2012N10句

October 01102012

 潜水艦浮かびあがれば雨月なり

                           杉本雷造

降りのために名月が見られないのが「雨月」。曇って見えないことを「無月」と言う。昨夜のように、猛烈な台風のために見られない現象を何と言えばよいのか。「雨月」には違いないけれど、表現としてはいかにも弱い。名月を毎年待ちかまえていて詠む人は多いから、今年はどんな句が出てくるのか。お手並み拝見の愉しみがある。掲句は、月見の句としてはなかなかにユニークだ。まさか潜水艦が月見と洒落る行動に出ることはあるまいが、浮きあがってきた姿がそのように見えたということだろう。あるいは、想像句かもしれない。だが、せっかく期待に胸ふくらませて浮上してみたら、何ということか、海上は無情の雨だった。月見どころか、あたり一帯には雨筋が光っているばかりで、空は真っ暗である。「雨か……」。しばらく未練がましく空を見上げていた潜水艦は、大きなため息のような水泡を噴き出しながら、力なく再び海中に没していったのだった。この潜水艦の間抜けぶりが愉しい。名月の句などは詠まれ尽くされているように思えるが、こういう句を読むと、まだまだ死角はありそうである。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


October 02102012

 七草に入りたきさまの野菊かな

                           原 石鼎

和10年10月1日、東京日日新聞夕刊で「新秋七草の賦」を連載した。当時の名士7名にそれぞれ1種の秋の草花を挙げてもらい、菊池寛「コスモス」、与謝野晶子「白粉花」、辻永「秋海棠」、斎藤茂吉「曼珠沙華」、長谷川時雨「雁来紅」、高浜虚子「赤のまんま」、牧野富太郎「菊」で新秋の七草が決定した。当時の名士が推挙し、毎週自選の弁が掲載され、のちに女子学生へのアンケートなども行った人気を博した企画であったが、現在ほとんど知られていないのは、やはり七種の草花がてんでばらばらに個性を発してしまうからで、七草が互いに通い合う風情が大きく欠落しているからだろう。唯一の救いは「菊」が入っていることだ。掲句の初出は明治36年11月3日の山陰新聞、石鼎17歳、新聞初入選の作品である(『頂上の石鼎』)。精鋭作家として注目されながら、なにごとも思いの叶わなかった石鼎に「富太郎先生が菊を七草にお入れになりました」と手を取ってお伝えした弟子は果たしていたのだろうか。秋の花をひとつ。あなたなら何を選びますか?『花影』(1937)所収。(土肥あき子)


October 03102012

 高曇り蒸してつくつく法師かな

                           瀧井孝作

い暑いと私たちを悩ませた夏も、秋の気配がしのび寄れば法師蝉と虫の音の世界に変わり、ホッと一息。とにかく日本の夏は、蒸し暑いのだからたまらない。今年は九月半ばを過ぎても、連日気温30度以上の夏日を記録した。以前、沖縄の気温は年間を通じて関東より10度前後高かったのに、今年は沖縄より東京など東日本が1〜3度高い日が少なくなかった。私は「群馬や埼玉の人は沖縄へ避暑に行ったら?」などと呟いていた。日本列島はやはり熱帯化しつつあるのでしょうか。「高曇り」は空に高くかかった雲で曇っている様子の意味。法師蝉が鳴く秋になっても、曇って湿気が高い陽気は誰もが経験している。せめてもの救いは法師蝉が、きちんと声の「務め」を果たしてくれていることだろう。気をつけて聞けば、「ジュジュジュ……オーシンツクツク……ツクツクオーシ……ジー」と四段階で鳴いている。私の故郷では「ツクツクオーシ」を「カキ(柿)クッテヨーシ」と聞いて、柿を食べはじめていい時季とされている(その時季は必ずしも正確ではないようだが)。『和漢三方図絵』には「鳴く声、久豆久豆法師といふがごとし」とある。三橋鷹女には「繰言のつくつく法師殺しに出る」という物騒な句がある。虫の居所が悪かったのか、よほどうるさかったのだろう。平井照敏『新歳時記・秋』(1996)所収。(八木忠栄)


