蜍エNq句

May 1352012

 み鏡に火のはしりたる雷雨かな

                           大橋櫻坡子

降る夕暮れどきの二階屋で、女は一人、じっと鏡を見ています。自身の容貌には、過去の履歴が刻まれていて、皺の一本一本が、目に刺さってくるような心持ちになってきます。かなり長い時間、正座して鏡を見続けているうちに、鏡は、現在の自身の相を映し出し始めます。その時、鏡に火が走る、それは一瞬、自身の相から発せられた火か、と驚きますが、直後、雷鳴が響き、ふと我に返ります。鏡に映ったのは自身の内奥の火か、それとも雷の閃光か、その両方か、そのいずれの火も光も消え、雨音だけが残り、今の自身が露わに映っている鏡----作者が女性なので、句からこんな妄想を抱いてしまいます。miとhiとraiの韻が効いていて、17音中7音がi音であることで、句の「はしり」もあるように思われます。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


October 27102012

 厠なる客のしはぶき十三夜

                           大橋櫻坡子

(しわぶき)と十三夜、いかにも晩秋を感じさせる。ただでさえ十三夜は、やや欠けていることのもの寂しさと、晩秋の夜の静けさと、多くの情感を合わせ持っている言葉である。そこにしわぶく音が弱々しく聞こえる、というのはあまりに情に流れるのでは、というところを、厠なる客、の具体性がうまくバランスを与えている。厠、という古来の言葉が、歩くと軋みもする日本家屋を思わせ、少し離れたところから聞こえる月の友の咳が、いよいよ澄み渡る夜の大気を感じさせる。今年の名月は、雲の切れ間に垣間見えたり、深夜から明け方ふと気づいたら見えていたり、待ちかまえているところに上ってくるのとはまた違った趣があった。万全でないこともまた好もしい、十三夜を愛でる心持ちもそれと似ているかもしれない。『大橋櫻坡子集』(1994)所収。(今井肖子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます