@句

March 2732012

 街に出てなほ卒業の群解かず

                           福島 胖

業という言葉には、これまでの生き方をまるごと認めて送り出す賞賛の拍手が込められている。叱られてばかりの学生生活でも、締めくくりはかくもおだやかな祝福に包まれる。神妙に揃えていた手足も、頬を伝った涙も、格式張った会場から出ればいつも通りに仲間と軽口を叩き、笑い合うことができる。青春のエネルギーはときとして辟易することもあるが、小鳥のさえずりや、雨上がりの芽吹きのように清々しく頼もしいものだ。このところテレビから繰り返し流れる「友よ、思い出より輝いてる明日を信じよう」(『GIVE ME FIVE!』歌:AKB48/作詞:秋本康)の歌詞の通り、若者は変化する環境に次々と順応できる。歌は「卒業とは出口じゃなく入口」と続く。卒業生たちは、来月にはあらためて新入生、新社員へと名を変える。出口に続く入口の直前まで仲間と群れている様子は、水にインクを落した直後、均一な濃度として溶け込むまでのわずかの間のふるえるような色合いに似る。おおかたの大人は、この無邪気な喜びののちに待つさまざまな苦労や、かつて自分にもあったこんな日を重ね、まぶしいような、切ないような複雑な気持ちになるものだ。そんな視線などものともせず、卒業式を終えた一群は元気に街へと繰り出していく。明日へ向かう躊躇のない一歩に心からのエールを。おめでとう!〈恋をしにゆく老猫を励ましぬ〉〈一人だけ口とがらせて入学す〉『源は富士』(1984)所収。(土肥あき子)


April 0742015

 一人だけ口とがらせて入学す

                           福島 胖

学校、中学校、高校、大学と進学するごとに入学式を体験するが、期待と不安でこれほど胸を高鳴らせるのはやはり初めての入学式である小学校をおいてないだろう。みんなで遊ぶことが主だった幼稚園から、勉強する目的の小学校への入学は、子どもの心にどれほど大きな不安を感じさせることだろう。一年生になるためにランドセルを買ってもらい、自分だけが使う文房具が揃えられ、返事の練習などさせられてみたり、家庭のなかでもそこかしこでもそこかしこでプレッシャーが与えられる。一方、親はよその子と同じように元気に小学生になってくれたことが嬉しくて仕方がない。そんな晴れがましい場で、笑顔で胸を張る新一年生のなかでただ一人、わが子だけが不機嫌に口をとがらせているのを目撃してはっとする。いつもの癖かもしれないし、緊張からなるものかもしれない。それを微笑ましいとするか、落胆するかは親次第。昨日は多くの小学校で入学式が行われた。どこの会場でも口をとがらせたり、袖のボタンを噛んだりして、親をはらはらさせている新一年生がいたことだろう。『源は富士』(1984)所収。(土肥あき子)




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