2012N5句

May 0152012

 メーデー歌いつより指輪にときめかず

                           福田洽子

980年代半ばから十数年間をOLとして過ごしていたが、メーデーとは希薄な関係のままだった。「8時間は労働、8時間は休息、8時間は自由な時間のために」というメーデー誕生の主張を、新鮮な気持ちで眺めている。バブル期といわれる好景気にもまるきり実感はなかったが「24時間働けますか♪」というバカバカしいCMは今も耳底に残っている。あらためて「メーデー歌」を検索してみると「聞け万国の労働者」がヒットした。聞いたことはあるが、歌詞は最初のフレーズのみしか覚えはなく、以降が「汝の部署を放棄せよ」「永き搾取に悩みたる」などと続くとは思いもよらなかった。この時代の先輩たちの熱き攻防が、後に続く労働者のさまざまな権利を成果として実らせてきたのだろう。掲句の「いつより指輪にときめかず」には、若い日々へのほろ苦い回顧がある。指輪にときめいていた頃の指は、未来を掴もうと戦っていた。野望に満ちた手は装飾品を欲し、また希望に満ちたしなやかな指にはきらめきや彩りがよく似合う。今あらためて、装飾品から解放され、じゅうぶんに時を経た無垢の指を見つめている作者がいる。次の世代へとバトンを渡したあとの手はおだやかに皺を刻み、戦い掴み取る手から、差し出す掌へと変貌している。『星の指輪』(2012)所収。(土肥あき子)


May 0252012

 自由への道出口なし嘔吐蠅

                           榎本バソン了壱

れが俳句?――といぶかしく思われる御仁は多いだろうけれど、れっきとした俳句である。(俳人はこういう句は間違っても作らないだろう。)畏れ多くも、サルトルの著書のタイトルを列挙しただけだが、ちゃんと五・七・五の定形であり、夏の季語も入っている。句意も妙に辻褄が合っているし、下五「嘔吐蠅」は「オートバイ」の駄洒落。「ガリマール版人文書院フランス装実存主義への憧憬」と添え書きがあるが、私などの学生時代には、あの「人文書院フランス装」が大抵の書店には必ず並んでいた。「実存主義」に遅れはとらじと買いこんで貪り読んだ、青い日々が懐かしい。「私が影響を受けたフランスの文学、美術、映画、街区、生活、極めて個人的なさまざまな記憶を掘りおこして、俳句にしてみようと考えた」と後書にある。なるほど、ランボオ、ヴェルレーヌに始まって、ゴダールあり、オペラ座やエスカルゴを経て、クスクスまでと幅広い。48句は「AKB48への対抗である」と鼻息も荒い。ちなみにランボオを詠んだ句は「少年は地獄の季節駆け抜けり」。各句とも例によってユニークな筆文字で書き添えられていて楽しめるし、さらにひるたえみ嬢による仏訳もそれぞれに付されている。『佛句』(2012)所収。(八木忠栄)


May 0352012

 あふれさうな臓器抱へてみどりの日

                           小川楓子

われてみるとおなかの中には胃から腸から肝臓やすい臓にいたるまでさまざまな臓器がひしめいている。普段健康でいると、見えない臓器なんぞ気にもとめないが、一つ不調になるだけでたちまちのうちに日常生活に支障をきたすだろう。内視鏡検査で咽喉から胃壁に降りてゆくカメラで薄赤い内部を見る機会があったが変なものが見えてしまったら怖いのでひたすら視線を逸らして検査に耐えていた。輝く新緑のただなかに立つ人間それぞれが、あふれそうな臓器を抱えていると思うと少し薄気味悪く思える。「あふれそうな」は臓器とみどりと双方にかかっているが、みずみずしい季節を象徴する「みどり」と「臓器」の生々しさと結び付けることで予定調和的なリリシズムから一歩踏み出している。『超新撰21』(2010)所載。(三宅やよい)