October 04102012

 水澄んで段差になつてをりし父

                           大石雄鬼

に映る自分の姿に見入るのはナルキッソスの話から何らの自意識の投影と思われる。ところがこの句ではその影を「段差になる」と表現している。底まで清らかに澄んでいる水面に映っている父としての自分の影が段差になって見えている。屈折するその影が日常見過ごしている違和感を表しているようだ。父とは母と違いむくわれない存在であるように「母」体験者である自分などは思う。母子は言葉を超えての密着が在るが故、確執も愛憎も激しい。それに比べ「父」は家庭を維持する経済的負担と精神的負担が大きいわりに親密さに置いては蚊帳の外である。「父」という言葉には家族の中での孤独が隠されているように思う。「段差になってをりし父」とそれを見ている自分と突き放して描き出すことで、そこはかとない哀愁を感じさせる。『だぶだぶの服』(2012)所収。(三宅やよい)


October 05102012

 遠蜩何もせざりし手を洗ふ

                           友岡子郷

もしてないのにどうして手を洗うのだ、可笑しいな。という意味にとると日常の無意識の動作を詠んだ句になる。でもそれは何もしてない、汚れてもいないのに手を洗ったという面白くもないオチにもなる。この句は何もしていないことを喩として詠んでいる自己否定の句だ。ほんとうに自己否定している句は少ない。自己を戯画化しているようでどこかで自分を肯定している作品もある。こんなつまらねえ俺なんかに惚れてねえで嫁に行きやがれ、なんて昔の日活映画だ。俳句を自解する人も自句肯定の人だ。意図通りの理解を強く望んでいる。何もせざりしという述懐に作者の生き方、考え方が反映している。『黙礼』(2012)所収。(今井 聖)


October 06102012

 栗をむくいつしか星の中にをり

                           喜田進次

があまり好きではない。子供の頃延々と栗剥きの手伝いをさせられたからだけでなく、ほの甘さとぼそっとした食感がどうも苦手だ。中華街によく行くけれど、唯一いやなところは、おいしいよ、と言いながら天津甘栗を食べさせようとするところだ。それが今月、二つの句会で「栗」が兼題となり困ったなと思いつつ、とても惹かれた栗の句があったことを思い出した、それが掲出句である。句集拝読の折、秋になったら、と栞を挟んでおいたのだった。読み進めていて、いろいろな意味でふっと立ち止まった一句である。栗から星は、殻や甘皮が散らかって、むかれた栗もまるまるところがって、その中にいることからの発想かもしれない。栗をむくことと星の中にいること、突然時空を超えてしまったかのような飛び方なのだが、それを、いつしか、がつなぐともなく優しくつないで自然な広がりを与えている。これからも毎秋かならず思い出すであろう一句。『進次』(2012)所収。(今井肖子)


October 07102012

 口あれば口の辺深し秋の暮

                           永田耕衣

田耕衣という名は、俳句に親しむより前の学生時代に、時折耳にしていました。夜の酒場で割箸の袋に耕衣の句を記されて、「これ、わかるか?」と問われたりして、わかるような、わからないような時間を、結構愉しんだおぼえがあります。なかでも、舞踏家・大野一雄氏の直筆舞踏原稿集『dessin』(小林東編/緑鯨社・1992)の中に、数回にわたって「手のひらというばけものや死の川」(「死の川」はママ、句集『闌位(らんい)』では「天の川」となっている)が、力強い黒マジックの筆跡で書かれていて、大野氏の舞踏作品の源流に耕衣の句があることが示されています。さて、掲句は昭和45年『闌位』(俳句評論社)に、「口在れば口辺に荒し秋の雨」と一緒に所収されています。「口の辺(へ)深し秋の暮」は、寡黙な人物の口の辺(へり)を鉛筆でデッサンしたような深みがあり、閉じている口の陰に奥行きを感じます。一方、「口辺に荒し秋の雨」は、饒舌な人物の口と口の周辺を映像化したような動きを感じます。夕暮には空間の静けさがあり、雨には音を伴うからでしょう。この二句は、芭蕉の「物いへば唇寒し秋の風」をふまえていると思います。これは、前書に「人の短(所)をいふ事なかれ。己が長(所)をとくなかれ」とあるように教訓的です。それに対して「口在れば」の二句は、口は閉じているか開いているか、静か動か、そのいずれかであることは確かなことで、教訓はなく即物的で、この三句のみの比較なら、耕衣に軍配を上げます。(小笠原高志)


