ヨ好句

February 1222012

 これ以上進まぬ二人蜜柑むく

                           関根優光

滞している二人がいて、二人しかいなくて、言葉も尽きて、目も合わせられず、手もちぶさたにやおら蜜柑を手にとり、男は少しもてあそんでからむき、女はちらりと男を見てから蜜柑をとりむく。もし、この句がこの情景を詠んでいるならば、男に脈がある。がんばれ男。停滞している二人がいて、二人しかいなくて、言葉も尽きて、目も合わせられず、手もちぶさたにやおら蜜柑を手にとり、女は少しもてあそんでからむき、男はちらりと女を見てから蜜柑をとりむく。もし、この句が、この情景を詠んでいるならば、女に脈がある。がんばれ女。けれども、二人、脈絡もなく蜜柑をむいているならば、互いに脈はないのかもしれない。作者関根優光さんは、昨年喜寿を迎えられた俳友で、成蹊高校時代に は同校教諭・中村草田男の薫陶(くんとう)を受けた。掲句は、今年1月21日、「蛮愚句会」で提出された作。よって、「蜜柑」は冬の季語。ご本人云わく、最初は炬燵に執着してしまって、一週間、うんうんうなって出来た句、とのこと。「みかん」という語感はかわいらしく、「蜜柑」という漢語は、ひそやかにあまい。蜜柑は二人を結びつけられるだろうか。二人は蜜柑に導かれることがあるだろうか。私の師匠、赤塚不二夫なら、「それは未完なのだ!」とおっしゃるでしょう。(小笠原高志)




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