May 0452012

 骨切る日青の進行木々に満ち

                           加藤楸邨

書きに「七月一日、第一回手術」1961年に楸邨は二度手術を受けている。結核治療のための胸郭整形手術。当時は胸を開いて肋骨を外したのだった。「青の進行木々に満ち」と手術への覚悟を生命賛歌に転ずるところがいかにも楸邨。悲しいときや苦しいときこそそこに前向きのエネルギーを見出していく態度が楸邨流。文理大の恩師能勢朝次の死去に際しては「尾へ抜けて寒鯉の身をはしる力」と詠み、妻知世子の死去の折には「霜柱どの一本も目覚めをり」と詠んだ。俳句の本質のひとつに「挨拶」があるとするなら、身辺の悲嘆を生へのエネルギーに転化していくことこそ「生」への挨拶ではないか。『まぼろしの鹿』所収。(1967)所収。(今井 聖)


May 0552012

 湯の町に老いて朝湯や軒菖蒲

                           石川星水女

が近づく匂い、というのがある。それは、晴れた日よりも曇り、あるいはさっと来て上がった雨の後、ぐんぐん色濃くなってきた緑と濡れた土の香に、ああ夏が来る、とうれしさとなつかしさの入り交じった心地になる匂いだ。立夏と同時に端午の節句でもある今日。軒菖蒲、は、菖蒲葺く、の傍題だが、祖母が軒下に菖蒲湯に入れるほどの菖蒲を差していた記憶がある。本来は菖蒲と蓬を束にして屋根に置き邪気を祓う、というがこれもさぞよく香ることだろう。掲出句は、昭和四十年代後半の作、旅先での何気ない一句なのだが、すっと情景が浮かぶ。そこに人の暮らしが見えることで、小さな湯の町に、温泉、若葉、菖蒲に蓬と、豊かな初夏の香りがあふれてくる。『土雛』(1982)所収。(今井肖子)


May 0652012

 石の数が川音となり夏来る

                           大谷碧雲居

休中に川遊びをされた方も多いでしょう。掲句から、たとえば、河原で石を見るでもなくのんびり過ごしていると、川の音が夏を連れてきているようなすがすがしさを感じられます。句は、「石の数が」と字余りで始まっています。これは、数えるに余るほどの無数の石の数を表していて、中下流域の広い河原の光景でしょう。水の流れが無数の石と衝突して川音となるという句意は、説明的でもあり、即物的でもあります。また、句の中から生物を除外して、石と水という無機物の物理現象から「夏来る」を抽出する造作は、竜安寺の石庭に通じる冷徹さがあります。生命や地名といった有機的な要素を取り除き、石に水がぶつかる川音から「夏来る」と言い切る一句は、即物的であるからこそ普遍的で、どこの河原でも、どんな人でも、河原で過ごしたときにふと気づける夏の到来です。『日本大歳時記・夏』(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


May 0752012

 ひといきに麦酒のみほす適齢期

                           岸ゆうこ

校生のころだったか、伊藤整の新聞小説に「初夏、ビールの美味い季節になった」とあった。「ふうん、そんなものなのか」と思った記憶があるが、いまになってみると、なるほど初夏のビールは真夏のそれよりも美味い気がする。この時期のビヤホールが、いちばん楽しい。とはいえ、ビールを飲む人の気持ちはいろいろで、みんなが楽しくしているわけではない。作者のような鬱気分で飲んでいる人もいるのだ。「適齢期」とは「結婚適齢期」のことで、最近ではほとんど聞かなくなった。この句はおそらく若き日の回想句だろうが、往時の女性は二十歳ころを過ぎると、そろそろ結婚を考えろと周囲から攻め立てられた。小津安二郎映画の若い女性などは、みなそのくちである。で、すったもんだのあげくに結婚すると、残された父親に「女の子はつまらんよ。せっかく育てたと思ったら、嫁に行っちまうんだから」などとぼやかれたりするのだから立つ瀬がない。句はそんな適齢期にあった作者が、結婚を言い立てられて、半ば自棄的に飲み慣れないビールを飲み干しちゃった図である。こんな時代も、そんなに遠い昔ではなかった。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


