J句

October 12102011

 天高し天使の悲鳴呑みこんで

                           小長谷清実

格的な秋は空気も澄みきって、空が一段と高く感じられる。季語では「秋高し」「空高し」とも。晴ればれとして感じられる気候だというのに、ここではいきなり「天使の悲鳴」である。それはいかなる「悲鳴」なのか詳らかにしないが、天が高く感じられる時節であるだけに、空に大きく反響せんばかりの「悲鳴」には、何やら尋常ならざるものがひそんでいることは言うまでもない。天使が悲鳴をあげるなんて、よほど悲劇的状況なのであろう。しかも高く感じられる秋の天が「天使の悲鳴」を「呑みこんで」いるゆえに、空がいっそう高く感じられるというのである。穏やかではない。この句はずっと以前に作られたものだけれど、私は今年三月の東日本大震災を想起せずにいられなかった。人間や自然のみならず、天使さえもが凍るような悲鳴をあげ、それを本来晴ればれとしているはずの秋天が、丸ごと呑みこむしかなかった。いや、「なかった」と過去形で語って済ますことは、今もってできない。晴ればれとした秋も「天高し」であるだけに、呑みこまれた「悲鳴」は天空や地上から容易に消えることなく、より重たく感じられてくる。それゆえに天も、いつになく高く高く感じられる。清実には、他に「田楽やことに当地の味噌談義」という彼らしい句もある。「OLD STATION」14号(2008)所載。(八木忠栄)




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