October 08102012

 菊膾晩年たれも親なくて

                           小林秀夫

畑静塔の「菊膾(きくなます)」の句に「ただ二字で呼ぶ妻のあり菊膾」がある。「二字」とは、もちろん「おい」だろう。長年連れ添った夫婦の、会話もほとんどない静かな夕食だ。作者の前には、つつましやかにお銚子が一本立っている。比べて、掲句はなんとなく一人だけの晩酌の図を想像させる。そういうときでもなければ、あまり自分の「晩年」などは考えない。私もときおり、気がつけばいつしか死ぬことに思いが行っているときがある。べつに寂しいとか哀れとかなどとは思わないけれど、ふっと自然に自分の命の果てを想像してしまうのだ。そういえば、同世代の誰かれもみな「親」は二人とも他界している。そういう年頃になってしまったのだ。次は否応なくこちらの番だなと、ぼんやりとながらも納得せざるを得ない。このところ、そんな思いの繰り返しである。そんなとき作者は、冷たい「菊膾」の舌触りにふと我に帰り、もう一本熱いヤツでもいただくかと、暗い台所に立ってゆく。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


October 09102012

 朝刊に夕刊重ね鳥わたる

                           峯尾文世

ンターネットの普及により新聞の発行部数は年々下降しているというが、真新しい新聞を開く心地よさは個人的には手放せない。朝刊、夕刊、そしてまた朝刊。掲句は日々の積み重ねが新聞の嵩となり、時間の流れを目に見えるかたちで想像させる。朝夕変化する世界情勢や、喜怒哀楽を含めた事件が盛り込まれた新聞は、脆弱な人間社会を凝縮しているものだ。秋に渡る鳥は、昼間の暑さを避けるため、夜間に飛行する種が多い。星の位置や、地磁気で方位を定め、昔から同じように旅を繰り返している。鳥たちが幾世代に渡ってつちかってきた思慮深さに引きかえ、人間はなんと愚かな行為を繰り返しているのだろう。今朝も胸ふたぐニュースが飛び込む。振り切るように新聞をめくれば、それは思いがけず鳥のはばたきにも似た音を立てるのだった。〈打つよりも引く波音のはつむかし〉〈秋晴れが鏡のなかにしか見えぬ〉『街のさざなみ』(2012)所収。(土肥あき子)


October 10102012

 志望校東京芸大赤蜻蛉

                           向坂 穣

年はオトナばかりでなく、小中学生もさかんに俳句を作っていることは周知の通り。うちの孫(小学生)も「こんな俳句つくったよ……」と言って、いくつも披露してくれることがあって、慌ててしまう。あな、おそろしや。さて、高校生の俳句大会と言えば、恒例になった「俳句甲子園」である。今井聖によると「神奈川大学全国高校生俳句大会」も大きい大会だという。各地に各種の大会があるようだ。上記二つの大会で高い評価を得た句に「夏雲や生き残るとは生きること(佐々木達也)」とか「未来もう来ているのかも蝸牛(菅千華子)」などがあるようだ。いずれも偏差値の高い高校の生徒の句だという。うーん、私に言わせれば、一言「若いくせに、嘆かわしい!」。そこへいくと掲句は、いかにも受験生らしい気持ちが素直に表現されていて、好もしい。受験を控えた一度限りの切実な青春句だが、この場合「赤蜻蛉」が救いになっている。赤蜻蛉にこだわっているところからすると、彼は芸大の美術学部あたりを志望していたのかーーそんなことまで想像させてくれる。若い緊張感と不安が赤蜻蛉を見るともなく見ているようだし、赤蜻蛉も合格を応援して視界を飛んでいるのかもしれない。今井聖『部活で俳句』(2012)所載。(八木忠栄)


October 11102012

 鳥威し雨に沈みてゐるもあり

                           波多野爽波

ちこちの田んぼではもう稲刈りは終わっただろうか。金色に垂れる稲穂を雀などから守るためにピカピカ光る鳥威しが田んぼのあちこちに結わえられている。そのうちの一つが雨に打たれて落ち、そのまま水たまりに浸かっているのだろうか。濡れそぼつ鳥威しがなまなましく感じられる。「鳥威し」が空中にひるがえり鳥を威嚇するものという概念に囚われていると見いだせない現実だ。眼前にある対象を描写しただけに思えるこのような句について語るのは難しいが、そんなとき「無内容、無思想な空虚な壺に水のように注がれて初めて匂い出て来るもの」と言った山本健吉の言葉をふと思い出す。「日本大歳時記」(1985)所載。(三宅やよい)