May 0852012

 銀河系語る泉にたとえつつ

                           神野紗希

人的な好みもあろうが、専門分野を簡潔に説明でき、明快な比喩を扱える人に出会うと、憧れと尊敬でぽーっとなってしまう。広辞苑で「銀河系」をひくと「太陽を含む二千億個の恒星とガスや塵などの星間物質から成る直径約十五万光年の天体」とあり、その数字に圧倒される。やさしく分りやすい信条の新明解国語辞典でも広辞苑の説明に追加して「肉眼で見える天体の大部分がこれに含まれる」とあって、そこからは「だからもうそこらじゅう全部銀河系だってことなんですっ」という開き直ったような困惑ぶりが見てとれる。数字が大きければ大きいほど、現実から遠ざかる。人間が瞬時に把握できる数は7という説があるが、それをはるかに超えた千億個などという途方もないものは数という親しみやすい存在から逸脱している。掲句のこんこんと湧く泉に例えられたことで、堅苦しく数字がひしめいていた銀河系が、途端に瑞々しい空間へと変貌し、たっぷりとした宇宙に漂う心地となる。〈起立礼着席青葉風過ぎた〉〈寂しいと言い私を蔦にせよ〉『光まみれの蜂』(2012)所収。(土肥あき子)


May 0952012

 葬列に桐の花の香かむさりぬ

                           藤沢周平

色が印象的な桐の花は、通常4月から5月上旬にかけて咲く。今の日本では産地へ行かないかぎり、桐の花を見ることがむずかしくなった。ちなみに桐の花は岩手県の県花である。10年近く前になろうか、中国の西安に行ったとき、田舎をバスで走りながら、菜の花の黄と麦の緑、それに桐の花の紫、三色を取り合わせた田園の風景に感嘆したことがあった。掲句は周平が、もともと「馬酔木」系の俳誌「海坂」1953年7月号に、四句同時に巻頭入選したなかの一句。他に「桐の花踏み葬列が通るなり」など、四句とも桐の花を詠んだものだった。このとき周平は肺結核で東村山の病院に入院中で、近くに桐の林があったという。残念ながら私は桐の花の香を嗅いだことはないけれど、しめやかに進む葬列を桐の花の香と色彩とが、木の下を進む葬列を包むようにかぶさっているのだろう。美しくやさしさが感じられるけれど、どこかはかなさも拭いきれない初夏の句である。このころ周平は最も辛い時代だったという。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


May 1052012

 泰山木けふの高さの一花あぐ

                           岸風三楼

きな樹木に咲く花は下から見上げても茂る葉に隠れてなかなか気づかないものだ。俳句をやり始めたおかげでこの花の名前と美しさを知ったわけだけど、今ではこの時期になると職場近くにある泰山木の花が開いたかどうか昼休みに確かめにゆくのが習慣になった。木陰にあるベンチに弁当を広げながら、ああ、あの枝の花が開きかけ、2,3日前に盛りだったあの花はまだ元気、枝の高さを追いながらひとつひとつの花を確かめるのも嬉しい。青空の隙間に見えるこの花の白さは美しく、名前の響もいい。原産地は北米で、渡来は明治以後とのこと。「一花あぐ」という表現が下から見上げる人間の思惑など気に掛けず天上の神々へ向けて開いているようで、超然としたこの花の雰囲気を言い当てているように思う。『岸風三樓集』(1979)所収。(三宅やよい)


May 1152012

 川幅に水が窮屈きんぽうげ

                           岡本 眸

句的情緒というものを毛嫌いしている僕にとって岡本眸さんは例外だ。眸さんの句の中には神社仏閣関連用語が比較的多く出てくる。またそういう用語を用いて従来の情緒にあらざるところを狙っているのかというとそうでもない。なのにどうして魅力を感じるのだろうか。俳人は粥を啜り着物を着て歌舞伎座に行き或いは能を観て、帰りは鳩居堂に寄り和紙を買ったりする。何を食べてどこへ行こうと自由だが典型を抜けたところにしか「詩」は存在しない。「詩」とは作者の「私」であり、提示される「?」だ。この句で言えば「窮屈」。川幅も水もきんぽうげもどこにでもある風景を演出する小道具。この言葉だけが異質。ここが詩の核である。こんな易しい俗的な言葉の中にしっかりと眸さんの「私」が詰まっている。「別冊俳句・平成俳句選集」(2007)所載。(今井 聖)


