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2012N625句(前日までの二句を含む)

June 2562012

 睡蓮や十年前の日が射して

                           坪内稔典

く出かける神代植物公園(東京都調布市)は、睡蓮の宝庫と言ってよいだろう。毎夏、公園の池には温帯性の睡蓮がたくさん咲くし、温室に入ると熱帯性の花を数多く観ることができる。名前のとおりに、睡蓮は「睡る花」である。日が射せば開花するのだから、句のように「十年前の日」にも反応するはずである。この発想は、とても面白い。面白いと同時に、作者が句の睡蓮に郷愁を覚えているさまをよく表している。「この花はいつか見た花」というおもむきだ。「十年一日のごとし」という感慨も、ちらりと頭をかすめる。そしてまた、水に浮かぶこの花の風情が、さながらモネの描いた睡蓮のように、どこか永遠性を秘めていることをも告げているようだ。睡蓮を眺めていると、私はいつも「全て世は事も無し」と呟きたくなる。「十年前の日が射して」いるせいかもしれない。『ぽぽのあたり』(1998)所収。(清水哲男)


June 2462012

 鯖の旬即ちこれを食ひにけり

                           高浜虚子

瞬で、ぺろりと鯖鮨を食った。旬だから、好物だから、足が速いから、握られて置かれてすぐに召しあがった。鮨屋のカウンターならば、これがよい食べ方です。山本健吉の歳時記には、「五月十四日作る」とあります。鯖は五月が味の旬とされているので、それを逃さず、これも季節と人との出会いです。それにしても、ただ鯖を食っただけなのに俳句になっているのはなぜでしょう。また、俳句としては例外的に「即ちこれ」といった接続語と指示語を使っています。この効果について、思いついたことをいくつか書きます。一、五七五の定型にするため。二、一瞬で食べられてしまう鯖を「これ」で指示して注目させるため。三、韻律の効果。前半を「サ行音」で、後半を 「カ行音」でまとめた。四、五七五 を三コマのフィルムとみれば、一コマ目は眼の前の鯖鮨、二コマ目は手に取った鯖鮨、三コマ目は腹に入った鯖鮨。と分析しましたが、こんな野暮な考えよりも、句のスピード感が心地いいからでしょう。とくに、「旬」と「即」が漢語でカチンとぶつかっていながらも、「シュン・スナワチ」の音が、速度のある食いっぷりを形容しています。最近の研究で、鯖などの青魚は肝臓がんの抑止効果があると発表されましたが、八十五歳まで健筆を奮った虚子を内側から支えていたのかもしれません。「鑑賞俳句歳時記・夏」(1997・文芸春秋)所載。(小笠原高志)


June 2362012

 灯台に白き穂を立て夏至の濤

                           板谷蝸牛

京では五時間近く昼の方が長いという夏至、今年は一昨日の木曜日だった。しかし、今年のように時ならぬ台風に驚かされることがなくても梅雨最中、歳時記にも、夏至の雨、などの句が並んでいる。掲出句、遠くから見える白い灯台と白い波頭、さらに雲の白さが、梅雨の晴れ間の海の碧に際立って眩しい。ただ、濤、の一字が、一見ちらちらと寄せているように見える波が実際は、それこそ台風が来そうな激しい波であることを思わせる。夏至という、上りつめればあとは下るだけ、という一点の持つさびしさが、波の勢いが強ければ強いほど、大きく砕ければ砕けるほど、感じられるのだろう。『図説 大歳時記・夏』(2007)(角川学芸出版)所載。(今井肖子)




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