October 12102012

 秋の夜の畳に山の蟇

                           飯田龍太

穴を出づといえば春の季語。蟇だけだと夏の季語。この句秋の夜の蟇だから理屈でいえば冬眠前の蟇ということになろうか。山国ならではの実感に満ちた句だ。一句の中に季語を二つ以上用いるのはやめた方がいいと初心の頃は教わる。まして季節の異なる季語を併用するのは禁忌に等しい。そこを逆手に取って最近は敢えて一句に季語を二つ以上使ってみせる俳人もいるが技術の披瀝を感じるとどこかさびしい。この句、季語を二つ使ってみました、どんなもんだの押し付けはない。自然で素直で、インテリジェンスもダンディズムも感じない。本当の本物だ。『蛇笏・龍太の山河』(2001)所収。(今井 聖)


October 13102012

 足首を褒められてをりこぼれ萩

                           祐森水香

だ細いだけではなく、アキレス腱がくっきりと美しい足首だろう。こぼれつつ咲く萩の道、作者のやや後ろを歩きながら散り敷く萩に向られていた誰かの視線が、つとその足首に見惚れてしまったというわけだ。スカートの丈はやや長め、裾が揺れ、萩が揺れ、長い髪も揺れ、それらのやわらかいゆらぎと、アキレス腱の繊細な凛々しさの対比が魅力的だ。きれいな足首ですね、と後ろから話しかけられた作者、お綺麗ですね、スタイルがいいですね、などと言われるのには慣れていても、足首をピンポイントで褒められるということはそうは無いことだろう。あらそうですか、ありがとうございます、などと言いながら、ふと感じているその恥じらいに、こぼれ萩、がほんのりと色香を添えている。『月の匣』(2011年12月号)所載。(今井肖子)


October 14102012

 塩田はすたれあつけし草残る

                           酒井黙禅

沿いの土地を旅すると、よくご当地の土産物屋があります。土産としては手頃だし、料理の決め手は塩にありと思っているので、買い求めます。オホーツクの塩、三陸の塩、伊豆の塩、高知の塩、沖縄の塩、それぞれに味や粒の形・大きさ・湿り気など違いがありますが、産地の「塩田」にお目にかかれることはなくなりました。私は塩田を見たことがありません。製塩技術も進歩を遂げて、塩田という素朴な方法はほとんどなくなってしまっているのでしょう。掲句のように、塩田はすたれてしまいました。その塩田に残る「あつけし草」とは「厚岸草」で、厚岸(あっけし)は北海道東部太平洋側、根室と釧路の中間に位置し、最初にこの地で発見されたことにちなんで命名されています。厚岸草は、北海道・本州北部・四国の塩分の多い海岸の湿地などにごくまれに群生し、高さ10〜30センチ。形状は、遠目からは唐辛子に似ていて、夏の間濃い緑色なのが、秋になると赤黄色になります。紅葉は、海岸からも始まりつつあります。『四季花ごよみ・秋』(1987・講談社)所載。(小笠原高志)


October 15102012

 秋の海町の画家来て塗りつぶす

                           森田透石

者の気持ちは、とてもよくわかる。秋晴れの日ともなると、我が家の近所の井の頭公園にも、何人もの「画家」たちがやってきて描いてゆく。絵に関心はあるほうだから、描いている人の背後から、よくのぞき見をする。たいがいの人はとても巧いのだけど、巧いだけであって、物足りなさの残る人のほうが多い。でも、なかには写実的でない絵を描く人もいて、巧いのかどうかはわからないが、大胆なタッチの人が多いようだ。作者が見かけたのも、そんな「町の画家」なのだろう。海の繊細な表情などはお構いなしに、あっという間に一色で塗りつぶしてしまった。ぜんぜん違うじゃないか。愛する地元の海が、こんなふうに描かれるとは。いや、こんな乱暴に描かれるのには納得がいかない。さながら自宅に土足で踏み込まれたような、いやーな感じになってしまった。この海のことなどなんにも知らない「町場」の他所者めがと、しばし怒りが収まらなかったに相違ない。まっこと、ゲージュツは難しいですなあ。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