May 1252012

 包丁はキッチンの騎士風薫る

                           中村堯子

句を始めたばかりの頃、風薫る、が春で、風光る、が夏のように感じられなんとなく違和感を持った記憶がある。そのうち、まず日差しから春になってくるとか、緑を渡る風が夏を連れてくるとか、気がついたのか思いこんだのか、その違和感はなくなってしまった。さらに薫風は、青葉が茂った木々を渡る南風を「薫ると観じた」(虚子編歳時記)とあり、香りだけでなく五感でとらえるということなのだろう。掲出句、包丁で一瞬どきりとさせられるが、薫風が吹き渡ってくることで、銀の刃と若葉の緑が輝き合い、キッチンの騎士、という歯切れのよい音と共に清々しさが広がる。『ショートノウズ・ガー』(2011)所収。(今井肖子)


May 1352012

 み鏡に火のはしりたる雷雨かな

                           大橋櫻坡子

降る夕暮れどきの二階屋で、女は一人、じっと鏡を見ています。自身の容貌には、過去の履歴が刻まれていて、皺の一本一本が、目に刺さってくるような心持ちになってきます。かなり長い時間、正座して鏡を見続けているうちに、鏡は、現在の自身の相を映し出し始めます。その時、鏡に火が走る、それは一瞬、自身の相から発せられた火か、と驚きますが、直後、雷鳴が響き、ふと我に返ります。鏡に映ったのは自身の内奥の火か、それとも雷の閃光か、その両方か、そのいずれの火も光も消え、雨音だけが残り、今の自身が露わに映っている鏡----作者が女性なので、句からこんな妄想を抱いてしまいます。miとhiとraiの韻が効いていて、17音中7音がi音であることで、句の「はしり」もあるように思われます。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


May 1452012

 丁寧に暮らす日もあり新茶汲む

                           奥田友子

にとめて、すぐにどきりとした。私には「丁寧に暮らす」という意識がほとんどない。大げさではなく、生まれてこのかた、大半の日々を行き当たりばったりに暮らしてきた。貧乏性に近いと思うのだが、常に何かに追いまくられている感じで暮らしており、生活や人生に落ち着きというものがない。友人などには反対に、少なくとも見かけは、何事にも丁寧につきあい、悠然としている奴がいて、どうすればあんなふうに暮らせるのかと、いつも羨しく思ってきた。そんなわけで、句の「暮らす日も」の「も」に若干救われはするけれど、しかしこれは謙遜でもありそうだ。新茶の馥郁たる香りや味を本当に賞味するには、精神的にも身体的にもよほどの強靭さとゆとりがなければ適わない。そういうことなんだろうなあ。きっと、そうなんだ。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


May 1552012

 縦書きの詩を愛すなり五月の木

                           小池康生

がものを伝うのを見て、あるいは花や葉が風に舞い落ちるのを眺め、人は文字を縦書きに書くことを思いついたのではないか。視線を上から下へおろすことは、人間の両目の配置からして不自然なことだそうで、横書きの文章の方が早く理解できるといわれる。しかし、ものを縦になぞることには、引力のならいでもある安心感がある。パソコンに向かっていると横書きに見慣れ、常に目は左から右ばかりに移動する。紙面の美しい縦書きを追うことは、目のごちそうとも思える。立夏から梅雨に入るまでのひととき、木々は瑞々しく茂り、雲は美しく流れる。青葉に縁取られた五月の木の健やかさのもとでは、やはり縦書きの文字を追いたいと、目が欲するのではないか。一年のなかでも特別美しい月である五月に、目にもたっぷりとごちそうをふるまってあげたい。〈ペン先を湯に浸しおく青嵐〉〈家族とは濡れし水着の一緒くた〉『旧の渚』(2012)所収。(土肥あき子)


