図書館で『重曹生活のススメ』。炭酸水素ナトリウムのお勉強。(哲




2012N519句(前日までの二句を含む)

May 1952012

 インターフォン押す前に見る赤い薔薇

                           纐纈さつき

週の土曜日、五月十二日に句会で出会った一句。初対面の印象は、赤い薔薇がくっきりしているなと。まず書きとめて、選を終え見直していると、ちょっと不思議な感じがしてくる。訪れたお宅の玄関先に咲いていた赤い薔薇が目に飛び込んで来たとして、それをわざわざ、見る、と言っているところ、それもインターフォンを押す前に。するとメンバーの一人がこの句を「ドアの外に薔薇が咲いていたのかもしれないけれど、もしかしたら赤い薔薇の花束を抱えてちょっとドキドキしながらドアの前に立っているのかもしれない。インターフォンを押す前に、その薔薇に目をやって心を落ちるかせる、そんな緊張感も感じられる」と鑑賞。なるほど、いずれにしてもこの薔薇は深紅でなければならない。作者は二十代の女性、実際はどうなの、の問いかけにちょっと恥ずかしそうに黙って笑っていた。(今井肖子)


May 1852012

 夕焼雀砂浴び砂に死の記憶

                           穴井 太

の句が載っている本には鑑賞者がいて、その人によるとどうもこの句は長崎の被爆の悲しみや憤りを詠った句らしい。仮にそれが自解などで間違いない創作動機であったにしてもこの句にはそんなことは書かれていない。夕焼けの中で雀が砂浴びをしているのを見ていると、作者には砂に「死」というものの記憶が感じられるという句である。それ以外のことは書いてない。僕に感じられるのは第一に夕焼雀という造語の抒情性。第二に雀の砂浴びという平和な風景の中に「死」を見ている作者の感性。「死」が理不尽なものであろうと自然死であろうと関係ない。たとえば輪廻転生を繰返してきた人の前世の記憶であってもいい。『現代の俳人101』(2004)所載。(今井 聖)


May 1752012

 終りから始まる話青葉木莵

                           朝吹英和

き出しから、終わっている話ってあるなぁ、とこの句を読んでそんな小説の書きだしを思い出してみた。結末は予想されないけど、何かしらことが終わった回想で筋を追う形式のものか、コロンボや古畑任三郎のように犯人も結末も提示した中で話が始める推理物か。ともかくも、後ろから読み手が展開を追う話だろう。暗闇でずっと目を開けて、鋭い爪で獲物をとらえるふくろうは知の神とされていて、ギリシャの女神アテナイの使いでもある。何もかも知っている青葉木莵の低い鳴き声で神秘的なドラマが展開される。「夏燕王妃の胸を掠めけり」「降り注ぐラヴェルの和音新樹光」など古典や音楽から題材をとった句が多いこの句集全体の語り手も青葉木莵なのかもしれない。『光の槍』(2006)所収。(三宅やよい)




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