October 16102012

 黄落や接吻解かぬロダンの像

                           小滝徹矢

ダンの「接吻」は上野の国立西洋美術館に収蔵されている。はじめ「地獄の門」に加わるはずだったが、情愛豊かで馥郁とした幸福感に包まれた作品は、男女が業火に苛まれる様相とかけ離れたため独立した作品となった。「世界でもっとも美しい」といわれるこの像をロダンは後年「美しいが何も得られなかった」と叙述している。「恋愛こそ生命の花である」と公言した作家は、アトリエで若い男女にこの通りのポーズをとらせ、恋人であったカミーユとともに制作に取り組んだ。永遠に接吻する像を完成させたのち、ロダンは妻のもとへと帰り、残されたカミーユは精神を病んでしまう。国立西洋美術館までは美しい銀杏並木があり、毎年見事な黄落を見せてくれる。天才の名を欲しいままにした芸術家の情熱と迫力を目の当たりにしたとき、人は魂を射貫かれたような感動を受ける。その喜びとも、畏怖とも言いつくせない曖昧な気持ちのまま美術館を後にすれば、途端に現実の色彩として銀杏の鮮やかな黄色が目に飛び込むのだ。その色は、行きに見た色とはきっと違って映ることだろう。『祇園囃子』(2012)所収。(土肥あき子)


October 17102012

 秋水の動くともなく動きけり

                           伊志井寛

ややかさを感じさせる「秋水」は、流れている川や湖の水とはかぎらない。井戸の水や洗面器に汲んだ水でもいいだろうが、秋の水ゆえに澄みきって、一段と透明に冷えてきている水である。名刀をたとえるのに「三尺の秋水」という言葉もあるようだ。掲句の「秋水」は「動くともなく」かすかに動いているのだから、川か池の水だろう。おそらく川の水が流れるともなく流れているさまを詠んだものだろう。「流れる」ではなく「動く」と詠んだところに、秋水をより生きたもののごとくとらえたかった作者の気持ちが感じられる。水は動きがないように見えてはいるけれど、秋の日ざしに浸るかのように、かすかにだが確実に流れている。それを見つめている作者の心にも、ゆったりした秋の時間が流れているようだ。せかせかしないで、秋は万事そうした気持ちでありたいものだと思うが、なかなか……。室生犀星の句に「秋水や蛇籠にふるふえびのひげ」がある。平井照敏編『新歳時記・秋』(1996)所収。(八木忠栄)


October 18102012

 友の子に友の匂ひや梨しやりり

                           野口る理

の頃は赤ん坊や幼児を連れている若い母親を見かけることがほとんどない。子供の集まる場所へ縁がなくなったこともあるのだろう。乳離れしていない赤ん坊だと乳臭いだろうから、目鼻立ちも整い歩き始めた幼児ぐらいだろうか。ふっとよぎる匂いに身近にいた頃の友の匂いを感じたのだろう。中七を「や」で切った古風な文体だが、下五の「梨しやりり」が印象的。「匂い」の生暖かさとの対比に梨が持つ冷たい食感や手触りが際立つのだ。「虫の音や私も入れて私たち」「わたくしの瞳(め)になりたがつてゐる葡萄」おおむね平明な俳句の文体であるが、盛り込まれた言葉にこの作者ならではの感性が光っている。『俳コレ』所載。(三宅やよい)


October 19102012

 誰彼もあらず一天自尊の秋

                           飯田蛇笏

名な句だ。蛇笏の臨終の句とも辞世の句とも言われている。一方で最後の句集の末尾に載っているのでそう言われているだけで単なる句集の配列でそうなったのだという説もある。解釈に於いてもさまざまあるようだ。自尊は蛇笏自身を言ったもので天に喩えて自らの矜持を詠んでいるという鑑賞もあるが、僕は、天=自分の喩えではなく天そのものを擬人法で捉えた句と読みたい。世事のあれこれはどうでもいいこと。天は天として自ずから厳然と超然と存在している。そんな秋である。というふうに。『蛇笏・龍太の山河』(2001)所収。(今井 聖)


October 20102012

 カステラが胃に落ちてゆく昼の秋

                           大野林火

日句会で、昼の秋、という言葉を初めて見た。作者は二十代後半、ラーメンを食べる句だったが、秋という言葉の持つもの淋しさとも爽やかさとも違う、不思議な明るさが印象的だった。掲出句は昭和九年、作者三十歳の作。八十年近い時を経て、同年代の青年が健やかに食べている。秋晴れの真昼間、空が青くて確かにお腹も空きそう、カステラがまた昭和だなあ、などとのんきに思いながら、昭和九年がどんな年だったのかと見ると、不況の中、東北地方大冷害、凶作、室戸台風など災害の多い年だったとある。だとすれば健やかより切実、一切れのふわふわ甘い卵色のカステラが、その日初めて口にした食べ物だったかもしれない。だからこその、胃に落ちてゆく、なのか。なるほどと思いながら、昼の秋、の明るさがどこかしみじみとして来るのだった。『海門』(1939)所収。(今井肖子)