May 1652012

 南風や小猿の赤いちゃんちゃんこ

                           菊田一夫

、5月頃から吹きはじめる湿った暖かい風が南風。北風とちがって大方は待たれている風であるゆえに、日本の各地でさまざまな呼び方がされている。正南風(まみなみ、まはえ)、南風(みなみかぜ、なんぷう、はえ)、南東風(はえごち)、南西風(はえにし)……。気候と密接な関係にある農/漁業者の労働にとって,特に無視できない南から吹く風である。夏の到来を告げる風。小猿が着ている「ちゃんちゃんこ」は冬の季語だが、小猿が季節はずれのちゃんちゃんこをまだ着ているうちに,夏がやってきたよ、というやさしい気持ちが句にはこめられている。動物園などに飼われている猿ではなく、動物好きの個人に飼われて愛嬌を振りまいているのを、通りがかりに目にしたのだろう。赤いちゃんちゃんこをまだ着せたままになっていることに対する気持ちと、「もう夏だというのに……」という気持ちの両方をこめながら、作者は微笑んでいるようだ。芭蕉は「猿も小蓑をほしげなり」と詠んだが、ここはすでに「蓑」の時代ではない。加藤楸邨に「遺書封ず南風の雲のしかかり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 1752012

 終りから始まる話青葉木莵

                           朝吹英和

き出しから、終わっている話ってあるなぁ、とこの句を読んでそんな小説の書きだしを思い出してみた。結末は予想されないけど、何かしらことが終わった回想で筋を追う形式のものか、コロンボや古畑任三郎のように犯人も結末も提示した中で話が始める推理物か。ともかくも、後ろから読み手が展開を追う話だろう。暗闇でずっと目を開けて、鋭い爪で獲物をとらえるふくろうは知の神とされていて、ギリシャの女神アテナイの使いでもある。何もかも知っている青葉木莵の低い鳴き声で神秘的なドラマが展開される。「夏燕王妃の胸を掠めけり」「降り注ぐラヴェルの和音新樹光」など古典や音楽から題材をとった句が多いこの句集全体の語り手も青葉木莵なのかもしれない。『光の槍』(2006)所収。(三宅やよい)


May 1852012

 夕焼雀砂浴び砂に死の記憶

                           穴井 太

の句が載っている本には鑑賞者がいて、その人によるとどうもこの句は長崎の被爆の悲しみや憤りを詠った句らしい。仮にそれが自解などで間違いない創作動機であったにしてもこの句にはそんなことは書かれていない。夕焼けの中で雀が砂浴びをしているのを見ていると、作者には砂に「死」というものの記憶が感じられるという句である。それ以外のことは書いてない。僕に感じられるのは第一に夕焼雀という造語の抒情性。第二に雀の砂浴びという平和な風景の中に「死」を見ている作者の感性。「死」が理不尽なものであろうと自然死であろうと関係ない。たとえば輪廻転生を繰返してきた人の前世の記憶であってもいい。『現代の俳人101』(2004)所載。(今井 聖)


May 1952012

 インターフォン押す前に見る赤い薔薇

                           纐纈さつき

週の土曜日、五月十二日に句会で出会った一句。初対面の印象は、赤い薔薇がくっきりしているなと。まず書きとめて、選を終え見直していると、ちょっと不思議な感じがしてくる。訪れたお宅の玄関先に咲いていた赤い薔薇が目に飛び込んで来たとして、それをわざわざ、見る、と言っているところ、それもインターフォンを押す前に。するとメンバーの一人がこの句を「ドアの外に薔薇が咲いていたのかもしれないけれど、もしかしたら赤い薔薇の花束を抱えてちょっとドキドキしながらドアの前に立っているのかもしれない。インターフォンを押す前に、その薔薇に目をやって心を落ちるかせる、そんな緊張感も感じられる」と鑑賞。なるほど、いずれにしてもこの薔薇は深紅でなければならない。作者は二十代の女性、実際はどうなの、の問いかけにちょっと恥ずかしそうに黙って笑っていた。(今井肖子)


May 2052012

 其底に木葉年ふる清水かな

                           正岡子規

林洋子さんという若いアーティストが作った「時積層」という作品があります。高さ約3mの透明なアクリル製の直方体の中を、A3版の白いコピー用紙が一枚ずつ舞い降りてくる作品です。紙のかさなりによって時間の経過を視覚化させる砂時計のような装置です。掲句も、木の葉のかさなりが時の経過を物語ることで、清水の新鮮さを伝えています。「其底に」(そのそこに)と指示語で始まることで、かえって場所の具体性が指示されていて、句に、額縁をほどこす効果も感じられます。「其底」は、「その木の葉の底」です。木の葉が「降り」、年が「経(ふ)り」、幾重にもかさなった木の葉が古びてかさなり、今、「其底」から、清水が湧き出して、かさなり合った木の葉が下からもち上げられて流れ出てきています。掛詞として使われている「ふる」が、木の葉のかさなりを重層的に伝えています。深大寺の青渭(あおい)神社や水天宮など、水を祀る信仰は古来よりあります。掲句は信仰とは関係ないでしょうが、それでも清水の清浄な源泉を木の葉に隠れる「其底」と目に見えぬようにしているところに、清水に対する畏敬の念があるように思われます。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


