June 092012
豚の仔の鼻濡れ茅花流しかな
大久保白村
茅花(つばな)は茅萱(ちがや)の花、流しは湿った南風、ということで初夏、茅花の穂がほぐれる頃に吹く南風が、茅花流し。とは言え、実際に目にした記憶は定かでなかった。それが先週、近郊の住宅街を歩いていたら、ぽっかりと四角い空き地一面の茅花の穂をいっせいになびかせている白い風に遭遇。吹き渡る、という広がりこそなかったが、間近で見た花穂のやわらかい乾きと風の湿りが印象的だった。この句を引いた句集『翠嶺』(1998)には、掲出句と並んで〈黒南風や親豚仔豚身を擦りて〉とある。仔豚の鼻の湿りと茅花の穂のふんわりとした明るさ、肌と肌の擦り合う湿りと梅雨曇りのどんよりとした暗さ、二つの湿りの微妙な違いがそれぞれの風に感じられる。(今井肖子)
June 082012
雪よりも白き雲来て雪かくす
山口青邨
あのう、個人的なことなのですが、勝手ながらこれまでこの欄にはその折の季節に合わせて俳句を取り上げて鑑賞して参りましたが、これからはタイムリーな季節の句に関りなく取り上げていきたいと思います。この句「アルプス行」の前書きあり。この作者の句に感じるのは情緒の安定。感情の揺れをそのまま詩型に叩きつけたりしない落ち着きぶりです。それが大人の風格のようで若い頃は嫌味に見えたのですが、このごろはその魅力も少しわかってきたように思います。感情が安定していると風景もブレない。正面から大きな景に堂々と立ち向かう。横綱相撲というべきか。『現代の俳句』(1993)所載。(今井 聖)
June 072012
箱庭と空を同じくしてゐたり
岩淵喜代子
箱庭は箱の中に小さな木や人を配し、川をしつらえ橋を渡したミニチュアの庭だが、どうして夏の季語になっているのだろう。歳時記の皆吉爽雨の解説によると箱庭を作るのは子供の夏の遊びの一つと書かれており、「古い町並みを歩くと軒下などに箱庭がおかれているのを見かけて、日本人の夏を感じる」とある。この頃は心理療法として箱庭を作るのが治療のひとつになっているようだけど、夏空の下で箱庭を作る遊びも楽しそうだ。箱庭を覗きこむ自分の頭上にも箱庭と同じ空がある。空から俯瞰すると自分がいる風景も覗きこんでいる箱庭の風景と同様の小ささで、人という存在がいじらしく思える。『白雁』(2012)所収。(三宅やよい)
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