October 21102012

 風に立つそのコスモスに連帯す

                           大道寺将司

者の状況を知ることによって、五七五で書かれた言葉は、きわめて限定された視野から成立していることがわかる場合もあります。作者は「連続企業爆破事件」で1975年に逮捕され、1987年に死刑が確定し、現在、獄中で闘病生活を送っています。今年三月に上梓された句集のあとがきに、「毎年季節の変わり目になると同じような句を詠んでしまいます。直裁的且つ即物的に反応してしまうのです。死刑囚として監獄に拘禁されているため自然に触れる機会が少なく、(略)獄外で過ごした時間が長くはなかったため、かつてなしたこと、見聞したことが季節の変化と結びついて色褪せずに記憶されているからだとも言えるでしょうか。」掲句は2000年の作ですが、コスモスを詠んだ句は他に四句あり、「ひたぶるにコスモス揺れていたりけり」(2002年)「風立ちててんでに戦(そよ)ぐ秋桜(あきざくら)」(2006年)「揺るぎても付きて離れぬ秋桜」(2009年)「右を向き左に靡(なび)く秋桜」(2011年)。東京拘置所は改築されてから窓に目かくしがほどこされたので、記憶の中によみがえるコスモスを断続的に詠むことになるのでしょう。私も作者同様釧路で生まれ育ったので、冷たい潮風に揺れるコスモスの記憶があります。『棺一基 大道寺将司全句集』(2012)所収。(小笠原高志)


October 22102012

 宿帳は大学ノート小鳥来る

                           中條ひびき

びた土地の小さくて古い旅館だ。「宿帳は大学ノート」だけで、この旅館のたたずまいが目に見えるようである。大きな旅館では和紙を製本するなどした立派な宿帳を備えているが、ここでは代わりに大学ノートを使っている。主人が無頓着というのではなく、旅館全体の雰囲気からして、立派な宿帳では釣り合いが取れないようだからだ。日暮れに近いころ、宿までの道で、作者は渡り鳥の大群を仰ぎ見たのだろう。鳥たちとは道のりの遠近は違っても、いまは我が身もまた同じ渡り者である。鄙びた土地の旅行者に特有の、ある種の心細さもある。そんな我が身がいま、およそ華やかさとは無縁の宿で、大学ノートに名前や住所などを書きこんでいる。物見遊山であろうがなかろうが、旅につきものの、心をふっとよぎるかすかな寂寥感を詠んでいて秀逸だ。掲句には関係ないが、昔フランクフルトの安ホテルに飛び込みで泊ったとき、受付の風采の上がらぬ爺さんが無愛想に突きつけてきたのも大学ノートだった。「フィリピーノ?」と聞くから、ノートに署名すると「おお、ヤパーニッシュ」とにわかに相好を崩し、「もう一度組んで、今度こそアメリカをやっつけよう」と言った。『早稲の香』(2012)所収。(清水哲男)


October 23102012

 つづれさせ終りを変ふる物語

                           石井薔子

づれさせとは「綴刺蟋蟀(つづれさせこおろぎ)」のこと。リッリッと鳴くごく一般的なこおろぎだが、昔の人は「綴刺せよ」と冬支度をうながす声に聞いていた。掲句の「終りを変ふる」とは、物語を読み聞かせながら、ふと悲しい結末を変えてしまうということか。たとえば「人魚姫」のディズニー版のように。原作では人間になるため美しい声と引き替えに足をもらい、最後は海の泡となってしまう悲劇だが、一転ディズニー映画の「リトル・マーメイド」となると、人魚姫は王子と結婚し「そしてふたりは幸せに暮らしました」で終わる。アンデルセンの物語を読んで「どうしてわかってあげないの、王子さまのばか」と涙ぐんだ少女たちの夢が叶ったわけだ。「フランダースの犬」や「マッチ売りの少女」にもハッピーエンド版があるそうだ。あからさまに不幸を避ける風潮もどうかと思うが、たしかに悲しい結末を口にしたくない夜もある。つづれさせの切れ目ない鳴き声が、じきに近づく冬の気配を引き連れてくる。〈集まりて一族わづか曼珠沙華〉〈人形にそれぞれの視野秋の昼〉『夏の谿』(2012)所収。(土肥あき子)