May 2152012

 田を植ゑしはげしき足の跡のこる

                           飴山 實

植えの終わった情景を詠んだ句は無数にあるけれど、大半は植え渡された早苗の美しさなどに目が行っている。無理もない。田植えの句を詠む人のほとんどが、他人の労働の結果としての田圃を見ているからだ。よく見れば、誰にでもこの句のような足跡は見えるのだが、見えてはいても、それを詠む心境にはなれないのである。ところが作者のような田植えの実践者になると、どちらかといえば、田圃の美しさよりも、辛い労働が終わったという安堵感のほうに意識の比重がかかるから、田植えをいわば観光的には詠めないということになる。手で植えていたころの田植えは実に「はげしい」労働だった。植え終えた田圃にも、まずその辛さの跡を見てしまう目のやりきれなさを、作者はどうしても伝えておきたかったのである。『辛酉小雪』(1981)所収。(清水哲男)


May 2252012

 雲雀には穴のやうなる潦

                           岩淵喜代子

日の金環食の騒ぎに疲れたように太陽は雲に隠れ、東京は雨の一日になりそうだ。毎夜月を見慣れた目には、鑑賞グラスに映る太陽が思いのほか小さいことに驚いた。金環食を見守りながら、ふと貸していた金を返してもらうため「日一分、利取る」と太陽に向かって鳴き続ける雲雀(ひばり)の話を思い出していた。ほんの頭上に輝いていると思っていた太陽が、実ははるか彼方の存在であることが身にしみ、雲雀の徒労に思わず同情する。雲雀は「日晴」からの転訛という説があるように、空へ向かってまっしぐらに羽ばたく様子も、ほがらかな鳴き声も青空がことのほかよく似合う。掲句は雨上がりに残った潦(にわたずみ)に真っ青な空が映っているのを見て、雲雀にはきっと地上に開いた空の穴に映るのではないかという。なんと奇抜で楽しい発想だろう。水たまりをくぐり抜けると、また空へとつながるように思え、まるで表をたどると裏へとつながるメビウスの帯のような不思議な感触が生まれる。明日あたり地面のあちこちに空の穴ができていることだろう。度胸試しに飛び込む雲雀が出てこないことを祈るばかりである。『白雁』(2012)所収。(土肥あき子)


May 2352012

 袷着て素足つめたき廊下かな

                           森田たま

(あはせ)は冬の綿入れと単衣のあいだの時季に着るもので、もともとは綿入れの綿を抜いたものだったという。夏がめぐってきたから袷を着る。気分は一新するにちがいない。もちろんもう足袋も鬱陶しい時季だから、廊下の板の上を素足でじかにひたひた歩く、そのさわやかな清涼感が伝わってくる。人の身も心もより活動的になる初夏である。足袋や靴下を脱いで素足で廊下を歩き、あるいは下駄をはく気持ち良さは、今さら言うまでもない。人間の素肌がもつ感覚にはすばらしいものがある。ところで、森田たまを知る人は今や少なくなっているだろうが、『もめん随筆』『きもの随筆』『きもの歳時記』などで知られた人の句として、掲句はなるほどいかにもと納得できる。ひところ参議院議員もつとめ、1970年に75歳で亡くなった。「いささかのかびの匂ひや秋袷」という細やかな句もある。また三橋鷹女には「袷着て照る日はかなし曇る日も」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 2452012

