June 222012
死ねない手がふる鈴をふる
種田山頭火
山頭火は58歳で病死したがその5年前に旅の途中で睡眠薬を大量に飲んで自殺を企てている。結局未遂に終りそのまま行乞の旅を続ける。本来托鉢行とは各戸で布施する米銭をいただきながら衆生の幸せや世の安寧を祈ることだろう。だから鈴をふる祈りには本来は積極的な行の意味があるはずだ。死にたい、死ねないと思いながら鈴をふるのは得度をした人らしからぬことのように思える。しかしながらそこにこそ「俗」の山頭火の魅力が存するのである。「俳句現代」(2000年12月号)所載。(今井 聖)
June 212012
無垢無垢と滝に打たれてをりしかな
山崎十生
座禅を組むのも、断食道場へ通うのも、滝に打たれるのも自分の中に巣くう煩悩を流して生まれ変わりとはいかないまでも、まっさらな自分になりたいがためだろう。どのぐらい効果があるかわからないが、「無垢無垢」と念じつつ、轟音とともに落ちてくるしぶきの冷たさに耐えながら立っている様子を思うと何だか笑えてくる。真面目であればあるほど「無垢無垢」が擬音語のようでもあり、念仏のようでもあり、押さえても押さえても湧き出てくる煩悩のようで、何だかおかしい。那智の滝や華厳の滝の如く遥か上方から垂直にたたきつけるのは怖すぎるけど、穏やかない滝なら、ムクムクと打たれてみるのもいいかもしれない。『悠々自適入門』(2012)所収。(三宅やよい)
June 202012
一つ蚊を叩きあぐみて明け易き
笹沢美明
あの消え入るような声で、耳もとをかすめる蚊はたまらない。あの声は気になって仕方がない。両掌でたやすくパチンと仕留められない。そんな寝付かれない夏の夜を、年輩者なら経験があるはず。「あぐ(倦)みて」は為遂げられない意味。一匹の蚊を仕留めようとして思うようにいかず、そのうちに短夜は明けてくる。最も夜が短くなる今頃が夏至で、北半球では昼が最も長く、夜が短くなる。「短夜」や「明け易し」という季語は今の時季のもの。私事になるが、大学に入った二年間は三畳一間の寮に下宿していたので、蚊を「叩きあぐ」むどころか、戸を閉めきればいとも簡単にパチンと仕留めることができて、都合が良かった。作者は困りきって掲句を詠んだというよりは、小さな蚊に翻弄されているおのれの姿を自嘲していると読むことができる。美明は、戦前の有力詩人たちが拠った俳句誌「風流陣」のメンバーでもあった。「木枯紋次郎」の作者左保の父である。他に「春の水雲の濁りを映しけり」という句がある。虚子には虚子らしい句「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|