October 24102012

 境内や草の中なる相撲風呂

                           佐藤紅緑

相撲九月場所は、日馬富士の連続全勝優勝→横綱昇進、という結果で幕を閉じた。さて、こちらは「草の中」という言葉の連想から、草相撲であると解釈したい。土俵で汗を流し砂にまみれる相撲には、大相撲であれ草相撲であれ、風呂は付きものである。私が子どもの頃は土俵上の勝負だけでなく、取り終わって風呂に入る裸の彼らを、物珍しいものでも見るように、テントの隙間や銭湯の入口から覗き見したおぼえがある。地方巡業に来た鏡里や吉葉山らの、色つやが良く大きな素裸は今も目に焼きついている。「相撲」は秋の季語。「境内」だから、寺社に設けられた土俵で取り組みを終わった相撲取りが入る臨時の風呂が、境内隅の草地に設けられているのだ。相撲はもともと祭事的行事であり、以前はたいていの寺社や学校の校庭の隅に土俵が設けられていた。私が住んでいる町の大神宮の境内には立派な土俵があって、江戸時代からつづけられている奉納相撲大会が、現在も毎年10月に開催されている。子供の部もあって賑わっている。「草の中なる」風呂によって、気取らずのどかで真剣な相撲大会の雰囲気が想像される。そんな佳き時代があった。「やはらかに人分け行くや勝角力」(几董)。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 25102012

 通称はちんぽこ柿といふさうな

                           西野文代

の年になると「ちんぽこ」なんて言葉を聞いても笑って通りすぎることができるけど若くて気取ってた頃は聞くだけで恥ずかしかった。坪内稔典著『柿日和』によると、柿の名前は同じ品種でも地方によって異なるらしい。調べてみると「ちんぽこ柿」は「珍宝柿」先がとがった筆柿の呼び名のようだ。なんともユニークな名前。少しこぶりのこの柿が籠に5つ、6つ盛られている様子を思うと可愛らしく感じられる。初めてこの名前を知って「そうなん!」と合点した作者の嬉しがりようも伝わってくるようだ。次郎柿、富有柿など数ある柿の名前の一つとして、歳時記の「柿」の項にこの句を置いてみたい。気取りなく、秋を彩る柿の心やすさにぴったりに思える。『それはもう』(2002)所収。(三宅やよい)


October 26102012

 尋ね人尋ねつづける天の川

                           吉田汀史

だ小学生の頃だったろうか、新聞に尋ね人の欄があったように記憶している。ラジオでもそれだけを読み上げる番組があったような。1950年という僕の生年は若い頃は戦争を知らない子供などと新時代の始まりを強調されたが、考えてみると日本中に爆弾が降った戦争が終わってまだ5年しか経っていなかったのだ。シベリア抑留の人たちもまだ舞鶴に着いていた。尋ね人は行方不明の人たち。今日も多くの新しい「尋ね人」が生まれている。『汀史虚實』(2006)所収。(今井 聖)


October 27102012

 厠なる客のしはぶき十三夜

                           大橋櫻坡子

(しわぶき)と十三夜、いかにも晩秋を感じさせる。ただでさえ十三夜は、やや欠けていることのもの寂しさと、晩秋の夜の静けさと、多くの情感を合わせ持っている言葉である。そこにしわぶく音が弱々しく聞こえる、というのはあまりに情に流れるのでは、というところを、厠なる客、の具体性がうまくバランスを与えている。厠、という古来の言葉が、歩くと軋みもする日本家屋を思わせ、少し離れたところから聞こえる月の友の咳が、いよいよ澄み渡る夜の大気を感じさせる。今年の名月は、雲の切れ間に垣間見えたり、深夜から明け方ふと気づいたら見えていたり、待ちかまえているところに上ってくるのとはまた違った趣があった。万全でないこともまた好もしい、十三夜を愛でる心持ちもそれと似ているかもしれない。『大橋櫻坡子集』(1994)所収。(今井肖子)


