ム知q句

June 2662011

 悲しみの席にビールのある事も

                           岡林知世子

句の世界とは違って、現代詩には、吟行をするということがありません。詩というものは、若いころからずっと一人で、隠れるようにして書き続けるものです。だから著名な詩人の名前を知ってはいても、実際に会う機会などめったにありません。僕が二十代後半の頃、ということはもう三十年以上も昔のこと。詩の賞の、誰かの受賞式の帰りでもあったのか、夜遅く、新宿の広い喫茶店に詩人たちが集団で入ってゆきました。僕のいたテーブル席には、同世代の若い詩人たちがいて、話すこともなく静かにコーヒーを飲んでいました。そのうちに一人が、遠くの席を指さして、「あそこに、清水昶がいるよ」と言いました。「えっ」と、僕は思って、薄暗い喫茶店で、かなり距離もあり、その姿ははっきりとは見えませんでしたが、それでも当時、夢中になって読んでいた詩人がそこに本当にいるのだということに、胸が震えていました。幾度読んでも飽きることのない喩の力、というものが確かにあるのだと、教えてくれた詩人でした。「悲しみの席」とは、なんとつらい日本語かと、思わずにはいられません。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)




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