ac遘柢句

January 2712012

 今生に子は無し覗く寒牡丹

                           鍵和田秞子

者五十歳の作。子が無いという思いについての男と女の気持には違いがあるだろう。跡継ぎがいないとか自分の血脈が途絶えるとか、男は観念的な思いを抱くのに比して女性は自分が産める性なのにというところに帰着していくような気がする。そんな気がするだけで異性の思いについては確信はないが。同じ作者に「身のどこか子を欲りつづけ青葉風」。こちらは二十代後半の作。「身のどこか」という表現に自分の本能を意識しているところが感じられる。「覗く」はどうしてだろう。この動詞の必然性を作者はどう意図したのだろう。見事な寒牡丹を、自分の喪失感の空白に据えてやや距離を置いて見ている。そんな「覗く」だろうか。『自註現代俳句シリーズV期11鍵和田釉子集』(1989)所収。(今井 聖)

お断り】作者名、正しくは「禾(のぎへん)」に「由」です。


November 18112012

 犬より荒き少年の息冬すみれ

                           鍵和田秞子

七五の荒い息づかいが、冬すみれにふりかかっています。動物の吐く息を、冬すみれが浄化しているようです。朝か、夕方か、犬と少年か、少年だけか。犬と少年が、全速力で走って走って二筋の吐く息が冬すみれにかかっている。それは、紫に白い二筋の雲が流れているように情景的です。もう一つ。少年だけならば、走って走って走り抜いて、一頭の犬以上になって荒く深く濃い息を冬すみれの紫に吐いている。これもありえます。犬と少年を読みとる人、少年だけを読みとる人、それぞれですが、作者はどうなのでしょう。犬と少年の世界なら親和的ですし、少年だけなら、この少年は、ヒトであることを突き抜けて生き物としての息を冬すみれに乞うている姿のようにも見えてきます。走って走って走り尽くすと、腹がへる前に息が足りなくなる。冬すみれの紫を、動物に息を与える植物の象徴として読むと、そのたたずまいのけなげさがいとおしくなります。「四季花ごよみ・冬」(1988・講談社)所載。(小笠原高志)

お断り】作者名、正しくは「禾(のぎへん)」に「由」です。


October 21102013

 貧しさの戦後の色よ紫蘇畑

                           鍵和田秞子

きごろ亡くなった漫画家のやなせたかしが、こんなことを書き残している。「内地に残っていた銃後の国民のほうがよほどつらい目を見ている。たとえ、戦火に逢わなかったとしても飢えに苦しんでいる」(「アンパンマンの遺書」)。掲句の作者は、敗戦当時十三歳。別の句に「黍畑戦中の飢え忘れ得ぬ」とあるように、戦後七十年近くを経ても、いまなお飢えの記憶は鮮明なのである。当時七歳でしかなかった私などでも、飢えの記憶はときおり恨み言のようによみがえってくる。この句のユニークさは、そんな飢えに代表される貧しさを、「色」で表現している点だろう。通りかかった一面の紫蘇畑を見て、ああこの色こそが「戦後の色」と言うにふさわしいと思えたのだった。紫蘇は赤紫蘇だ。焼け跡のいずこを眺めても、まず目に入ってくるのは瑞々しさを欠いた紫蘇の葉のような色だった。他にも目立つ「色」はなかったかと思い出してみたが、思い浮かばない。埃まみれの赤茶けた色。憎むべき、しかしどこにも憎しみをぶつけようのない乾いた死の色であった。「WEP俳句通信」(76号・2013年10月刊)所載。(清水哲男)


September 0992014

 良夜かな鱏の親子の舞ひ衣

                           鍵和田秞子

日が十五夜だったが、満月は今日。正確にいうと満月は午前10時38分の月なので、昨夜も、今夜もほとんど満月という状態ではある。鱏はひらべったい菱形の体に長い尾を持ち、波打つように泳ぐ。そのなかでも最大のオニイトマキエイは、ダイバーたちの憧れの生きものである。マンタとも呼ばれるオニイトマキエイは、青い海をひらひらとはばたくように泳ぐ。マンタは一列に連なって移動することもあり、それはまるで海中の渡り鳥のような美しさである。大きな月が海を照らせば、竜宮城までその明るい光りが届いていることだろう。ヒラメより断然迫力のある鱏の舞いが披露されているかもしれない。〈記憶から記憶へ紅葉始りぬ〉〈かなしみは眠りを誘ふ黒葡萄〉『濤無限』(2014)所収。(土肥あき子)




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