July 052012
親殺し子殺しの空しんと澄み
真鍋呉夫
先月の5日、真鍋呉夫氏が亡くなった。文庫版の句集しか読んだことはないが、俳壇の中にある俳人とは違う時空を広げる句に心惹かれるものがあった。「親殺し」「子殺し」の記事が日々新聞にあふれている。余裕のない世間に孤立しがちな苛立ちを一番身近にいる対象にぶつけ、憎み傷つけてしまう愚かしさ。人を殺めるのは瞬間であっても、一線を越えた後の地獄は文学の中で繰り返し語られてきた。親殺し、子殺しの横行する現代、同時代を生きている誰もが多かれ少なかれ追い詰められた空気を共有している。しかし、そんな人間たちの頭上に広がる空はしんと澄みわたり人間の愚行を見下ろしているようだ。その絶景は、地球を覆う人間がことごとく滅亡した終末の空へとつながっているのかもしれない。『雪女』(1998)所収。(三宅やよい)
July 042012
老鶯の声捨ててゆく谷深し
新井豊美
鶯は「春告鳥」とも「歌詠鳥」とも呼ばれ、言うまでもなく春の鳥である。しかし、春の頃はまだ啼きはじめだから、声はいまだしの感があってたどたどしい。季節がくだるにしたがって啼きなれて、夏にはその声も鍛えられて美しくなってくる。そうした鶯は「老鶯(おいうぐひす)」とも「残鶯」とも呼ばれて、夏の季語である。谷渡りする鶯だろうか、声を「捨ててゆく」ととらえたところが何ともみごとではないか。美しい声を惜しげもなく緑深い谷あいに「捨てて」、と見立てたところが、さすがに詩人の鋭い感性ならでは。鶯の声は谷あいに涼しげに谺して、いっそう谷を深いものにしている。数年前に鎌倉の谷あいでしきりに聴いた老鶯の声を思い出した。うっとりと身をほぐすようにして、しばし耳傾けていたっけ。(豊美さんの声も品良くきれいだったことを思い出した。)二〇〇九年七月のある句会で特選をとった句だという。同じ時の句「この道をどこまでゆこう合歓の花」も特選をさらった。「鶺鴒通信」夏号(2012)所載。(八木忠栄)
July 032012
麦笛や♪めぐるさかづき♪あたりまで
戸恒東人
掲句の歌詞は「春高楼の花の宴」で始まる土井晩翠作詞滝廉太郎作曲の『荒城の月』。このあと、♪めぐるさかづき♪が続く。これでワンコーラスという短い間であることが分るのだから、唱歌というのはすごいものだ。麦笛は茎の空洞を利用して、息を吹き込む。折り取った茎の途中に、爪や歯を使って小さな穴を開けたり、茎に葉を巻いて吹くなど方法はさまざまだが、どちらも折り口に唇を当てれば、清涼感あふれる香りが胸を満たす。『荒城の月』は古風な歌詞に西洋風のメロディーが融合した名曲とされるが、子ども心にも物悲しく、無常を感じさせるものだった。めぐるさかづき、のワンフレーズあたりが麦笛という小道具をさみしくさせすぎない頃合いなのかもしれない。『白星』(2012)所収。(土肥あき子)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|