ム i句

November 19112012

 夕日いま忘れられたる手袋に

                           林 誠司

ういうセンチメンタルな句も、たまにはいいな。忘れられている手袋は、革製やレースの大人用のものではない。毛糸で編まれて紐でつながっているような子ども用のそれだろう。どうして、そう思えるのか。あるいは思ってしまうのか。このことは、俳句という文芸を考えるうえで、大きな問題を孕んでいる。つまり俳句はこのときに、どういう手袋であるのが句に落ち着くのか、情景的にサマになるのかを、どんなときにも問うてくる。要するに、読者の想像力にまかせてしまう部分を残しておくのだ。だからむろん、この手袋を大人用のそれだと思う読者がいても、いっこうに構わない。構わないけれど、そう解釈すると、「夕日いま」という配剤の効果はどこにどう出てくるのか。「いま」は冬の日暮れ時である。忘れたことにたとえ気がついても、子どもだと取りに戻るには遅すぎる。すぐに真っ暗になってしまう。そういう「いま」だと思うからこそ、そこにセンチメンタルな情感が湧いてくる。赤い夕日が、ことさら目に沁みてくるのである。『退屈王』(2011)所収。(清水哲男)




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