q句

September 2992013

 ちちははが骨寄せあえる秋の暮

                           清水喜美子

彼岸の句とも、納骨の句とも読めます。「骨寄せあえる」とあるので、作者は、先に眠る者の骨に寄せて、そっと、大事に納骨したのでしょう。あるいは、生前、仲睦まじいご両親だったのでしょう。父という肉体は埋葬されるとき「ちち」という骨となり、母という肉体も「はは」となる。「ちち」と「はは」が、お墓の中で「ちちはは」として構成されている。作者はそれに向けて線香をあげ合掌しています。墓は文字通り、土の中で死者が眠る所。おがみ終えると、墓にも卒塔婆にも樹木にも夕日がさして、影が長く伸びている墓地。生きているということは、秋の暮の夕日に染まること、また日が昇り、暮らしが始まるということ。死者は土に、生者は日の中に。『風音』(2009)所収。(小笠原高志)


February 0822015

 蕗の薹母の畳にとく出でよ

                           清水喜美子

春を過ぎても、寒い日々が続きます。探梅する粋人は、早や梅の花を見たとおっしゃっておりましたが、私はまだです。掲句も、蕗の薹が芽吹き始める早春を待ち望んでいます。ところで、「母の畳」とは何なのでしょう。句集を読むと、掲句より前に「はさみ合う母の白骨花八ッ手」があるので母は故人でしょう。考えられるのは、母がよく蕗の薹を採集した場所をさすということです。「母の畳」を母の縄張りのように考えるのかもしれません。あるいは、それよりも広く考えて、火葬された母 の煙も灰も大地の一部になっていて、母なる大地ととらえることもできそうです。春になると、亡き母は、蕗味噌を作ったり天ぷらにしてくれたりして、旬の苦みを食卓に出してくれたのでしょう。そのとき、母の生活の場は畳の上でした。「母の畳」という表現に、多様な含意を味わえます。『風音』(2009)所収。(小笠原高志)




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