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August 0282011

 心太足遊ばせて食べにけり

                           佐藤ゆき子

透明のトコロテンがガラスの器におさまっている様子は、かたわらに添えられているものが酢醤油と練り辛子であっても、黒蜜ときな粉であっても絵になる涼しさである。天突きで頭を揃えて出てくるかたちにも似て、するするっと胃の腑に落ちれば、酷暑にへこたれている身体もしゃんとするのではないか。ではないか、と憶測するのは、個人的には苦手なのだ。しかし、他人が食べているのを見ていると、なんとも美味しそうに思えるのだから不思議だ。あまりにも美味しそうに見えて、何年かに一度は、一本くらいもらったりするのだが、やはり口にすれば苦手を再認識するばかりである。あるとき、心太を前にした母が「つわりの時でさえ、これだけは食べることができて三食ずっと食べてた」とつぶやいた。わたしの誕生日は10月である。その前の数カ月、母はひたすらこればかりを摂取していたのだ。医学的に立証されなくても、きっとここに原因があるのだと思う。来る日も来る日も心太ばかりで、わたしはもうじゅうぶん食べ過ぎたのだ。とはいえ、透明感と涼感に溢れる食べ物であることには間違いない。掲句の「足を遊ばせる」とは、縁側や、やや高い椅子などに腰掛けて、足を揺らす動作だが、心太が収まっていく身体が喜んでいるようにも思える。〈尺蠖に白紙のページ這はれをり〉〈卓上が海へと続き夏料理〉『遠き声』(2011)所収。(土肥あき子)




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