October 28102012

 をりとりてはらりとおもきすすきかな

                           飯田蛇笏

すき一本を活け花のように立てた句です。句には表現されていませんが、すすきをささえる指のはたらきが繊細です。満月に供えるためでしょうか。野に出てすすきを折り、手に取って、親指・人差し指・中指でもつと、その穂は、はらりとしだれ、三本の指に重さがかかります。句では、二つの動詞と副詞・形容詞がすすきにかかっていますが、そのすすき一本を、三本の指でささえています。「はらり」が軽さを形容するので、「おもき」はじかに伝わります。なお、表記をすべてひらがなにしているのは、韻律を気づかせたい意図もはたらいているからでしょう。「をriとriてはらriとおもkiすすkiかな」。「i」が脚韻として音の筋を通すことですすき一本が立ち、はらりとおもき手ごたえも伝わります。「現代俳句歳時記・秋」(1999・現代俳句協会編)所載。(小笠原高志)


October 29102012

 若き母の炭挽く音に目覚めをり

                           黒田杏子

載誌では、この句の前に「炭焼いて炭継いで歌詠みし母」が置かれている。だから掲句の炭は、母が焼いたものだ。私が子どもの頃に暮した田舎でも、農繁期を過ぎると、山の中のあちこちの炭窯から煙が上がっていたものである。焼いた炭は、使いやすいように適当にのこぎりで切っておく必要がある。たいして力もいらないから、たいていは女子どもの仕事だった。深夜だろうか。ふと目覚めると、母の炭を切る音が聞こえてきた。このときの子どもの気持ちは、お母さんも大変だなとかご苦労さんというのではなく、そうしたいわば日常化した生活の音が聞こえることで、どこかでほっと安堵しているのだ。とにかく、昔の女性はよく働いた。電化生活など想像すべくもなかった時代には、コマネズミのように働き、そしていつもそれに伴う生活の音を立てていた。たまに母親が寝込んでしまうと、家内の生活の音が途絶えるから、子どもとしてはなんといえぬ落ち着かぬ気分になったものだ。母を追慕するときに、彼女の立てていた生活の音を媒介にすることで、句には大いなる説得力が備わった。「俳句界」(2012年11月号)所載。(清水哲男)


October 30102012

 野分来る櫓を漕ぐ音で竹撓る

                           嘴 朋子

六竹八塀十郎という言葉がある。樹は六月に、竹は八月を過ぎてから伐り、塀は十月に塗るのが望ましいという意味だ。それぞれに適した時期を先人はこうした語呂合わせで覚えていた。陰暦でいうので、竹はこれからが冬にかけてが伐りどきなのだ。郷里では茶畑も多いが、竹林も多かった。もっさりと葉を茂らせた竹が強風に煽られる姿は、婆娑羅髪を振り立てたようで恐ろしばかりだったが、葉擦れや空洞の幹が立てる音色はたしかに川の流れにも似て、竹の撓る音はぎいぎいと櫓を漕ぐがごとしであった。掲句のおかげで今まで乏しい想像力のなかで荒くれお化けだった景色が一変した。翡翠色の竹林の上を大きな舟がゆったりと渡っていくのだ。環境省が選んだ「残したい日本の音風景」には「奥入瀬の渓流」や「広瀬川の河鹿蛙」などとならび、「京の竹林」もエントリーしている。久しぶりに竹の音を聞いてみたくなった。〈弧を描く少女の側転涼新た〉〈短日のナース小さく風切つて〉『象の耳』(2012)所収。(土肥あき子)


October 31102012

 魂の破片ばかりや秋の雲

                           森村誠一

夏秋冬を通じて、さまざまな雲が空(そら)という広大なステージに、千変万化登場してくれる。見飽きることがない。それぞれの雲が生成される天文気象学的根拠などそっちのけで、私たちはただ見とれて楽しめばよろしい。雲をずっと追いかけている写真家もいるくらいである。天を覆うような壮大な鰯雲などではなく、点々と散らばる秋のちぎれ雲だろうか。それを「魂の破片」ととらえているのだから、不揃いで身勝手なちぎれ雲が、思い思いに浮かんで、動くともなく風でかすかに動いているのだろう。まともにまとまった立派な「魂」と言うよりも、ありふれた文字通り「破片ばかり」なのである。そんな魂を覗くように、作者はその「破片」にカメラを向けているのかもしれない。誠一はさかんに「写真俳句」に熱をあげていて、著作『写真俳句のすすめ』などもあるくらいだ。「俳句ほど読者から作者に容易になれる文芸はない」と書く。そう、たしかに小説や詩の作者になるのは、俳句に比べて「容易」ではない。ほかに「行く年を追いたる如くすれちがい」がある。『金子兜太の俳句塾』(2011)所載。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます