今宵は、読者投稿を主体とする雑誌「抒情文芸」の35周年記念会。(哲つ




2011N1022句(前日までの二句を含む)

October 22102011

 走るやうに父は老いたり花薄荷

                           苑 実耶

がしぶる父を連れて病院へ行ったのは、二年前の十月一日。翌日入院してから、あれほどしっかりしていた頭も含め、全身がぐんと衰えていった。それはさびしいことではあったが、冷静に自分の病状を自己診断したりすることもなくなり、喉が渇いたとか、少し寒いとか、その刹那のことだけを考えるようになっていった。亡くなるまでの病院通いは、十一月二十日まで五十日間。この時期になると、駅のホームで風の音をぼんやりと聞いていたことなど思い出す。そういえば、何十年も走ることなどなかった父だったが、まさに最後の数ヶ月は、走るやうに、終わってしまった。薄荷の花のうすむらさきの香りの透明感が、すこし悲しいけれど静かだったその時の気持ちに寄り添うようで、きっと来年の今頃もこの句を思い出すだろうな、と思っている。『大河』(2011)所収。(今井肖子)


October 21102011

 俯きて鳴く蟋蟀のこと思ふ

                           山口誓子

わゆる俳句的情緒を諷詠する精神に欠けているのは自分を見つめる態度がおろそかになること。悲しいだのうれしいだのきれいだの、そんな形容が俳句にタブーであることの理由はよくわかる。観念的、主観的、説明的な語句が如何に饒舌で、この短詩形に不適合であるかも納得がいく。しかし、だからといって諷詠する「私」自身への内省を怠ってはいけない。それは表現の根幹に関ることだ。蟋蟀を聞いている。鳴いている蟋蟀が俯いていると思うのは自己投影だ。こういう内省があって、そこに個人も時代も映し出される。今では技術的なオチとして、あるいはちょっとしたダンディズムのように語られる風狂だの洒脱だの飄逸だのという精神も、本来は捨身の生き方から生まれたのではなかったか。「俯きて」が俳句という詩の核心だ。『激浪』(1944)所収。(今井 聖)


October 20102011

 凶作や日に六本のバスダイヤ

                           小豆澤裕子

作というと太宰治の『津軽』を思い出す。郷土史家の友人を訪ねて津軽地域の年表を広げるシーンで、三百三十年間の米の出来具合の記録が転載されており、四ページにわたって凶・中凶・大凶の文字が連なる悲惨に息をのんだ。凶作の年には草の根を食べ、間引きし、娘を売り払いながら土地を守ってきたのだろう。「凶作」という言葉には辛酸な歴史が畳みこまれている。今年の米の実りはよくとも、原発事故の影響もあり東北地方の農家は凶作の年と同じように心細い思いをしているのではないか。ところで掲句の場所はどのあたりだろう。1日にバスが6本しかなく、夕方になると早々と運行が終ってしまう、過疎化した土地での暮らしが思われる。そうした場所で凶作とはどれだけしんどいことか。作者は通りがかりの旅人の視線からそこに暮らす人々の暮らしへ思いをはせて空白の多いバスの時刻表を、停留所の背後に広がる田畑を見つめている。『右目』(2010)所収。(三宅やよい)




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