 枇杷熟れてまだあたたかき山羊の乳

                           三好万美

の昔、牧場で飲む牛乳はおいしいと搾りたての牛乳を飲まされた。だけどアルミの容器に満たされた液体は、むうっと生臭い感じがして苦手だった。多分生き物の体温がぬるく残っているのが嫌だったのだろう。回虫がついていると洗剤を使って野菜を洗うのがコマーシャルで流れていた時代だ。人工的なことが洗練されているという思い込みがあったのかもしれない。掲句では真っ白な山羊からほとばしりでる乳と枇杷の明るい橙色のコントラストが素敵だ。銀色の生毛に包まれた枇杷も暖かかろう。山の斜面に山羊を遊ばせ乳を搾る生活が残っている地域ってあるのだろうか。そんな牧歌的風景があるなら見て見たい。『満ち潮』(2009)所収。(三宅やよい)


May 2552012

 眉に闘志おおと五月の橋をくる

                           野宮猛夫

志、真面目、努力、素朴、根性、正直、素直。こんな言葉に懐かしさを感じるのは何故だろう。あまり使われなくなったからだろう。使うとどこか恥ずかしいのは言葉が可笑しいのか恥ずかしがる方がひんまがっているのか。男が「おお」と手を挙げて橋のむこうからやってくる。貴方にこんな友だちがいるか。いても眉に闘志なんかない奴だろうな。へこへこした猫背のおじさんがにやにやしながらやってきて無言でちょっと手を挙げる。そんな現代だ。正面から真面目に一途にこちらにむかってぐんぐん来る。溌剌とした五月の男。そんな男がいたらむしろ迷惑なご時世かもしれない。正面も一途も溌剌も恥ずかしい言葉になってしまった変な時代だ、今は。『地吹雪』(1959)所載。(今井 聖)


May 2652012

 身勝手の叔母と薄暑の坂下る

                           塚原麦生

暑や残暑は、やれやれという暑さだけれど、薄暑は、うっすら汗ばむこともあるくらいの初夏の暑さなので、その時の心情によって感じ方が違うのかもしれない。掲出句、身勝手という一語に、困ったもんだなあ、という小さいため息が聞こえてきて、ちょっとうっとおしい汗をかいているのかもと思ったが、ふと友人の叔母上の話を思い出した。彼女と友人の母上は、芸術家肌で自由奔放な妹ときっちりと真面目な姉、という物語になりそうな姉妹。友人が子供の頃、叔母上は近所の腕白坊主の集団の先頭に立ってガキ大将のようだったという。仕事も恋も浮き沈み激しく、家族や親戚にとってはいささか悩みの種だったというが、友人は彼女が大好きで、長い一人暮らしの間も一人暮らしができなくなってからも近くで過ごし、最期を看取った。母親ほど絶対的でない叔母、親子とも他人とも違う距離感の叔母と甥。身勝手な、ではなく、身勝手の、だから少し切れて、この叔母上も愛されているのだろう。そう思うと、心地よい薄暑の風が吹いてくるようだ。「図説大歳時記・夏」(1964・角川書店)所載。(今井肖子)


May 2752012

 愛憎や指に振子のさくらんぼ

                           山本花山

とえば、男と女が大喧嘩をして、男が出て行ったあと、女はさくらんぼの芯を指でつまみ、振り子のようにもてあそんでいます。愛憎という情動の振り子には、じつはさくらんぼと同じように噛めば甘く、しかし噛み切れない種があります。それは、吐き捨てられることもあれば、土に播かれて芽を出すこともあるでしょう。人の愛憎が、一粒のさくらんぼと同じ重みをもつ程ならば、すこし心が軽くなります。俳句に「愛憎」という言葉は通常使いませんが、「や」で切ったあと、「指」で爆発していた情動を小さくして、「振子」で熱を冷まし、「さくらんぼ」で浄化して、定型に納まりました。掲句でもし、女が指でさくらんぼをもてあそんでいるならば、掌中の珠のように、二人の関係の主導権を握っているということでしょうか。男からすれば、ちょっと困った解釈になってしまってどーもすいません。「現代俳句歳時記・夏」(2004・学研)所載。(小笠原高志)


