週末は久留米行き。昨年は下関の旧友を尋ねたが今年はスルー。(哲




2011N510句(前日までの二句を含む)

May 1052011

 愛鳥週間拾ひし羽根を栞とす

                           齋藤もとじ

日から始まる愛鳥週間。アメリカ4月10日から始まる「バードデー」にならって日本でも1947年に導入されたが、南北に長い日本では4月ではまだ積雪が残る地域もあることから5月10日に変更された経緯がある。小鳥をとりまく生態系を含め守っていこうという愛鳥意識を高めることが目的だというが、日本人は昔から鳥に対して、ほかの動物とは違った深い愛情を注いできたと思う。たとえば、鳥の声の「聞做(ききなし)」などにも親近感が表れている。聞做は、鳥の声の調子や音色を身近な言葉に置き換えたもので、ホトトギスの「東京特許許可局」「てっぺんかけたか」、ツバメの「土食って渋ーい」、コジュケイの「ちょっと来い」などが有名である。ほかにも昔話の「雀のお宿」にしても、雀が女中さんに扮していても、嫌悪感を感じることはまずなく、雀なら可愛い仲居さんになれそうな気がする、とたやすく想像できる。掲句も、羽根ペンに使うような美しい羽根を見つけた作者が、躊躇なく手持ちの本に挟んで持ち帰ったことに多いに共感するのである。以前、わたしも落ちていた小さな羽根を押し花のように本に挟んでいた。意外だったのはいつまでたってもその頁を開くたびに、ふわっと羽根のかたちがよみがえることだった。ふわふわと風に乗っていきそうな羽根を見るたびに、このしなやかな羽根の持ち主が、今もどこかでにぎやかにさえずっている姿を思うのだ。「続氷室歳時記」(2007)所載。(土肥あき子)


May 0952011

 父祖の地の青き嵐も売り渡す

                           関根誠子

情があって、先祖代々伝わってきた父祖の地を売却した。青葉若葉の季節で、折りから気持ちの良い風も吹いている。私にこういう経験はないけれど、土地を売却するのはなかなかに勇気のいることだろう。もう不要だからとは思っても、いざとなると愛着がいっそう増してくるからだ。父祖の土地を売るとは、単に地面を売ることではない。地面とともにそこに染みついた家の歴史や環境までをまるごと手放すことだからだ。できればこの「青い嵐」くらいはとっておきたい気持ちだけれど、むろんそうは行かない。だから、この「青い嵐も」の「も」という表現には、決心の強さといささかの逡巡の気持ちが入り交じっている。表面的にはサバサバしている感じの句だが、この「も」が作者の微妙に揺れる心持ちを表していると読んだ。『浮力』(2011)所収。(清水哲男)


May 0852011

 人々に四つ角ひろき薄暑かな

                           中村草田男

の句にどうして惹かれるかと言うと、つまるところ「ひろき」の一語なのかなと思います。うつむいて歩いていて、ふと目をあげた先に、思いもよらぬ広い交差点があった。それだけのことでも、ああ生きているなと感動できるわけです。そういえば勤め人をしているときには、電車に乗ることは、会社のある渋谷駅に向かうことでした。さて定年になり、もう会社に行かなくてもいいんだと思ったある日、駅のホームで電車を見たときに、身の震えるような「ひろさ」を感じました。逆方向にも電車は走っていて、乗りたいと思えば乗ってもかまわないのだと思ったのです。生きる喜びって、そんなに複雑なものではないのだなと、あらためて実感しました。鬱屈した日々の街角でも、ちょっと曲がった先には広々とした四つ角が待っているのだと、信じて生きてゆきたいと、思っているのです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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