7年間で計算すると、382,200回漕がれることになる。もし、漕ぐたびに1m進んでいたとすると382kmであり。これは東京から大阪あたりまで行ける。だからどうしたと言われればそれまでだが、「漕ぐ」とは自転車でもボートでも前に進むことをいうのに、ぶらんこだけは進めないと気づいた作者の気持ちが愉快で、ちょっぴり切ない。ぶらんこは今日も進んだ分だけ戻って、もとの場所に吊られている。〈髪洗ひ上げて華奢なる鎖骨かな〉〈一生をガラスに曝し老金魚〉『そらみみ』(2011)所収。(土肥あき子)


April 2742011

 椎若葉楓若葉も故園かな

                           円地文子

や楓にかぎらず、すがすがしい若葉の季節である。季節が生まれかわり、自然だけでなく身のまわりのものすべてが息づく季節でもある。「故園」という呼び方は古いけれど、「故郷/ふるさと」を意味する。人工的な要素がまだ加わらないままの姿が残されているふるさと、というニュアンスが感じられる。破壊の手がまだ及んでいないふるさとで、椎や楓その他がいっせいに若葉を広げつつあったのだろう。この時季、いろいろな植物の若葉が詠まれる。季語には「山若葉」「谷若葉」「森若葉」など、場所をあらわす若葉もある。また若葉の頃の天候を「若葉晴れ」とも呼ぶそうだ。文子は東京生まれで、かつて「国語学者・上田万年の次女」という紹介のされ方をよくされた時代があった。けれども、今や上田万年も遠い存在になってしまったし、女流作家・円地文子を知らない人さえ少なくない。文子が残した俳句は少ないが、女流作家のなかでも、網野菊、中里恒子、森田たま、吉屋信子たちは多くの俳句を詠んだ。なかでも、信子は本格的に俳句を作り、「ホトトギス」にも加わったことがあった。文子には他に「のびたたぬ萩のトンネル潜りいづ」がある。室生犀星の「わらんべの洟もわかばを映しけり」は忘れがたく可愛い。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


April 2842011

 鷺草の鉢にサギ子と札を立て

                           榎本 享

草は花が鷺の飛ぶ姿に似ていることからこの名が付けられたという。写真で検索してみると、なるほどちっちゃな鷺が思い思いの方向へ羽根を広げて飛んでいるようで可愛らしい。鉢植えでもよく育つとあるから、花が咲いてくれますようにと願いをこめて札を立てているのだろう。「サギ子」と書くことで、鉢植えを子供のようにいとおしむ気持ちがユーモラスに表現されていて楽しい。当たり前になりがちな行為に言葉のスパイスを加えることでぽかっと風穴が開いたようだ。日々の営みに慣れ切ってしまうと感受性もついつい固くなる。単調になりがちな気分をほぐしつつふっと楽しくなる言葉や思いつきを俳句に詠む。読む側も思わず微笑んで気持ちが軽くなる。そんな明るい循環が俳句にはあるようだ。サギ子の鉢にたくさんの鷺が飛ぶといいですね。『抽斗』(2005)所収。(三宅やよい)


April 2942011

 やさしさは宙下りかゝる揚羽蝶

                           山口誓子

さしさというものは高みから下降にさしかかったときの揚羽蝶のようなものだという直喩。下降のときの羽の感じや姿態や速度、それらが「やさしさ」そのものだと言っている。同じ作者に「やさしさは殻透くばかり蝸牛」がある。誓子考案の型である。どっちがいいかな。甲乙つけがたい。二句とも小さな生き物に対する愛情に満ちている。それでいて季節の本意を狙った「らしさ」はどこにもない。類型感はまったく無いのだ。構成の誓子と言われる。即物非情とも言われる誓子にはこんな情の句もある。『遠星』(1945)所収。(今井 聖)


April 3042011

 この国の未知には触れず春惜む

                           竹下陶子

知という言葉はその時の心持ち如何で、希望にあふれているようにも不安で一杯のようにも感じられる。今、この国の未知、と読むとどうしても後者の気分が勝ちそうだが、この句が詠まれたのは、昭和五十八年。日本海中部地震があった年だが、地震が起きたのは五月二十六日なので、春惜む、より後のこと。まあいつの世でも、安心立命の境地にはなかなか至ることができない。ただ、国の先行きを憂うというより、未知という言葉に可能性を残しながら、さらにそれにはあえて触れることなく、今は春を惜しんでいる作者。このいい季節が、来年もまた巡ってくるようにと、勢いを増す緑の中で願っているのだろう。『竹下陶子句集』(2011)所収。(今井肖子)




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