蝠年句

December 05122011

 すぐ驚く老人が好き冬青空

                           大部哲也

持ちの良い句である。意表を突かれた。言われてみれば、なるほどと納得できる。こういう価値基準と言おうか、人の見方もあったのだ。むろん「すぐに驚く」とは一種の比喩でもあって、その他何事につけても反応がビビットであるという意味あいが込められている。見回してみると、数は少ないが、こういう老人はたしかに存在する。いつまでも子供のような好奇心を持ちつづけているからだろうが、好奇心の持続には、何か特別な秘訣でもあるのだろうか。私などはめったに驚かなくなってきているから、句の老人にちょっとジェラシーを感じてしまった。そして「冬青空」との取り合わせには、けれん味が無くて主題にふさわしい季語だと、好感が持てる。読者から言えば、こういう発想が素直に出てくる作者をもまた「好きだなあ」ということになりそうだ。『遠雷』(2011)所収。(清水哲男)


February 0222012

 不景気が普通になりて冬木の芽

                           大部哲也

ブルの頃は都会から遥か離れたところに住んでいたのでお祭り騒ぎのような景気の良さとは無縁だった。それでも仕事が無い、物が売れないといった不平不満を周囲で聞いたことはなかったし、今日より明日、頑張れば給料は増えるといった楽観論が巷にあふれていた。それから二〇数年、不良債権、株価低迷、リーマンショック、欧米危機と、明日にも経済が破綻するかのような脅しをたえず受け続けている気がする。物は溢れているのにこの不安感の正体は何なのだろう。掲句では連続する「ふ」の頭韻が不景気な世の中冬木の芽をうまく照応させている。気象協会の本によると、一日の平均気温が五度から六度を上回ると冬眠をしていた落葉樹の枝先へ水分や養分が運ばれ冬芽が膨らみ始めるという。暦のうえでは立春だけど、世間はずいぶんと長い冬だ。春は来るのだろうか。『遠雷』(2011)所収。(三宅やよい)




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