May 2852012

 ビールないビールがない信じられない

                           関根誠子

えっ、そりゃ大変だ。どうしよう。ビール好きだから、ビールの句にはすぐに目が行く。たしかに買っておいたはずのビールが、「さあ、飲みましょう」と冷蔵庫を開けてみたら、見当たらない。そんなはずはないと、もう一度奥のほうまで確かめてみるが、影も形もない。そんな馬鹿な……。どうしたんだろう、信じられない。作者の狼狽ぶりがよくわかる。同情する。ビールという飲み物は、飲みたいと思ったときに、冷たいのをすぐに飲めなければ意味がない。精神的な即効性が要求される。そんなビールの本性を、この句はまことに的確に捉えている。「酒ない酒がない…」では、単なるアル中の愚痴にしかならないが、ビールだからこその微苦笑的ポエジーがにじみ出てくる佳句だ。念のためにいま我が家の冷蔵庫をのぞいたら、ちゃんとビールが鎮座していた。あれが今宵、まさか消えてしまうなんてことはないだろうね。『季語きらり100 四季を楽しむ』(2012)所載。(清水哲男)


May 2952012

 かかへくるカヌーの丈とすれちがふ

                           藤本美和子

ヌーが季語として認知されているかは別として、ヨットやボートと同じく夏季、ことに緑したたる初夏がふさわしい。万緑を映した川面を滑るように進む姿には、なんともいえない清涼感がある。人間ひとりを収め、水上にすっきりと浮いているカヌーも、陸にあがれば意外に大きいものだ。カヤック専門店のオンラインストアで確認すると、軽くてコンパクトと書かれる一人乗りカヌーの全長が432センチとあり、たしかに思っていたよりずっと長い。水辺まで運ばれる色鮮やかなカヌーに気づいてから、長々と隣り合い、その全長をあらためて知る作者は、水上の軽やかな姿とは異なる、思いがけない一面を見てしまったような困惑もわずかに感じられる。水の生きものたちが、おしなべて重量を気にせず大きくなったものが多いことなどにも思いは及んでいくのだった。〈新しき色の加はる金魚玉〉〈たそがれをもて余しをる燕の子〉『藤本美和子句集』(2012)所収。(土肥あき子)


May 3052012

 生き方の他人みなうまし筍飯

                           嶋岡 晨

飯、麦飯なども夏の季語とされるけれども、やはり筍飯は初夏の到来を告げる、この時季ならではの飛び切りのご馳走である。若いときはともかく、人は齢を重ねるにしたがって、生き方がうまいとか、要領が良いとか良くないとか、自他ともに気になってくるようだ。が、うまい/うまくないは“運”もあるだろうし、努力だけではどうしようもないところがあって、なかなか思うように運ばないのが世の常。いや、とかく他人(ひと)さまのほうが、自分より生き方がうまいように思えるものでもある。おいしい筍飯を食べて初夏の味を満喫している時だから、いっそう自省されるということなのだろう。掲句の「うまし」はもちろん他人の生き方のことだが、同時に「筍飯」にも懸かっていると読解すべきだろう。(蛇足:私は筍の季節になると、連日のように煮物であれ、焼物であれ、筍飯であれ、一年分の筍を集中的に食べてしまう。日に三度でも結構。ところが今年は、セシウム汚染で地元千葉のおいしい筍は出荷停止となり、筍を食べる機会は数回で終ってしまった。食ベモノノ恨ミハ怖イゼヨ! 満足できない初夏であった。)晨には他に「水底に沈めし羞恥心太」がある。『孤食』(2006)所収。(八木忠栄)


May 3152012

 銀座にて銀座なつかしソーダ水

                           井上じろ

正時代から昭和にかけて銀座は流行の最先端の町であった。地方都市の駅前繁華街にはその土地々の名前を冠した銀座が続出したという。そういえば転勤先の山口、鹿児島、愛知それぞれの町の銀座商店街を歩いた覚えがある。本家本元の銀座ではいつ行っても華やかな雰囲気にあふれている。電線のない広い空と石畳の舗道にお洒落な店の数々。だけど、私が知っているのはここ10年ばかり銀座で、古きよき銀座の記憶はない。「銀ブラ」という言葉が消えたように、この町を愛した人には外国のブランド店がずらりと並ぶ銀座には違和感があるかもしれない。ソーダ水には「一生の楽しきころのソーダ水」(富安風生)という名句があるが、昔なつかしいソーダ水を飲みながら、「銀座も変わったものね」と年配の婦人が話している様子を想像してしまった。『東京松山』(2012)所収。(三宅やよい)




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