J句

April 1242013

 花茣蓙やいたこに渡す皺の札

                           柏原眠雨

寄せともいうイタコは死者の声を伝える職業だ。どうしても死者に会いたいとき、声を聞きたいときに人はイタコを訪れる。花茣蓙に坐っているのはイタコとその客の両方だ。亡くなった人にどうしても聞いてみたいことってあるような無いような。もう絶対聞けないってのが科学的常識だからそんなことはハナから諦めるんだろうな、ふつうは。真実は墓場までもっていくと公言してそのとおり沈黙したまま亡くなった政治家や右翼の大物がいた。永久に明るみに出ない国家間の密約など政治の大悪事がゴマンとあるような気がする。そんなのも当人を呼び出して聞いてみたい。死者を呼び出すにも金がいる。地獄の沙汰も金次第というが、イタコにも生活がある。『平成名句大鑑』(2013)所載。(今井 聖)


March 0832016

 大笑ひし合ふ西山東山

                           柏原眠雨

都を始めとして、日本にはさまざまな西山と東山がある。それは人間が右手の山と左手の山を折々眺めながら生活をしてきた証しでもある。「山笑う」は漢詩の「春山澹冶而如笑」に由来し、春の山は明るく生気がみなぎり、いかにも心地よさげに、あたかも笑うように思われることをいう。しかし掲句は、「笑い合う」としたところで、「いかにも」「あたかも」が取り外され、山そのものが命を持った存在へと変貌した。向かい合う山がお互いに大笑いする様子は、大きな腹をゆらして笑う布袋さまと大黒さまのようにも思え、まるで七福神の船に乗り合う心地も味わえる。作者は宮城県仙台市在住。本書のタイトルは五年前の東日本大震災を詠んだ〈避難所に回る爪切り夕雲雀〉から。『夕雲雀』(2015)所収。(土肥あき子)




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