September 1092012

 数珠玉やかごめの鬼が嫁にゆく

                           高橋酔月

の便りに、幼なじみの女の子が結婚すると聞いたのだろう。子どもの頃は毎日のように一緒に遊んでいても、女の子たちとはいつしか疎遠になり、やがては面影すらも定かではなくなったりする。それが何かの拍子に消息を聞くことがあると、急に懐かしくなって記憶の糸をたどることになる。どんな子だったっけ。この子の場合には「かごめ遊び」の記憶がよみがえってきた。「かごめ、かごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる。夜明けの晩に、鶴と亀が滑った。後ろの正面、だあれ?」というあれだ。そして思い出してみれば、この子の役割はいつも「鬼」だったような……。つまり、あまり機転の利かない子、はしこく無い子で、覚えているのは輪の真ん中でかがんで両目を押さえている姿ばかりだ。その彼女が嫁に行くという。成人し様子は知る由もないけれど、結婚するのだから、もはや昔の彼女ではありえない。当人だって、もうかごめの鬼のことなど忘れているだろう。他人事ながら「良かったなあ」と、作者は微笑している。「サチオオカレ」と祈っている。「数珠玉」も当時の遊び道具だったが、ちょっとだけ作者の祈りも籠められているようだ。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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