首都圏でも地震被害多数。独居老人宅などの点検は不可欠だ。(哲




2011N49句(前日までの二句を含む)

April 0942011

 白樺に吊すぶらんこ濡れやすく

                           田丸千種

供達が風の中思いきりぶらんこを漕ぐ、という図はいかにも春。ぶらんこは、中国の行事が元になって春に分類されているというが、そこには春風が心地よく吹いている。しかしこの句のぶらんこは、静かに白樺林の中にある。木で作られ少し傾いたぶらんこ、夏の間だけ誰かを楽しませるために、そこで一年の大半をぼんやりぶらさがって過ごしている、そんな避暑地の別荘の風景のようにも思える。濡れやすく、という少し主観の入った言葉によってぶらんこが、なんとなく親しく優しい存在になってくる。俳句同人誌「YUKI」(2011年春号)所載。(今井肖子)


April 0842011

 木の芽時食べて心配ばかりして

                           室田洋子

の芽時というのは人生の時間つまりは青春性の象徴。食べて心配ばかりしているのは人間の象徴と解するとわかり易い句になる。食べた、心配した、死んだ。と墓碑銘に刻んであったとしたら、その死者は自分だと大多数の人は思うことだろう。そういえば杞憂なんて言葉もあった。『まひるの食卓』(2009)所収。(今井 聖)


April 0742011

 蝶とべり飛べよとおもふ掌の菫

                           三橋鷹女

れまで短歌に親しんでいた鷹女の処女作。戯れに摘み取った手の中の菫がやがてはしおれてしまうことに哀れさを感じたのか、ひらひらと舞う蝶のように飛んでおくれ、と願う気持ちが初々しい。「おもふ」と、自分の気持ちを直截的に盛り込む強さが最期まで自分の感情を大切にした作者らしい。鷹女は昭和四十七年四月七日に亡くなった。その日は満開の桜のころであったが「花冷えなどというにはあまりに底冷えのする寒さであった」と中村苑子が書いている。鷹女最期の句は「寒満月こぶしをひらく赤ん坊」だった。消えてゆく命が、月の光に誘われて握りしめたこぶしを徐々にひらく赤ん坊の生命力に呼応したのだろうか。摘み取った掌の菫から、ひらかれゆく赤子のこぶしまで、四十五年の歳月を俳句に打ち込んだ鷹女だった。(三宅やよい)




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