午後。各自勝手に花を見た後で飲み屋に集合という画期的な花見。(哲




2011N42句(前日までの二句を含む)

April 0242011

 初花となりて力のゆるみたる

                           成瀬正俊

の時期、ソメイヨシノを見上げて立ち止まること幾たびか。花を待つ気持ちが初花を探している。今にも紅をほどかんとしているたくさんの蕾を間近でじっと見ているとぞわぞわしてくるが、それは黒々とした幹が溜めている大地の力を感じるからかもしれない。初花、初桜は、青空に近い枝先のほころびを逆光の中に見つけることが多い。うすうすと日に透ける二、三輪の花は、まさにほっとゆるんだようにも見える。そしてほどけた瞬間から、花は散るのを待つ静かな存在になる。蕾が持っていた力は一花一花を包みながら、やがて満開の桜に漲っていく。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


April 0142011

 ふるさとの春暁にある厠かな

                           中村草田男

のところを三音の空欄にしたら、おそらくすべての俳人はふるさとの春暁にふさわしい情緒的な語句を入れるだろうな。厠なんて絶対出てこない。これは草田男の才能そのものだ。だいたい厠がふるさとの情感と合うわけがないと我らは思う。思う以前にそんな出会いを思いつきもしない。生まれ交わり産み死んでいく人間の原初の営みを強く肯定するからこそ厠を聖なる営みの場所として捉えられる。上句の情緒が下句で一転して「哲学」に到る。俳句はここまで言える。『長子』(1936)所収。(今井 聖)


March 3132011

 白すみれ關西へゆくやさしさよ

                           新妻 博

こ10年東京に住んでいるが話すときある種の緊張感がつきまとう。関西に戻り家族や友人と会話して初めて身体の底にある土地の言葉が自由に躍動する感じがする。新幹線を降りて在来線に乗り換え、関西弁のざわめきに包まれるとほっとする。「そやねえ」「ほんまに」と語尾の柔らかさに故郷の心地よさを感じる。関西生れの私にとっては「関西へゆくやさしさ」はそのような体験と重なるが作者にとって「やさしさ」を感じるのはどんな時なのだろう。可憐な「白すみれ」を配合に持ってきているぐらいだから彼の地にはんなりと明るいイメージを抱いているのだろうか。では関西を関東に置き換えるならどうなるだろう。そしてそれにふさわしい花は?句を眺めながらしばし考えている『立棺都市』(1995)所収。(三宅やよい)




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