hihEL[句

October 11102011

 罪なくも流されたしや佐渡の月

                           ドナルド・キーン

本文学研究の第一人者として知られるキーンさんが架け橋となり、ロンドン大英博物館で1962年に発見された説経浄瑠璃「越後國柏崎弘知法印御伝記」が300年ぶりに復活した。掲句は、繰り返し新潟へ足を運んだおりに出来たものだと、酒席でさらさらと書かれた一句である。普段俳句は作らないが、佐渡を見たときに胸に湧いた言葉は紛れもなく俳句であったという。このほど日本国籍を取得し、日本を人生最後の旅先と決めた。数年前、東京で地下鉄の駅の行き方を尋ねられたことがとても嬉しかったという。日本のなかで、外人ではなくただの人間になれた、と。年齢を重ねると顔立ちは国柄より人柄を放つようになる。東京の地下鉄で途方に暮れた女性にとって、キーンさんはひとりの優しそうな男性だったのだろう。今宵の月齢は13.7、天心に輝くのは23時。きっと日本のどこかで、ただの人間として美しい10月の月を眺めていることだろう。(土肥あき子)


July 1072013

 天の川の水をくみきて茶の湯かな

                           有吉佐和子

夕は過ぎてしまったけれど、天の川が消え去ったわけではないから、七夕句会で詠まれた一句を取りあげる。佐和子が元気な(活発な人だった)頃のある年、佐和子邸で「七夕の茶会」なるものが催された。ドナルド・キーン、加東大介、他らと一緒に招かれた車谷弘が、その時の様子を書いている。お茶席の床の間に掲げられた掛軸は、天の川にちなんだ勝海舟の書で、佐和子のお点前による濃茶が振る舞われた。やがて「句会をやりましょう」ということになり、掛軸は漱石の俳句のものに替えられた。花瓶の花も漱石にちなんで、「猫のひげ」に替えられるという趣向。掲句はその席での一句。「天の川の水」はさらりとしゃれていて趣があるではないか。「あけ放した二階座敷から、仄明るく、雨気をふくんだ夜空がひろがり、夜ふけの感じが濃くなっていた。散会したのは十一時近く」と車谷弘は書いている。茶会と句会のダブル・ヘッダーとは、なかなかおしゃれである。「天の川」は秋の季語だが、七夕に作られた句ということでここに紹介した。佐和子はどれくらい俳句を嗜んだのだろうか。その席でキーンさんは「文月や筆のかわりに猫のひげ」と詠んだ。車谷弘『わが俳句交遊記』(1976)所載。(八木忠栄)




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